宮内庁侍従職

宮内庁の内部部局の一つ

侍従職(じじゅうしょく)は、宮内庁内部部局のひとつ。天皇皇后、またその未婚の皇子女である親王内親王侍従が属する家政機関

侍従職の事務室がある宮内庁庁舎(東京都千代田区千代田

事務

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宮内庁法第4条 
侍従職においては、左の事務をつかさどる。
御璽国璽を保管すること。
二 側近に関すること。
三 内廷にある皇族に関すること。

職員

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侍従長(じじゅうちょう)
侍従職の長であり、侍従職の事務を掌理する。宮内庁長官上皇侍従長と同じく特別職認証官で、その任免は天皇により認証される。給与は指定職8号俸(事務次官級)の宮内庁次長、次長と同等の特別職の上皇侍従長と式部官長[1][2]より格上の大臣政務官級である[3]
侍従次長(じじゅうじちょう)
侍従次長は侍従長を補佐し、侍従職の事務を整理する。
侍従(じじゅう)
侍従は側近奉仕のことを分掌する。なお、侍従のうち、宮内庁長官が指定する者は侍従職の庶務をつかさどる「侍従職事務主管」という。
女官長(にょかんちょう)
女官長は皇后の側近奉仕のことを総括し、女官を監督する。
女官(にょかん)
女官は皇后の側近奉仕のことを分掌し、女官長を補佐する。
侍医長(じいちょう)
侍医長は天皇、皇后及び皇子女に関する医事を総括する。
侍医(じい)
侍医は天皇、皇后及び皇子女に関する医事を分掌する。
大膳課厨房第一係(だいぜんかちゅうぼうだいいちがかり)
天皇、皇后及び皇子女の和食についての供進、調理に関することをつかさどる。宮内庁管理部大膳課から配属される。
内舎人(うどねり)
天皇、皇后及び皇子女の身の回りの世話をする。
仕人(つこうど)
天皇、皇后及び皇子女の身の回りの世話をする。

歴代侍従長

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氏名 在任期間 備考
徳大寺実則 1871年(明治4年)8月4日(旧暦6月18日) - 1877年(明治10年)8月29日
河瀬真孝 1871年9月20日(旧暦8月6日) - 1873年(明治6年)9月30日
東久世通禧 1871年10月15日(旧暦9月2日) - 1877年8月29日
山口正定 1878年(明治11年)12月24日 - 1884年(明治17年)3月22日
米田虎雄 1878年12月24日 - 1884年3月22日
徳大寺実則 1884年3月21日 - 1912年(大正元年)8月13日
波多野敬直 1912年7月30日 - 8月13日
桂太郎 1912年8月13日 - 12月21日
鷹司煕通 1912年12月21日 - 1918年(大正7年)5月15日
正親町実正 1918年5月27日 - 1922年(大正11年)3月22日
徳川達孝 1922年3月22日 - 1927年(昭和2年)3月3日
珍田捨巳 1927年3月3日 - 1929年(昭和4年)1月16日
鈴木貫太郎 1929年1月22日 - 1936年(昭和11年)11月20日
百武三郎 1936年11月20日 - 1944年(昭和19年)8月29日
藤田尚徳 1944年8月29日 - 1946年(昭和21年)5月3日
大金益次郎 1946年5月3日 - 1948年(昭和23年)6月5日(願)
三谷隆信 1948年(昭和23年)6月5日 - 1965年(昭和40年)3月30日(願)
稲田周一 1965年(昭和40年)3月30日 - 1969年(昭和44年)9月16日(願)
入江相政 1969年(昭和44年)9月16日 - 1985年(昭和60年)9月29日(亡)
徳川義寛 1985年(昭和60年)10月1日 - 1988年(昭和63年)4月13日(願)
山本悟 1988年(昭和63年)4月13日 - 1996年(平成8年)12月12日(願)
渡邉允 1996年(平成8年)12月12日 - 2007年(平成19年)6月15日(願)
川島裕 2007年(平成19年)6月15日 - 2015年(平成27年)5月1日(願)
河相周夫 2015年(平成27年)5月1日 - 2019年(令和元年)5月1日(願) 第125代天皇・明仁の退位に伴い、上皇職トップの上皇侍従長に転任[4]
小田野展丈 2019年(令和元年)5月1日 - 2021年(令和3年)4月1日 前東宮大夫。第126代天皇・徳仁の皇位継承に伴い、東宮大夫から昇格[4]
別所浩郎 2021年(令和3年)4月1日 -

歴代女官長(昭和以降)

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氏名 在任期間 備考
島津治子(島津ハル) 1927年(昭和2年)- 1930年(昭和5年)(願) 男爵島津珍彦の次女。男爵島津長丸の妻。1923年(大正12年)10月から皇太子妃良子女王の東宮女官長。昭和改元に伴い昇格。新興宗教神政龍神会に接近し不敬罪で検挙(島津ハル事件)。
竹屋志計子[注釈 1] 1930年(昭和5年)- 1938年(昭和13年)(願) 子爵竹屋光昭の娘。姉・竹屋津根子は貞明皇后女官長(楊梅典侍)。
保科武子[注釈 2] 1938年(昭和13年)- 1967年(昭和42年)3月22日(願) 北白川宮能久親王第三王女。子爵保科正昭の妻。
小川梅子[注釈 3] 1967年(昭和42年)3月22日 - 1969年 女官長事務代理(上席女官)
北白川祥子[注釈 4] 1969年(昭和44年)5月20日 - 1989年(平成元年)1月11日 男爵徳川義恕次女。北白川宮永久王妃。平成改元に伴い皇太后宮女官長(2001年(平成13年)6月30日まで)
松村淑子[注釈 5] 1989年(平成元年)1月11日 - 1990年(平成2年)4月17日(願) 男爵島津忠弘次女。経済企画庁事務次官松村敬一の妻。1969年(昭和44年)から明仁親王妃美智子(上皇后美智子)の東宮女官長。平成改元に伴い昇格
井上和子[注釈 6] 1990年(平成2年)4月17日 - 2004年(平成16年)3月31日(願) 侯爵木戸幸一三女。井上準之助五男五郎の妻。
濱本松子[注釈 7] 2004年(平成16年)3月31日 - 2013年(平成25年)4月1日 (願) 侯爵木戸幸一長男孝澄の長女。内閣情報調査室次長濱本康也の妻。
伊東典子[注釈 8] 2013年(平成25年)4月1日 - 2019年(令和元年)5月1日 大久保利通の曾孫。令和改元に伴い上皇女官長に異動
西宮幸子[注釈 9] 2019年(令和元年)5月1日 - 津田塾大学卒業。元銀行員。駐中華人民共和国特命全権大使(赴任前に急逝)西宮伸一の妻。令和改元に伴い東宮女官長から昇格

歴代女官(明治以降)

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氏名 在任期間 備考
四辻清子[注釈 10] 1872年(明治5年)4月24日 - 1902年(明治35年)1月10日
樹下範子[注釈 11] 1872年(明治5年)4月24日 - ?
葉室光子 1872年(明治5年)4月24日 - 1873年(明治6年)9月22日
橋本夏子 1872年(明治5年)4月24日 - 1873年(明治6年)11月14日
植松務子[注釈 12] 1872年(明治5年)4月24日 - 1899年(明治32年)5月19日
唐橋貞子[注釈 13] 1872年(明治5年)4月24日 - 1924年(大正13年)11月13日
壬生広子[注釈 14] 1872年(明治5年)4月24日 - 1919年(大正8年)1月3日
鳥居大路應子[注釈 15] 1872年(明治5年)4月24日 - 1917年(大正6年)1月18日
三上文子[注釈 16] 1872年(明治5年)4月24日 - 1909年(明治42年)2月4日
高倉忠子[注釈 17] 1872年(明治5年)4月24日 - 1930年(昭和5年)1月27日
藤岡ヤス 1872年(明治5年)4月24日 - 1898年(明治31年)
西野亀子 1872年(明治5年)4月24日 - 1899年(明治32年)3月10日
清水谷秋子 1872年(明治5年)4月24日 - ?
千種任子[注釈 18] 1872年(明治5年)4月24日 - 1944年(昭和19年)2月
慈光寺演子[注釈 19] 1872年(明治5年)4月24日 - ?
西西子[注釈 20] 1872年(明治5年)4月24日 - 1937年(昭和12年)2月2日
堀川武子[注釈 21] 1872年(明治5年)4月24日 - 1907年(明治40年)1月29日
山岡淑子 1977年 - 1877年8月29日
伊地知幹子[注釈 22] 1977年 - 1979年1月16日
津軽理喜子[注釈 23] 1878年12月24日 - 1884年3月22日
油小路裳子[注釈 24] 1977年 - 1877年8月29日
北村民枝 1977年 - 1979年1月16日
万里小路そで[注釈 25] 1878年12月24日 - 1884年3月22日
今城誼子 1953年4月10日 - 1977年8月29日
福永泰子 1971年 - 1989年
小野慰子[注釈 26] 1977年 - 1877年8月29日
原田リツ 1977年 - 1979年1月16日
市村菊重 1878年12月24日 - 1884年3月22日
久保喜美子[注釈 27] 1884年3月21日 - 1912年(大正元年)8月13日
田村和子[注釈 28] 1979年1月16日 - 8月13日
飯島蘭子[注釈 29] 2008年1月1日 - 3月31日
津島南枝[注釈 30] 2023年5月1日[5] -

歴代侍医長

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氏名 在任期間 備考
塚原伊勢松 1955年(昭和30年)9月16日 - 1959年(昭和34年)5月1日(願) 皇室医務主管併任
村山浩一 1959年(昭和34年)5月1日 - 1966年(昭和41年)2月18日(願) 本務・皇室医務主管兼侍医長兼宮内庁病院長
西野重孝 1966年(昭和41年)2月18日 - 1983年(昭和58年)10月1日(願) 本務・皇室医務主管
星川光正 1983年(昭和58年)10月1日 - 1987年(昭和62年)6月1日(※) 本務・皇室医務主管
1987年(昭和62年)6月1日免兼官、退職
高木顯 1987年(昭和62年)6月1日 - 1988年(昭和63年)4月12日
1988年(昭和63年)4月12日 - 1989年(平成元年)6月20日(※) 皇室医務主管兼侍医長
1989年(平成元年)1月11日皇太后宮侍医長兼任
1989年(平成元年)6月20日侍医長のみ免兼官
池永達雄 1989年(平成元年)6月20日 - 1991年(平成3年)4月1日
1991年(平成3年)4月1日 - 1999年(平成11年)4月1日(願) 皇室医務主管兼侍医長
森憲二 1999年(平成11年)4月1日 - 2001年(平成13年)4月1日(願)
中村雄二 2001年(平成13年)4月1日 - 2004年(平成16年)4月1日(願)
大城秀巳[注釈 31] 2004年(平成16年)4月1日 - 2009年(平成21年)12月1日(願)
市倉隆[注釈 32] 2009年(平成21年)12月1日 - 2019年(令和元年)5月1日 皇位継承に伴い上皇侍医長に異動
井上暁[注釈 33] 2019年(令和元年)5月1日 - 皇位継承に伴い東宮侍医長から異動

関連項目

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脚注

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注釈

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  1. ^ 竹屋光昭子爵令嬢。姉・津根子は皇太后(貞明皇后)宮女官長。
  2. ^ 保科正昭子爵夫人。北白川宮能久親王第三王女。
  3. ^ 伊地知幸介男爵令嬢、小川武次子爵夫人。
  4. ^ 徳川義恕男爵令嬢、北白川宮永久王の妃で、戦後臣籍降下。実兄は同時期に侍従長を務めた徳川義寛常陸宮妃華子の叔母
  5. ^ 島津忠弘男爵令嬢。邦彦王妃俔子の姪。夫は経済企画事務次官・松村敬一(松村真一郎四男)
  6. ^ 木戸幸一侯爵令嬢。夫は井上五郎(井上準之助五男)
  7. ^ 木戸幸一の孫。夫は在オーストリア大使・濱本康也。
  8. ^ 大久保利通の曾孫。
  9. ^ 外務審議官西宮伸一の妻。
  10. ^ 羽林家・四辻公績大納言の三女。
  11. ^ 日吉大社社司・樹下成節
  12. ^ 植松雅言令嬢、梅溪通治子爵夫人。
  13. ^ 半家・唐橋在光少納言の長女。
  14. ^ 地下家・壬生輔世官務の娘。
  15. ^ 賀茂神社社司・鳥居大路道平の娘。
  16. ^ 北面武士三上景文六女。
  17. ^ 半家・高倉永胤侍従の三女。
  18. ^ 千種有任子爵令嬢。
  19. ^ 慈光寺有仲子爵令嬢。泉慶寺上人・杉生慶厳の妻。
  20. ^ 春日大社祠官・西師応四女。
  21. ^ 北面武士・堀川宣弘三女。
  22. ^ 西郷従道侯爵令嬢。伊地知幸介男爵夫人。
  23. ^ 津軽承昭伯爵令嬢、津軽行雅男爵夫人。常陸宮正仁親王妃華子の大伯母。
  24. ^ 油小路隆董伯爵令嬢。
  25. ^ 万里小路正秀男爵令嬢。夫は政務官猪野毛利栄
  26. ^ 戸沢正己子爵令嬢。夫は海軍中尉・小野金雄。
  27. ^ 工学博士・上野景明(上野景範長男)の次女。
  28. ^ 貴族院議員・田村駒治郎の五女。
  29. ^ 秋篠宮家侍女長。
  30. ^ 通訳者外務事務次官門脇季光の孫。
  31. ^ 日本赤十字社医療センター副院長
  32. ^ 防衛医科大学校外科講師
  33. ^ 東京都立墨東病院外科部長

出典

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外部リンク

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