伊部 菊雄(いべ きくお、1952年11月15日 - )は、日本技術者新潟県柏崎市出身[1]カシオ計算機株式会社の技術者。G-SHOCKの開発で知られる[1]

伊部 菊雄
生誕 (1952-11-15) 1952年11月15日(72歳)[2]
日本の旗 日本 新潟県柏崎市[1]
教育 上智大学理工学部 機械工学科卒業[3]
業績
専門分野 腕時計の開発
所属機関 カシオ計算機株式会社
勤務先 カシオ計算機株式会社
雇用者 カシオ計算機株式会社
成果 G-SHOCKの開発[4][3]
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人物・経歴

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1952年(昭和27年)11月15日新潟県柏崎市で生まれる[2][1] 。幼稚園の時に東京都の池袋の椎名町に引っ越す[1]。もともと医師を目指していたが、血を見るのが好きではなかったことなどもあり断念する[1]。その後、東京都立練馬高等学校に進学する[1]1976年(昭和51年)に上智大学理工学部機械工学科を卒業[3]。同年にカシオ計算機株式会社に入社し、時計設計部でデジタル時計の構造開発を担当する[3]

1981年(昭和56年)、自身の腕時計が壊れた経験から[2]、「落としても壊れない時計」というテーマを掲げ、2年をかけ「G-SHOCK」として商品化に成功[3]。その後、G-SHOCK「MR-G」、フルメタル電波ソーラー時計OCEANUS」の商品企画等に従事。2020年現在も時計の開発を行いながら、「Father of G-SHOCK」として世界各国でブランドの世界観を広める活動に携わる。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g G-SHOCKの生みの親 苦戦の就活、カシオから救いの声”. NIKKEI STYLE (2020年10月2日). 2022年6月14日閲覧。
  2. ^ a b c G-SHOCKの生みの親が明かす誕生秘話”. livedoorニュース (2013年2月18日). 2022年6月14日閲覧。
  3. ^ a b c d e 伊部菊雄さんが語る「G-SHOCK開発ストーリー」と「新たな価値創造」”. 毎日メディアカフェ. 2022年6月14日閲覧。
  4. ^ 発明、過疎地の小学生に伝道 G-SHOCK開発者 伊部菊雄さん”. 日本経済新聞 (2018年2月14日). 2022年6月14日閲覧。
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