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)世界最高峰の自動車レース「F1」が開かれた名門サーキット富士スピードウェイ(静岡県小山町、1周=4.563キロ)で30日、30年ぶりとなる「日本グランプリ(GP)」の決勝レースが行われた。レースは、ルイス・ハミルトン選手(イギリス、マクラーレン)が今季4勝目を挙げ、年間王者に王手をかけたが、2位のフェルナンド・アロンソ選手(スペイン、同)はクラッシュする波乱も。さらには、仮設スタンドから一部のコースが見えず、払い戻しをする事態も発生、悪天候やアクセスの混乱など課題も浮き彫りになった日本GP。現場に行って来た。【西村綾乃】
予選が行われた9月29日から、悪天候が続き、決勝でも、セーフティーカーが先導する中でレースがスタート。マシンが水しぶきで消えてしまうほどの悪条件でクラッシュやスピンが相次ぎ、22台中7台がレース途中で姿を消した。
しかし、最大の波乱は、メーン直線の最終部分にある常設席上に作られた仮設スタンド「指定席C」だった。観客から「勾配(こうばい)がゆる過ぎ、手前側を走る車が見えない」との苦情が寄せられ、同スピードウェイでは自由席との差額分5万円を払い戻すこと決めるという事態となった。
さらに、指定席と自由席の区別もはっきりせず、仮設トイレも共用で数カ所しか設置されず、常に大渋滞。ヘアピン・130R方面に抜ける地下道が閉鎖され、通常10分程度で行けるところも30分以上かかり、場内に一つだけのレストランも一般客は使用できず、多くの客は、雨の中売店の軒先で、800円もする焼きそばなどを立ち食いという状態だった。
もう一つの問題はアクセスだ。渋滞緩和のため、サーキットへの一般車両を制限し、場外駐車場からシャトルバスが運行されたが、予選日には、シャトルバスの通路(サーキット内)が陥没して4時間半運行できず、2万人に影響した。決勝当日も、レースが終わってからはバス待ちの列が延々と続き、比較的早めに並んだ私も3時間以上待たされた。列の中では、「何時にバスに乗れるのか」「帰れなかった場合はどうする」などと係員に詰め寄る客もいた。
地元小山町も、「F1開催の町 おやま」というのぼりが立てられていたたものの、一般客はほとんどシャトルバスで駐車場や駅などに運ばれるため、ほとんど素通りで、鈴鹿サーキットの地元・三重県鈴鹿市に比べて盛り上がりもいま一つ。雨にぬれたのぼりが寂しげで、「鈴鹿での開催に戻して欲しい」というファンの声も上がっていた。
富士スピードウェイは66年に開設され、市販車改造レース「スーパーGT」や日本最高峰の自動車レース「フォーミュラ・ニッポン」などが開かれ、数々の伝説を生んだ名門サーキット。来年も日本GPが開かれ、その後は鈴鹿と交互開催となる。世界有数の長さ1.5キロの直線をF1マシンが爆走する迫力のレースをじっくりと楽しめる体制をぜひ作って欲しいものだ。
2007年10月1日