* [[ノート:南京事件 (1937年)/関連文献]]
== 虚偽出典の指摘 ==
*[[南京事件#犠牲者(一般市民)]]の冒頭に「笠原 (1997)、17頁、36-37頁」を典拠としたとする文が書かれています。ところが、笠原『南京事件』17頁には、庄司得二『南京日本居留民誌』からの引用があり南京からの日本人の引き揚げの様子が書かれていますが、爆撃への言及はありません。36~37頁には爆撃の様子、37頁には爆撃が報道されたことが書かれていて、9月28日の連盟総会で「都市爆撃にたいする国際連盟の対日非難決議」が採択されたことが書かれています。「・・・400人近くの市民が死亡した」ということは書かれていません。虚偽出典状態となっています。[[利用者:Harukaikeda]]さんはじめ、当該ソースが手元にあると思われる利用者の方々による再検証を希望します。当該記述は、{{特別:差分/58685653}}で[[利用者:Japanese sincerity]]さんによって追加されているようです。-- [[利用者:Takabeg|Takabeg]]([[利用者‐会話:Takabeg|会話]]) 2020年5月27日 (水) 11:51 (UTC)
すみません。空爆の被害は40ページに記載されていました。それこれあって、修正します。--[[利用者:Japanese sincerity|Japanese sincerity]]([[利用者‐会話:Japanese sincerity|会話]]) 2020年5月29日 (金) 11:56 (UTC)
*[[南京事件#犠牲者(一般市民)]]にある「ただし、日本軍の南京占領が確定して戦闘が終結した後は、」ではじまり「と指摘する」でおわる箇所において、「「南京難民区の百日 虐殺を見た外国人」 笠原十九司 岩波現代文庫 岩波書店78-82頁」と「秦 (2007)、84頁」が出典として提示されていますが、『南京難民区の百日 虐殺を見た外国人』の文庫版は所有していないので後日検証してみますが、秦の新書本の84頁 (旧版、増補版とも同じ頁)は、「水道は十二月十日、電気は十一日、電話は陥落の当日まで稼働していたので、マギー牧師が言ったように、安全区は難民たちの「天国」だったかも知れない。そのせいか、戦火を避けて流入してくる難民の数は激増した。」といったことが書かれているのですが、「その理由として秦郁彦は、(略) と指摘する」というような「暴虐行為は過大にならなかった理由」は書かれていません。虚偽出典なのではないでしょうか? {{特別:差分/63481040}}で[[利用者:Japanese sincerity]]さんによって追加されているようです。-- [[利用者:Takabeg|Takabeg]]([[利用者‐会話:Takabeg|会話]]) 2020年5月27日 (水) 12:08 (UTC)
的確なページと記述に修正します。--[[利用者:Japanese sincerity|Japanese sincerity]]([[利用者‐会話:Japanese sincerity|会話]]) 2020年5月29日 (金) 12:31 (UTC)
*[[南京事件#中華民国(国民党)]]の冒頭に「「ドイツ外交官が見た南京事件」 石田勇治等 大月書店 (2001) 136-139頁」を典拠としたとるする「1938年1月に国際連盟の第100回理事会で中国の顧維鈞代表は日本の侵略を訴え、2月2日に理事会は、その前年の10月の総会決議を再度確認(remember)し、日本の軍事行動が九カ国条約及び不戦条約に違反しているとした。中国は経済制裁も求めたが、イギリス・フランスが反対した」という箇所があります。136頁には「一九三八年二月一日付 文書番号C・六九/一九三八/七 中国政府の提訴にもとづく決議案」が、137~139頁には「資料 41 添付書類 一九三八年二月一日付 国際連盟理事会第六会議議事録 議長による決議案に続き、顧維鈞氏の演説」が掲載されていますが、「日本の軍事行動が九カ国条約及び不戦条約に違反しているとした」とも、「中国は経済制裁も求めたが、イギリス・フランスが反対した」とも書かれていません。決議案には「日本」という固有名詞も、「侵略」という用語も記載されていません。そもそも、本記事に直接的な関係はないのではないかと思います。関係のあるのは、決議案ではなく、「顧維鈞氏の演説」のほうです。{{特別:差分/59247196}}で[[利用者:Japanese sincerity]]さんによって追加されているようです。-- [[利用者:Takabeg|Takabeg]]([[利用者‐会話:Takabeg|会話]]) 2020年5月27日 (水) 12:30 (UTC)
この内容は記載内容を書き換えます。確かに、歴史的事実に間違いがなくとも引用に間違いがありました。--[[利用者:Japanese sincerity|Japanese sincerity]]([[利用者‐会話:Japanese sincerity|会話]]) 2020年5月29日 (金) 12:32 (UTC)
*[[南京事件#犠牲者(一般市民)]]にある「日本軍による南京城市陥落(12月13日)の前後に、」ではじまり「(新路口事件)がある」でおわる箇所において、「笠原 (1997)、138頁、ラーベ『南京の真実』(講談社, 1997年)213頁」が典拠として示されていますが、笠原、138頁には、「敗残兵や避難民の自殺行為に等しい渡江」について書かれおり、ラーベ、213頁には、マギーが8歳と4歳の少女を見つけ、親族は11人だったというが残らず残忍な殺され方をしていた話が書かれていますが、「日本軍による南京城市陥落(12月13日)の前後に、日本軍の攻撃や掃討や暴力行為に巻き込まれた市民が少なからず存在したとされる(城外を出て長江を渡って逃げる途中の市民(婦女子も含む)が兵士とともに銃撃を受けて殺されたとの証言、日本兵による攻撃や暴力で殺害されたとの証言(新路口事件)がある」という文の典拠にはできませんし、検証可能性も確保されていません。これもまた虚偽出典状態になります。{{特別:差分/57351167}}で-[[利用者:Japanese sincerity]]さんによって追加されているようです。-- [[利用者:Takabeg|Takabeg]]([[利用者‐会話:Takabeg|会話]]) 2020年5月27日 (水) 13:39 (UTC)
すみません。的確なページに差し替えます。--[[利用者:Japanese sincerity|Japanese sincerity]]([[利用者‐会話:Japanese sincerity|会話]]) 2020年5月29日 (金) 12:13 (UTC)
内容については総じて、Takabegさんに感謝するばかり。申し訳ありません--[[利用者:Japanese sincerity|Japanese sincerity]]([[利用者‐会話:Japanese sincerity|会話]]) 2020年5月31日 (日) 12:57 (UTC)
: [[利用者:Japanese sincerity|Japanese sincerity]]さんへ。例えば「笠原 (1997)、17-42頁」「秦 (2007)、5-14頁 132-136頁」「笠原 (1997)157-8頁 172-183頁 191-200頁」などとありますが、余りにも多くのページを読まないと検証できないということになってしまいます。もう少し「ピンポイント」で検証可能な状態にしていただければ幸いです。そういえば、漢奸狩りの記述がなくなっているようなのですが、さんぽーるさんの仕業のようです。どういうわけか、彼/彼女は無関係な記述を大量に記載し、関連のある記述は消してしまう癖がありました。飽きたのか亡くなったのかは存じませんが、活動していないようです。おそらく[[利用者:Chichiii|この利用者]]と同一人物だったのではないかと推測しています。それでは。-- [[利用者:Takabeg|Takabeg]]([[利用者‐会話:Takabeg|会話]]) 2020年6月2日 (火) 13:39 (UTC)
::「秦 (2007)、5-14頁 132-136頁」はページ数で言えば14ページですね。本なら1つの節(章・節の区分での節)くらいの長さです。1つのまとまった主張をする短い論文の長さと言ってもいいでしょう。それが単純に出典として長すぎるとは思えません。まとまった論証の流れがあるものを出典とするときは、一部分を切り取らないようにすることも重要です。「いつ誰がどこにいた」など事実報告であって異論が出ていないようなものなら、ピンポイントの出典が期待されるかとは思いますが。長さだけを見ず内容で見て、実際不要な部分があるなら「Xページ目から先は別の話に切り替わっているのでここの出典に適さない」などと指摘する方が建設的だと思います。 --[[特別:投稿記録/2001:268:C086:F846:A9E3:F5F3:3BAB:D716|2001:268:C086:F846:A9E3:F5F3:3BAB:D716]] 2021年3月27日 (土) 11:14 (UTC)
== 南京攻略戦の指揮官について ==
海外文献『Chen, World War II Database』、『David Bergamini, Japan's imperial Conspiracy』では、1937年11月~12月、[[松井石根]]は病気のため、[[朝香宮鳩彦]]が一時的な指揮官になったと記載があります。本文の南京攻略戦の指揮官は[[松井石根]]のように記載されていますが、訂正する必要があるのでしょうか。--[[利用者:G0mao|G0mao]]([[利用者‐会話:G0mao|会話]]) 2021年1月30日 (土) 04:10 (UTC)
*まず"World War II Database"についてですが、[[Wikipedia:信頼できる情報源#歴史]]に当てはまるかどうか考えてみる必要があるかと思われます。"十二月二日に、朝香宮鳩彦王が上海派遣軍司令官に発令 (親補)、同月七日に着任"というのが史実のようです (防衛研修所戦史室『戦史叢書 支那事変陸軍作戦<1>昭和十三年一月まで』[[朝雲新聞社]]、[http://www.nids.mod.go.jp/military_history_search/SoshoView?kanno=086# 422頁] (222コマ目)、[[洞富雄]]『近代戦史の謎』[[新人物往来社]]、55頁。[[秦郁彦]]『南京事件』[[中央公論新社]]、37、73頁。など多数のソース)ので、1937年11月に松井に代わったとう証拠もないですし、着任の1日前の12月6日に命令を出したという主張も根拠の無い不可思議なものです。[[誤報|misinformation]] (誤報) なのか[[偽情報|disinformation]] (偽情報) なのかはわかりませんが、アウトであることは確実です。
*{{仮リンク|デイヴィット・バーガミニ|en|David Bergamini|label=バーガミニ}}の『天皇の陰謀』についてですが、著者は歴史学者ではありませんので、[[Wikipedia:信頼できる情報源#歴史]]に照らせば、メインの文で使用するのは厳しいのではないでしょうか。[[太田竜]]や[[鬼塚英昭]]らはバーガミニを肯定的に評価しているようなのですが、[[伊藤隆]]は「バーガミニも近衛上奏文も一種の陰謀史観とでもいうべきものである。」と書いており ([[伊藤隆]]「昭和17-20年の近衛-真崎グループ」近代日本研究会編『年報・近代日本研究 1 昭和期の軍部』[[山川出版社]]、1979年10月、252頁。)、[[秦郁彦]]は「[[偽書]]の系譜」として{{仮リンク|ピョートル大帝の遺詔|en|The Will of Peter the Great}}、[[シオン議定書]]、[[ジノヴィエフ書簡]]、毛沢東の世界革命計画書、[[天津教古文書]]と同列に並べています (秦郁彦『昭和史の謎を追う [上]』文藝春秋、11頁。)。[[半藤一利]]は「 D ・バーガミニという人が書いた『天皇の陰謀』([[いいだもも]]訳、れおぽーる書房、前後篇、1973年)」を「[[トンデモ本]]」と見なしていて ([[半藤一利]]・[[御厨貴]]・[[原武史]]『卜部日記・富田メモで読む人間・昭和天皇』朝日新聞社、109頁。)、[[上杉聰]]は「トンデモ陰謀書『天皇の陰謀』」と言及しています ([[上杉聰]]『脱戦争論―小林よしのりとの裁判を経て』[[東方出版]]、85頁。)。[[アイリス・チャン]]の『[[ザ・レイプ・オブ・南京]]』については、バーガミニの「引用」ないしは「剽窃」と言われていますので、説明するまでもないでしょう。とはいえ、この手の「トンデモ本」の類であっても、メインの文以外で言及するのは構わないと思います。これらの主張や妄想に関しては、既に[[南京事件論争#アイリス・チャンの「天皇の陰謀説」]]で言及されているようです。-- [[利用者:Takabeg|Takabeg]]([[利用者‐会話:Takabeg|会話]]) 2021年2月3日 (水) 13:37 (UTC)
"World War II Database"については、信頼できる情報源について疑義があることを明記したうえで、記載してもよいのではないでしょうか。本章に入れるのではなく、メイン以外で言及することを提案致します。"World War II Database"はWikipediaの外国語言語版にほぼ記載されており、特筆性があると考えます。また、"World War II Database"について虚偽などが明らかになった場合は、外国言語版にも記載できるのではないかと考えます。バーガミニについても、本章でなく、メイン以外で言及することを提案致します。--[[利用者:G0mao-3|G0mao-3]]([[利用者‐会話:G0mao-3|会話]]) 2021年2月7日 (日) 11:53 (UTC)
: [[Wikipedia:投稿ブロック依頼/G0mao 追認]]、[[Wikipedia:投稿ブロック依頼/G0mao-3、Donbee-soba]]を見る限り[[利用者:G0mao-3|G0mao-3]]さんと[[利用者:G0mao|G0mao]]さんとは同一人物のようですので (恐らく[[利用者:真ん中]]さんなど他にも多重アカウントがありそうです)、回答する必要もないかと思ったのですが、とりあえずコメントしておきます。信頼性の低い"World War II Database"からわざわざ間違った情報を引用する必要は無いものと考えます。このノートの過去の議論を読んでいただければわかると思いますが、本件は議論のある項目ですので、極論を主張する人々、例えばボブ・ワカバヤシの言うところの[[笠原十九司]]ら左翼系や[[東中野修道]]ら右翼系の人々からの引用のみで執筆するのは中立性に抵触しますし、笠原や東中野の主張のなかには真実性のある記述もありますが、彼らの主張でもってメインの部分を書くのも忌避されているようで、[[南京事件論争]]に掲載されています。そうした状況で、バーガミニら陰謀論の類のものを笠原・東中野らのものよりも優先して本記事に掲載する必要性を全く感じません。[[南京事件論争]]に掲載するのが最良でしょう。-- [[利用者:Takabeg|Takabeg]]([[利用者‐会話:Takabeg|会話]]) 2021年2月13日 (土) 13:39 (UTC)
== 南京事件を南京大虐殺と表記しましょう。 ==
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