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会津

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
会津地方から転送)
会津
あいづ
日章旗 日本
地方 東北地方
都道府県 福島県
面積
5,420.69km²
総人口
237,669
推計人口、2024年12月1日)
人口密度
43.84人/km²
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会津藩時代からの中心都市、若松にある鶴ヶ城
濃い緑の部分が会津

会津(あいづ)は、福島県の西部に当たり、西に越後山脈と東に奥羽山脈に挟まれた日本海側内陸の地域である。福島県は2つの山地(奥羽山脈と阿武隈高地)によって区切られており、西から順に会津地方・中通り浜通りの3地域に区分される。

なお、福島弁では「あづ」と「い」にアクセント核が置かれる。会津地方の方言としては会津弁が話される。

概要

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郷土玩具の赤べこ

福島県を奥羽山脈阿武隈高地の2つの尾根線の概ねの境界で分けた、「会津地方」「中通り」「浜通り」の3つの地域の内の1つ。会津盆地を中心として、東は奥羽山脈、西は越後山脈は下野山地(帝釈山脈大佐飛山地を含む)、飯豊山地に囲まれた山岳地帯である。地方中心地は会津若松市

古事記』によれば、古くは相津と書いたという。崇神天皇の時代、諸国平定の任務を終えた四道将軍大毘古命建沼河別命(たけぬなかわわけのみこと)の親子が、この地で合流したことに由来する。会津美里町の伊佐須美神社縁起にも同様の伝承がある。

位置

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東北地方の内陸盆地太平洋沿岸のほとんどを含む旧陸奥国に含まれるが、会津地方は分水嶺である奥羽山脈の西側に位置しているため、川は日本海に注ぎ、気候も日本海側気候を呈する。

天気予報における「会津」とは、会津若松市に所在する福島地方気象台若松観測所を指す。

会津地方の面積は広大で、愛知県千葉県全体の面積より大きい。

産業

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そばの名産地として知られる山都

冬は豪雪地帯となるため、商店街雁木が設置されるほどであるが、一方でスキー場に多くの来客がある。逆に夏季はフェーン現象で昼間は高温となるため、会津高原裏磐梯などの高原での避暑、猪苗代湖の湖水浴が盛んとなり、アウトドアレジャーに訪れる観光客で賑わう。

盆地を中心に稲作が盛んで、コシヒカリ等が栽培されていてる穀倉地帯である。盆地の周辺では蕎麦の生産が多く、喜多方市山都町猪苗代などに代表される蕎麦所もある。

特産物として会津漆器赤べこ粟饅頭観光名所として会津五薬師会津五桜などが知られる。また近年は白虎隊などのサムライ文化を観光の目玉とする動きも見られる(詳細は観光史学#戦後会津の観光史学を参照)。

地理的関係

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1914年磐越西線が開通する前は、阿賀野川の舟運が下越地方新潟県北部)への交通手段として利用されていた。当時から磐越西線・磐越自動車道沿線では下越地方に、只見線沿線では中越地方(新潟県中部)に、会津鉄道会津線沿線では日光鬼怒川へ行く会津地方民は多い。しかし、東京への交通網が西の新潟(下越地方)からではなく、東の郡山中通り中部)から順に整備されたことや、東京へ行くには郡山経由や山王峠経由の方が山越えが少なくて済む点から、東京へ行くのに便利な中通り中部との交流が最も深い。

観光面では、尾瀬を共有する群馬県新潟県との協力体制が以前からあったが、国道121号を通じて米沢山形県置賜地方)や日光国立公園日光鬼怒川地域)との交流も有る。那須連峰の麓に位置する那須白河地域(栃木県北東部~中通り南部)へのルートは、2008年以前は三依で分岐する国道400号を経由するルートであった。しかし、2008年国道289号甲子峠トンネルが開通してからは、那須・白河地域とも観光ルートの形成や協力体制が作られてきている。

地形

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猪苗代湖磐梯山
会津盆地と奥は猪苗代湖。右端は阿賀川只見川合流部付近。開削により河道変更が行われた下流狭窄部の三日月湖が残る。

歴史

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律令制度下で陸奥国が設置され、その中のの一つとして会津郡が設置された。その後、平安時代に入ってから耶麻郡が分離され、更に大沼郡河沼郡が分離され、以後は会津郡とこれら3郡を総称して会津四郡と呼ばれることとなる。

古代

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現在の会津地方は、律令体制下では陸奥国会津郡である[要出典]

古事記』によれば、会津の地に初めて入った中央豪族は、孝元天皇の皇子・大彦命とその子・武渟川別命で、2人が出会ったために「相津」という地名がついたという。

伝承によれば、欽明天皇元年(540年?)に、南梁から青巌(青岩とも)という僧侶が越後の浜に漂着し、阿賀野川を遡って会津の地に至り、庵を結んだのが恵隆寺の始まりとされる。欽明天皇6年(545年?)に青巌は入滅し、舒明天皇6年(634年)、青巌の孫弟子・恵隆が渡来し、斉明天皇4年(658年)には、蓮空が寺名を「石塔山恵隆寺」と改称した[1]

神護景雲3年(769年)には、称徳天皇の時代に、陸奧大国造の道嶋宿禰嶋足の申請により、会津郡人の外正八位下・丈部庭虫大伴部某に阿倍会津臣の姓が与えられている[2]

岐阜県揖斐川町にある華厳寺の伝承によれば、約1200年前の会津には「大口大領信満」という豪族がいたという[3]

平安時代の会津地方は、僧兵数千人を擁する慧日寺が勢力を持ち、寺院統治下の様相を呈していた[要出典]

平安時代末期には越後国城氏が勢力圏としていたが、横田河原の戦いでの敗戦後に奥州藤原氏によって会津の地を追い出されたという。

鎌倉時代から安土桃山時代まで

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会津で勢力を誇っていた慧日寺は、源平合戦のときに平氏側に付いたため一時衰退することになる。

源頼朝による奥州合戦後、三浦氏一族の佐原氏(後に蘆名氏に改名)に会津地方が恩賞として与えられ、慧日寺に代わって安土桃山時代まで会津地方は黒川(現在の会津若松)を本拠地とする蘆名氏の勢力下に置かれた。この蘆名氏は、常陸太田(後に水戸)を本拠地とする佐竹氏と手を結んで、米沢を本拠地とする伊達氏と対立していた。やがて、蘆名氏が伊達氏に敗れると、会津地方は伊達氏の領土となった。

室町時代には多数の堂宇が建ち並び門前町を形成するまで回復していた慧日寺は、蘆名氏と伊達氏の争いに巻き込まれて、伽藍の殆どを焼失し、勢力を完全に失った。

新たな支配者となった伊達氏も、蘆名氏との合戦が豊臣秀吉の発した惣無事令違反とされ、奥州仕置により会津地方を没収された上、米沢から岩出山に移転させられ、代わって会津地方は蒲生氏郷に、次いで上杉氏の統治下に置かれた。

江戸時代

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福島県成立後

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明治時代には、鶴岡県庄内地方)や山形県を経て転任した三島通庸が福島県令となり、自由民権運動では会津地方と中通りが「民権派政治家vs明治政府」の舞台となった。自由民権運動下の会津地方を象徴する出来事として、会津三方道路が有名である。

豪雪地であることから、20世紀前半には、会津地方内にダム水力発電所が建設された。第二次大戦後には日本発送電の分割により、東北電力東京電力の両社が建設・保有することとなった。会津地方の水力発電所として、東北電力の宮下水力発電所、東京電力の小野川水力発電所などが代表的である。

地域

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観光ガイド形式に、会津地方をJR磐越西線沿線、会津鉄道会津線沿線(会津高原)、JR只見線沿線の3つのエリアに分けて、順に紹介する。冬には、積雪により付近が通行止めになる道路もあるので、注意を必要とする。

裏磐梯五色沼
JR磐越西線沿線
磐越西線で郡山方面から入り、中山峠を越えると上戸駅付近で左手に猪苗代湖を望むことができる。夏は臨時の猪苗代湖畔駅志田浜脇に開業する(営業時期に注意)。右手前方に磐梯山が見えて来ると、そこは磐梯朝日国立公園の玄関・猪苗代町である。ここより北へ進むと北塩原村(通称:裏磐梯)があり、国道459号を通って磐梯高原の中心・剣ヶ峰を経由し、喜多方市へ抜けることもできる。線路はやがて下り坂に入り、会津盆地が右に左に見え隠れするようになると、慧日寺(えにちじ)跡がある磐梯町になる。そして次は会津若松市
会津若松では、国道49号国道121号が交差しており、古くから会津地方の中心地である。シンボルのように若松城(鶴ヶ城)がそびえ、東には白虎隊の悲劇の舞台である飯盛山を望むことができる。会津若松駅を折り返すように新潟方面に向かうと、すぐに一面田園が広がって会津盆地のヘソともいうべき湯川村になり、勝常寺がある。日橋川を渡ると喜多方ラーメンや国の重要文化財「長床」(新宮熊野神社)で有名な蔵の町・喜多方市に入っていく。ここから先、線路は阿賀野川沿いを進み、新潟県と接する西会津町の玄関・野沢駅となり、大山祇神社や、会津ころり三観音の一つ・鳥追観音(如法寺)、名勝「銚子の口」がある。
大内宿
会津鉄道会津線沿線(会津高原)
西若松駅で分岐して南へ向かうと、渓谷が狭まり、芦ノ牧温泉下郷町湯野上温泉と続く。大内宿や名勝「塔のへつり」も近い。そして中心地は南会津町の旧田島町。田島では、国道121号国道289号国道352号国道400号が交差し、日光国立公園尾瀬へのアクセス点にもなっている。祭では、会津田島祇園祭が知られる。日光塩原からのアクセスも良く、新宿浅草方面からの特急列車と快速列車を利用すれば、3時間強程度である。さらにここから国道400号を北西方向に進むと「からむし織の里」昭和村があり、金山町へ抜けることができる。
只見川只見線
JR只見線沿線
只見線に沿って行くと、まずは会津美里町会津本郷焼で有名な会津本郷駅伊佐須美神社のある会津高田駅会津ころり三観音の一つ・中田観音(弘安寺)のある根岸駅と続く。次は会津坂下町。玄関は会津坂下駅で、駅前に同町出身の春日八郎のブロンズ像がある。会津坂下は、国道49号と国道252号の分岐点でもある。線路は山に差し掛かり、会津ころり三観音の最後の一つ・立木観音(恵隆寺)がある塔寺駅を過ぎた辺りから、只見川沿いを進むようになり、ここからは奥会津と呼ばれる。
その奥会津の最初は柳津町の玄関・会津柳津駅。ここは、版画家の斎藤清美術館、福満虚空蔵尊圓蔵寺と「あわまんじゅう」が有名。次が三島町で、玄関は会津宮下駅。ここは「会津」など伝統工芸の里である。その次は金山町で、玄関は会津川口駅。すぐ脇が只見川でたいへん風光明媚、近くには火山カルデラ沼沢湖がある。最西は只見町で、国道252号国道289号が交差している。越後三山只見国定公園の入口になっているほか、日光国立公園尾瀬の福島県側のもう一つの入口である。
冬の豪雪期には、国道252号の小出寄りが不通となり、只見線が唯一の交通手段となる時もある。この豊富な只見川の雪解け水を利用して電源開発が行われており、日本屈指の奥只見ダム田子倉ダムなどがあり、水力発電所も至る所にある。さらに只見川の支流伊南川に沿って、国道289号、国道401号国道352号を遡れば、旧南郷村、旧伊南村を経由し、文字通りの秘境・檜枝岐村になる。ここは檜枝岐歌舞伎が有名で、尾瀬沼燧ヶ岳への登山口「沼山峠」がある。

広域行政圏

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福島県の地域区分図
会津地方振興局管内
人口:261,955人(2010年国勢調査[4]
南会津地方振興局管内
人口:29,883人(2010年国勢調査)[4]

都市圏

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一般的な都市圏の定義については「都市圏」を参照
都市雇用圏(10% 通勤圏)の変遷
  • 10% 通勤圏に入っていない自治体は、各統計年の欄で灰色かつ「-」で示す。
自治体
('80)
1980年 1990年 1995年 2000年 2005年 2010年 自治体
(現在)
広域圏
西会津町 - - - - - - 西会津町 喜多方
広域行政圏
高郷村 - - 喜多方 都市圏
63413人
- 会津若松 都市圏
246056人
会津若松 都市圏
232992人
喜多方市
北塩原村 喜多方 都市圏
45780人
喜多方 都市圏
60818人
喜多方 都市圏
59701人
北塩原村
熱塩加納村 喜多方市
喜多方市
山都町 -
塩川町 会津若松 都市圏
197672人
磐梯町 会津若松 都市圏
197213人
会津若松 都市圏
197316人
会津若松 都市圏
188686人
磐梯町 会津若松
広域行政圏
河東町 会津若松市
会津若松市
北会津村
湯川村 湯川村
会津坂下町 会津坂下町
会津高田町 会津美里町
本郷町
新鶴村
柳津町 - - 柳津町
猪苗代町 - - - - - - 猪苗代町
三島町 - - - - - - 三島町
金山町 - - - - - - 金山町
昭和村 - - - - - - 昭和村
下郷町 - - - - - - 下郷町 南会津
広域行政圏
檜枝岐村 - - - - - - 檜枝岐村
只見町 - - - - - - 只見町
田島町 - - - - - - 南会津町
舘岩村 - - - - -
伊南村 - - - - -
南郷村 - - - - -

生活圏間流動

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国土交通省の「全国幹線旅客純流動調査」の生活圏間流動において、会津地方を出発地とする目的地は以下のようになっている。ただし、同調査では同じ都道府県内の生活圏へのデータがないため、それらを除く。

出発地:会津[5]
目的地 万人/年
1 新潟 88.7
2 宇都宮 70.8
3 仙台 66.2
4 那須 57.4
5 米沢 44.6
6 東京23区 34.1
7 日光 32.4
8 浦和 25.7
9 長岡 19.9
10 相模原 19.7
居住地:会津[6]
旅行先 万人/年
1 米沢 29.0
2 東京23区 20.9
3 仙台 18.6
4 新潟 7.0
5 浦和 4.7
6 船橋 4.2
7 日光 4.0
8 多摩 3.2
9 那須 2.6
10 庄内 2.5

選挙区

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国政選挙では、会津地方だけで衆議院小選挙区福島県第4区)を構成していたが、2017年の法改正で中通りにある西白河郡西郷村が加わった。

交通

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鉄道

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会津ぐるっとカード - エリア内の鉄道・バスに2日間自由に乗降できる。

主な道路

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高速バス

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道の駅

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メディア

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コミュニティ放送のFMラジオ局が2局ある。

著名な出身者

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政治・行政・司法

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外交官

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軍事

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学術・教育・文芸

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経済

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芸能

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マスコミ・言論界

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スポーツ

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その他

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脚注

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  1. ^ 温故拾要抄
  2. ^ 続日本紀
  3. ^ 揖斐川町「谷汲山門前街並マップ[1]
  4. ^ a b 平成22年国勢調査速報-福島県の人口・世帯数- Archived 2012年5月30日, at the Wayback Machine.(福島県)
  5. ^ 207生活圏間流動データ表(年間)出発地-目的地(全交通機関、平日・休日データ利用、2005年)
  6. ^ 207生活圏間流動データ表(年間)居住地-旅行先(全交通機関、平日・休日データ利用、2005年)

関連項目

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外部リンク

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