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{{複数の問題
|出典の明記=2020年12月
|独自研究=2020年12月
|一次資料=2020年12月
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|社色 = #c3c
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|画像説明 = ルミネエスト
|地図 = {{maplink2|frame=yes|plain=yes|type=point|zoom=13|frame-align=center|frame-width=300}}
|正式名称 = ルミネエスト新宿<ref>[http://www.tokyoto-koho.metro.tokyo.jp/file/koho/id/955/f/2442/14117-06.pdf 東京都広報第14117号] - 東京都 2012年7月12日閲覧</ref><
|所在地郵便番号 = 160-0022
|所在地 = [[東京都]][[新宿区]][[新宿]]三丁目38番1号
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'''ルミネエスト新宿'''(ルミネエストしんじゅく、LUMINE EST)は、[[新宿駅]]東口にある[[駅ビル]]・[[ファッションビル]]である。
== 概
新宿駅東口において[[民衆駅]]を開発
地下1階のうち駅前広場下部分は、地下2階に設置している[[都市計画駐車場]](東京都市計画駐車場第11号新宿駅東口駐車場、株式会社ルミネ運営)の併設[[地下街]]として位置づけられており、地下街としての正式名称は「'''新宿駅東口地下街'''」<ref>[http://www.reiki.metro.tokyo.jp/reiki_honbun/ag10143011.html 消防法第8条の2第1項の規定により消防総監が指定する地下街]{{リンク切れ|date=2020-12-12}}</ref>である。
新宿ステーションビルディングは[[伊勢丹]]、[[髙島屋]]、[[西武グループ]]、[[丸正]]、[[鉄道弘済会]]、[[井野碩哉]](参議院議員、新宿ステーションビル初代社長、新宿ベルク井野朋也店長の祖父)などが株主として名を連ねた。当初は髙島屋が新宿店開設を狙ったが、地元の伊勢丹や[[西武新宿線]]と[[西武新宿駅]]を持つ西武グループが猛反発して巻き返したため、結果的に共同運営の専門店ビルとなった。▼
== 西武新宿線乗り入れ計画 ==
設立時において新宿ステーションビルディングは[[日本国有鉄道|国鉄]]の非出資会社であった(代わりに[[鉄道弘済会]]が出資。)。新宿地区は国鉄および[[国鉄分割民営化|分割民営化]]後のJR東日本にとっても極めて重要な拠点であるため、JR東日本は新宿ステーションビルディングに資本参加することによってグループ会社化することを検討してきたが、それに反対する株主が新宿ステーションビルディングの株式を買い集める挙に出た<ref name="jr434" />。[[1989年]]には、西武百貨店(現:[[そごう・西武]])はJR東日本にステーションビルの社長交代(反JR派への交代)や役員増員などを要求し、6月の臨時取締役会で西武百貨店からステーションビルへ人材を送り込み「マイシティは西武百貨店の植民地と化している」と言われた。しかしJR東日本側も巻き返し、翌[[1990年]]6月には西武系役員は退陣するに至った。この事態を受け、JR東日本は新宿ステーションビルディングと粘り強い交渉を重ね、お互い相協力して新宿東口の再開発を早急に策定し、もって地域経済およびマイシティの発展向上を図ることを確認し、[[1991年]]3月に新宿ステーションビルディングがJR東日本を引受先とする[[第三者割当増資]]を実施した。これにより、JR東日本は新宿ステーションビルディングおける発行済み株式の50.8%を保有することになった<ref name="jr434" />。その後もJR東日本は新宿ステーションビルディングの株式の買取を進め、[[ルミネ]]との合併前には95.8%の株式を保有していた<ref name="jr434" />。▼
▲新宿ステーションビルディングは、[[伊勢丹]]、[[髙島屋]]、[[西武グループ]]、[[丸正]]、[[鉄道弘済会]]、[[井野碩哉]](参議院議員、新宿ステーションビル初代社長、[[ビア&カフェBERG|新宿ベルク]]井野朋也店長の祖父)などが株主として名を連ねた。当初は髙島屋が新宿店開設を狙ったが、地元の伊勢丹や[[西武新宿線]]と[[西武新宿駅]]を持つ西武グループが猛反発して巻き返したため、結果的に共同運営の専門店ビルとなった。
開業時の[[キャッチコピー]]は「'''250の粒よりの名店=虹のターミナル'''」。オープン前日の新聞広告では「山手線、中央線、総武線、西武線、地下鉄、小田急、京王線…新宿ステーションビルは七つの線が集まる『虹のターミナル』です。」とあり、西武鉄道の乗り入れを前提としたキャッチコピーであることがわかる。
[[2006年]][[4月1日]]、同じ[[JR東日本グループ]]であるルミネに[[吸収合併]]され<ref>『東日本旅客鉄道株式会社二十年史 1987.4-2007.3』p.437</ref>、駅ビル名をマイシティから'''ルミネエスト'''に変更した。▼
オープン当時には西武新宿駅を接続させる計画があったため、[[スタジオアルタ]]側の2階部分は駅舎・[[プラットホーム]]建設用に強固な構造になっている。しかし、ホーム有効長が6両編成までしか取れなかったために乗り入れは断念された。
[[PHP研究所]]編『西武鉄道のひみつ』175頁(同社刊)では「オープン当初は『新宿民衆駅ビル』を名乗り、すぐに『新宿ステーションビル』に改称されました。」と書かれているが、実際にはオープン前日の新聞広告には「新宿ステーションビル」と記載されている。
また中村健治著『東京 消えた! 鉄道計画』46頁([[イカロス出版]]刊)には「確保した狭い駅ビル内ではホームの長さが足りないことが判明した」と、ビル内にホーム建設を予定し、2階吹き抜け部分がホーム跡地であるかのような記述があるが、これも誤りである。
『建築界』1964年8月号「新宿東口民衆駅・新宿駅東口地下駐車場」等に掲載された図面では、西武鉄道の改札はビルの[[スタジオアルタ]]側端部にあり、ホームはビルの外に計画されており、吹き抜けとは関係ないことがわかる。
== 国鉄分割民営化後 ==
設立時において新宿ステーションビルディングは[[日本国有鉄道|国鉄]]の非出資会社で、代わりに[[鉄道弘済会]]が出資した。[[新宿]]地区は国鉄および[[国鉄分割民営化|分割民営化]]後のJR東日本にとっても極めて重要な拠点であるため、JR東日本は新宿ステーションビルディングに資本参加することによってグループ会社化することを検討してきたが、それに反対する株主が新宿ステーションビルディングの株式を買い集める挙に出た<ref name="jr434" />。
[[西武百貨店]](当時は[[セゾングループ]]、現:[[そごう・西武]])は[[1989年]]、JR東日本にステーションビルの社長交代(反JR派への交代)や役員増員などを要求し、6月の臨時取締役会で西武百貨店からステーションビルへ人材を送り込んだため「マイシティは西武百貨店の[[植民地]]と化している」と言われた。しかしJR東日本側も巻き返し、翌[[1990年]]6月には西武系役員は退陣するに至った<ref>『月刊経営塾』1991年6月号「完全に城を明け渡した新宿ステーションビル 敗戦処理に入った堤・セゾン」</ref><ref>林一仁「仮面の経営者・堤清二〈第7弾!〉新宿ステーションビルから追放された日」『[[月刊宝石]]』1991年9月号</ref>。
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▲[[2006年]][[4月1日]]、同じ[[JR東日本グループ]]であるルミネに[[吸収合併]]され<ref>『東日本旅客鉄道株式会社二十年史 1987.4-2007.3』p.437</ref>、駅ビル名をマイシティから'''ルミネエスト'''に変更。「EST」は[[東]]という意味から新宿駅東口を表して名付けられた。
ルミネエストになる数年前からたびたび改装を行い、従来の駅ビル業態よりもターゲットを若い女性に絞り込んだフロア構成となっており、[[ファッションビル]]に近い業態
かつては
また1964年5月20日の新宿ステーションビル開業以来、6階フロア中央にて営業していた[[文房具]]店「岩下書斎堂」(本社
このほか、6階にあった[[印章]]店も2005年9月に撤退。画材・デザイン用品「トゥールズ」は2005年9月に6階から5階に移転した。▼
== フロア構成 ==
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* B2(地下2階) - chambre de charme iki, UNRELISH, N., Omekashi, khaju, KIKKA THE DIARY OF, [[COLONY 2139]], ジェラートピケ、[[ジル・スチュアート#企業としてのジルスチュアート|JILL by JILLSTUART]], SLOBE IENA, [[ディーゼル (ファッションブランド)|DIESEL]], destination Tokyo, HYSTERIC GLAMOUR, [[ユナイテッドアローズ#展開ブランド(レーベル)|BEAUTY&YOUTH UNITED ARROWS]], FURFUR, FREAK'S STORE WOMEN'S, ライチなど<ref name="map">[http://www.lumine.ne.jp/est/map/ フロアガイド] ルミネエスト。2016年9月26日閲覧。</ref>
▲ルミネエストになる数年前からたびたび改装を行い、従来の駅ビル業態よりもターゲットを若い女性に絞り込んだフロア構成となっており、[[ファッションビル]]に近い態様になっている。そのため、かつて食料品売場があった地下2階も、一部を除いてほぼファッションフロアになっている。
▲かつては、6階には[[山下書店]]の本店があり、児童書、有名人のサイン会・握手会などで知られていた。しかし[[2004年]][[10月30日]]の[[ジュンク堂]]書店新宿([[三越]])店開店と前後する形で2004年[[11月23日]]に撤退している。山下書店跡地は改装を経て雑貨店が数店入ったものの長続きせず、[[2005年]][[10月1日]]、[[有隣堂]]が出店。旧山下書店の利用者を意識し、有名人のサイン会・握手会の開催や近隣大書店との差別化を図った品揃えを行ったものの、業績不振のため[[2007年]]1月閉店。跡地には2007年3月に[[セレクトショップ]]「HANJIRO」新宿店が開店したがこれも閉店し、5,6階は2010年代は男性向けのショップが中心となったフロアとなっている。
▲また1964年5月20日の新宿ステーションビル開業以来6階フロア中央にて営業していた[[文房具]]店「岩下書斎堂」(本社は[[栃木県]])は、山下書店の撤退以降業績不振となり、2005年9月9日に南側エレベーター・エスカレーター脇に移動し売り場を縮小の上、リニューアルオープン。業績は持ち直したものの、フロア構成変更のため2007年6月31日に閉店した。跡地は[[眼鏡]]店「Zoff」となっている。
▲このほか6階にあった[[印章]]店も2005年9月に撤退。画材・デザイン用品「トゥールズ」は2005年9月に6階から5階に移転した。
▲また、7階・8階のレストランフロアも[[2002年]]11月に改装され、「SHUN/KAN」(シュンカン)となった。フロア全体と各店舗の内装をデザイナーがプロデュースしたため、かなりスタイリッシュな雰囲気のフロアになっており、人気が回復している。その後、[[2008年]]6月に再度改装され、「7&8DINNER」(シチハチダイナー)となった。
▲== フロア呼称の変遷 ==
▲このビルがマイシティだった時代、[[1980年代]]頃にビル名である「街」を強調し、各フロアを'''「○階」'''ではなく'''「○番街」'''と名づけていた時期があった。エレベーターガールまでが'''「ご利用番街をお知らせ下さい」'''と案内するまでに「番街」という用語の使用を徹底させていた。[[1992年]]の地下階の改装とともに、'''「○階」'''に戻された。
▲==『ベルク』立ち退き騒動 ==
▲{{main|ビア&カフェBERG#ルミネからの立ち退き要求}}
▲== 注釈・出典 ==
{{脚注ヘルプ}}
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== 参考文献 ==
* 東日本旅客鉄道株式会社編『東日本旅客鉄道株式会社二十年史 1987.4-2007.3』 東日本旅客鉄道、2007年。
== 関連項目 ==
* [[民衆駅]]
* [[ルミネ]]
* [[北条司]] - 自身の代表作『[[キャッツ・アイ|キャッツ{{JIS2004フォント|?}}アイ]]』、『[[シティーハンター]]』、『[[エンジェル・ハート]]』にマイシティを登場させている。
▲*[[ビア&カフェBERG]] :地下1階にあるパブ兼喫茶店
== 外部リンク ==
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