千本久信
千本 久信(せんもと ひさのぶ[1]、1827年7月13日(文政10年6月20日) - 1885年(明治18年)10月15日[2])は、幕末の福井藩士、明治期の官僚・実業家。広島県権参事(未赴任)。初名・弥三郎。
経歴
[編集]越前国足羽郡福井下江戸町(現:福井県福井市)で、福井藩士・千本久備の長男として生まれる[2]。天保2年4月5日(1831年5月16日)実父・久備の危篤に伴い、千本家は養父として小林久達(藤左衛門、東岫)を迎える[2][3]。嘉永6年7月20日(1853年8月24日)江戸での砲術調練修行を命ぜられ、その後、兵科懸り、兵科局詰、兵科取調方などを務める[4]。文久2年3月29日(1862年4月27日)書院番格として江戸詰となり、以後、松平春嶽の側近として活躍[2][4]。公用人、目付、評定役、司計頭取、参政などを歴任[4]。
明治2年10月14日(1869年11月17日)福井藩権大参事に就任[2][4]。明治4年11月15日(1871年12月26日)広島県権参事に発令されたが、赴任途中の同年11月25日(1872年1月5日)福井県(第一次)権参事となり、広島に着任することなく福井に戻った[1]。同年12月20日(1872年1月29日) 福井県が足羽県と改称し、1873年1月14日、足羽県が廃止され権参事を免ぜられた[2]。
その後、第九十二国立銀行支配人[5]、桑蚕会社社長などを務め、旧福井藩士の授産について尽力した[2]。