久保 征弘(くぼ まさひろ、1940年4月2日 - )は、大阪府大阪市大正区出身の元プロ野球選手投手)・コーチ

久保 征弘
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府大阪市大正区
生年月日 (1940-04-02) 1940年4月2日(84歳)
身長
体重
181 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1959年
初出場 1960年4月10日
最終出場 1968年8月8日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 阪神タイガース (1972, 1976 - 1977, 1992 - 1993)

経歴

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府立港高校から1959年近鉄バファローへ入団[1]

1960年に一軍に上がり、4月16日には東映を相手に初先発。しかし張本勲に2本塁打を喫し5回途中で降板、敗戦投手となる。

1961年には50試合に登板、6月からは先発としても起用されるが8連敗に終わった。

1962年は開幕から先発陣の一角となり、中継ぎや抑えもこなしてリーグ最多の66試合に登板。28勝21敗と自身初の最多勝のタイトルを獲得[1]規定投球回(11位、防御率3.02)にも達する。

1963年は19勝12敗、防御率2.36と最優秀防御率にも輝いた[1]

1964年も10勝を挙げる。

1967年中日ドラゴンズへ移籍[1]。同年は主に中継ぎで54試合に登板するが0勝4敗に終わる。

1969年には阪神タイガースへ移籍[1]。故障したジーン・バッキーの穴埋めを期待されたが、一軍登板は無かった。

1970年限りで現役を引退[1]

その後は阪神で二軍投手コーチ(1972年, 1976年 - 1977年, 1992年)、育成コーチ(1993年)、用具係(1971年, 1973年 - 1974年)、一軍サブマネージャー(1975年)、スカウト(1978年 - 1983年, 1985年 - 1991年)、二軍資料担当(1984年)を歴任[1]。スカウト時代には湯舟敏郎を獲得。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1960 近鉄 4 1 0 0 0 0 1 -- -- .000 40 8.1 12 2 2 0 0 4 0 0 7 7 7.00 1.68
1961 50 9 0 0 0 0 8 -- -- .000 475 108.0 112 9 42 5 5 74 5 0 57 48 4.00 1.43
1962 66 23 10 1 2 28 21 -- -- .571 1245 300.2 294 13 70 9 7 168 2 1 122 101 3.02 1.21
1963 62 19 9 2 1 19 12 -- -- .613 993 251.2 218 15 48 2 4 94 1 0 82 66 2.36 1.06
1964 51 32 8 3 2 10 18 -- -- .357 939 220.1 249 16 49 1 6 65 2 0 112 92 3.76 1.35
1965 34 21 5 1 1 3 16 -- -- .158 623 143.0 175 12 34 1 0 38 2 0 79 64 4.03 1.46
1966 19 13 0 0 0 1 5 -- -- .167 306 71.0 84 8 15 2 2 7 0 0 37 31 3.93 1.39
1967 中日 54 1 0 0 0 0 4 -- -- .000 381 90.1 92 6 26 5 4 34 3 0 41 30 3.00 1.31
1968 8 0 0 0 0 0 1 -- -- .000 66 15.0 19 3 3 2 0 5 0 0 10 9 5.40 1.47
通算:9年 348 119 32 7 6 61 86 -- -- .415 5068 1208.1 1255 84 289 27 28 489 15 1 547 448 3.34 1.28
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

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記録

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  • 初登板:1960年4月10日、対東映フライヤーズ3回戦(駒沢球場)、7回裏に2番手で救援登板・完了、2回無失点
  • 初先発登板:1960年4月16日対東映フライヤーズ4回戦(日本生命球場)、4回1/3を5失点で敗戦投手
  • 初登板から白星なしの連敗:10 ※史上4人目
  • 初勝利・初先発勝利・初完投勝利:1962年4月17日、対南海ホークス1回戦(日本生命球場)、9回2失点
  • 初完封:1962年8月11日、対阪急ブレーブス18回戦(日本生命球場)
  • オールスターゲーム出場:2回 (1962年、1963年)

背番号

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  • 45 (1959年 - 1966年)
  • 22 (1967年 - 1968年)
  • 51 (1969年 - 1970年)
  • 74 (1972年)
  • 75 (1976年 - 1977年)
  • 86 (1992年 - 1993年)

脚注

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  1. ^ a b c d e f g プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、200ページ

関連項目

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外部リンク

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