丸刈り校則
丸刈り校則(まるがりこうそく)とは、男子の髪型を丸刈りにすることを強制的に定めている学校教育での校則をいう。
主に、中学校で行われたが、一部の高等学校や野球部などの部活でも実践されていた。「単なる心得であって、守る法的義務はない」とされる一方で、守る義務があるかのごとく実践されている場合もあり、他方ではファッションや利便性などの理由から校則に関わらず自主的に丸刈りにする生徒もいる。
1985年段階では日本全国の3分の1の中学校にあった丸刈り校則も[要出典]、2008年段階では50校前後で[要出典]、鹿児島県の奄美地方がそのほとんどを占めていた[要出典]。「丸刈りは芝刈りと同じで、刈らねば芝と同様枯れてしまう」とある奄美地方出身者が語っているのも現実である[誰?]。法務局でさえ土地により「野球部の丸刈りはヘルメットを着用すると蒸れてしまうから短くしなければならない」と言う人がいる[誰?]。なお、奄美地方でも、各中学校で丸刈り校則が廃止となり、2013年度の1学期に奄美市立笠利中学校の丸刈り校則廃止をもって、奄美群島から丸刈り校則が全廃することとなる[1]。2013年中に、日本各地で、中学校の丸刈り校則が全廃の段階となる[要出典]。
沿革
1970年以前
1948年の学制改革以前、とりわけ1945年の敗戦以前においても、旧制中学校の生徒は基本的に丸刈りだったが、校則による強制はなかった。旧制中学校の生徒に課せられていた学校教練(軍事教練)は相当な運動量を要し、頭部を保護する制帽、全身を保護する冬服、足元を保護するゲートルの着用が夏季においても必須であった。発汗による不快感のほか、頭部の放熱に配慮しないと卒倒する危険もあり、このような実利的な要因が大きかった。
子供のくせに長髪はまだ早いといった偏見は既にあったが、軍人の間で丸刈りが励行されており、軍人以外にも丸刈りの者が少なくない時代であったため、以降の時代に比べて抵抗感を示す生徒は少なく、事実上丸刈りが基本となっていたことも問題視されることはなかった。
教練が廃止され、新制中学校・高等学校に改編されて以降は、まず坊ちゃん刈りがはやりだし、中学校での校則で「髪型は丸刈りとする」との記載が目立つようになってきた。
1958年4月、水戸地方法務局は、茨城県立上郷高等学校での丸刈り校則改正運動で退学者が出た事件について「長髪禁止は人権侵害のおそれがある」と、県教育庁に勧告した。
1970年から2000年まで
1974年、日本弁護士連合会は、埼玉県の大井町立大井中学校の丸刈り指導について人権侵害と認定し、大井中学校校長に勧告を出した。
1970年代末、中学校で学校内暴力がはびこり、教師相手に格闘する中学生が続出したり授業妨害が横行してきたので、丸刈り校則を採用して事態を乗り切ろうとする中学校が出てきた。
1984年に、「学校解放新聞」が立ち上げられ、反管理教育運動がさかんとなり、丸刈り校則問題がテレビ・新聞で大きく取り上げられるようになる。
1980年代中頃の数字で、日本全国の中学校の33%で丸刈り校則が実施された。
1985年11月13日、熊本地方裁判所は玉東町立玉東中学校の丸刈り校則の無効確認と不利益処分禁止そして損害賠償を求めた訴えを棄却した。ただし、丸刈り校則の合理性には疑問の余地があるとした。また、丸刈り指導のやり方について「直接の説得」や不利益処分がないことを確認した上、全体として「違法とはいえない」としている。
1987年10月末、三重を除く関西6府県において、全87市の内55市で市内全ての公立中学校で長髪可。87市の内18市で市内全ての公立中学校で丸刈り強制。残る14市では長髪、丸刈り強制どちらも見られる(が、市内で1校のみ強制というケースもいくつかある)。京都府は全市の内丸刈り強制が1校のみと非常に少ない。対して兵庫県では全体の3分の2近くが丸刈り強制であり、関西地区で全市一律丸刈り強制のあった18市の内10市を占める。(毎日新聞昭和62年11月11日)
1989年、『丸刈り校則たった一人の反乱』刊行。愛知県岡崎市で、丸刈り校則を拒否し、一人で長髪通学を続ける中学生と両親の闘いの記録が単行本となる。岡崎市では、1990年前半には、丸刈り校則全廃を達成。
1993年、文部大臣赤松良子が、中学生の丸刈り指導問題について「丸刈りは戦争中の兵隊を思い出しゾッとする」と発言し、のち発言撤回する。このころから、日本各地で丸刈り校則見直しの動きが加速される。
1993年、福島県立医科大学教授の加藤清司により「男子中学生に対する『丸刈り』指導の効果に関する研究」が出される[2]。相関係数を用いて実証的に、丸刈り指導効果を検証した[2]。丸刈り強制率と少年窃盗犯検挙人割合との相関係数が正となり、丸刈り校則による非行防止の効果を否定したものとなった[2]。
1994年7月、この時に丸刈り校則皆無なのは、北海道、東京都、埼玉県、神奈川県、新潟県、京都府、愛媛県、香川県の8都道府県である。前年は北海道、神奈川県、京都府だった。また、11府県で1割以下となっている。丸刈り強制三割以下(皆無も含めて)は32都道府県に及ぶ。この一年間で大幅に見直しが進んだ。(朝日新聞平成6年7月16日)
1995年、神戸市の中学校での丸刈り校則全廃が達成される。1990年ごろまでは、ほとんどの神戸市の中学校で丸刈り指導が行われていた。
1996年、鹿児島県弁護士会は、鹿児島県伊仙町立伊仙中学校の校長に、「丸刈りの規制と指導は憲法・ 子どもの権利条約・教育基本法のいずれにも抵触し、子どもの基本的人権を著しく侵害するのですみやかに廃止するよう」勧告する。丸刈り指導拒否して通学した男子中学生に、別室での説得活動その他の強い指導が行われ、転校を余儀なくされたという事例。
1997年2月22日、最高裁判所は小野市在住の小学生および代理人の「小野市立小野中学校の丸刈り校則無効確認」の訴えを棄却した高裁判決を支持して、上告棄却とした。ただし高裁判決理由で「丸刈り校則は単なる心得であって守る法的義務はない」と確認されている。
1999年、大阪市の中学校での丸刈り校則全廃が達成される。ちなみに、大阪市の中学校の10校ほどが、1990年代になっても、丸刈り校則を維持していた。
2000年以降
2000年、「中学校の丸刈り校則をなくす会」のサイトが立ち上げられる。主として熊本県の中学校の丸刈り校則全廃に向けて、インターネットを駆使した市民運動がスタートする。熊本県の中学校では、2002年9月で過半数の104校で丸刈り校則が実施されていた。
2002年1月、東京都で行われた日教組教研集会の「子ども参画と学校改革」特別分科会で、「以前に、学校が荒れ、生徒を丸刈りにしたら、学校が良くなったこともある」という趣旨の中学生教師の発言が、参加者から批判を浴びることとなった。
2002年3月、熊本県の宇土市立鶴城中学校が、丸刈りを拒否した男子生徒を卒業式に出席させない事態が発生した。
2002年6月、熊本県の鹿央町(現山鹿市鹿央町)ので米野岳中学校で、丸刈り指導を拒否した男子生徒を、中体連大会への出場を辞退させる事件が発生する。熊本県議会で取り上げられ、県教育長が「丸刈り校則を見直す時期」と答弁する。
2006年、熊本県の中学校での丸刈り校則全廃が達成される。丸刈り校則実施率第1位だった熊本県で、4年間で全廃を達成したのは注目された。
2009年3月6日、鹿児島県・奄美群島の公立中学校における男子生徒に対する丸刈りを強制する校則の廃止勧告が同県弁護士会によって送付された。これに対し、県教委義務教育課は「校長が実情に応じて校則を定めており、頭髪を校則で規制することは、一概に人権侵害とはいえない」としている[3]。
2013年6月、奄美市立笠利中学校で、丸刈り校則廃止が生徒総会で可決し、校長も承認を得て、1学期に丸刈り校則廃止実現の運びとなる[1]。これをもって、日本の中学校では、丸刈り校則が廃止となる[要出典]。
1990年における丸刈り校則実施状況
1990年10月18日現在の神戸弁護士会の調査に基づく[4]。都道府県庁所在都市について、主にふれている[4]。
- 福島市および鹿児島市では、全中学校で丸刈り校則を実施[4]
- 神戸市では、81校中78校で、95%以上の学校で、丸刈り校則を実施[4]
- 宮崎市では18校中14校、静岡市では27校中18校、佐賀市では9校中6校、那覇市では17校中10校、徳島市は15校中8校、いずれも過半数の中学校で丸刈り校則を実施[4]
- 山口市では11校中4校、青森市では20校中7校、福井市では21校中6校、松山市では26校中7校、岡山市は34校中9校、いずれも4割以下2割以上の中学校で丸刈り校則を実施[4]
- 福岡市では64校中12校、大阪市では129校中24校、熊本市では27校中5校、いずれも2割未満1割以上の中学校で丸刈り校則を実施[4]
- 山形市では15校中1校、富山市では18校中1校、名古屋市では105校中5校、広島市では59校中2校、東京都23区は431校中4校、いずれも1割未満の中学校で丸刈り校則を実施[4]
- 札幌市、盛岡市、仙台市、秋田市、水戸市、宇都宮市、前橋市、浦和市、千葉市、横浜市、新潟市、金沢市、甲府市、長野市、津市、大津市、京都市、奈良市、和歌山市、鳥取市、松江市、高松市、高知市、長崎市、大分市、いずれも丸刈り校則実施の中学校はない[4]
- 都道府県庁所在都市全体では、13%ほどの中学校で、丸刈り校則が実施[4]
- 福島県では、1991年4月の数字で、92%ほどの中学校で、丸刈り校則が実施[4]
- 秋田県、山形県、岩手県、宮城県、いずれも3割以上5割以下の中学校で丸刈り校則を実施[4]
- 静岡県では、9割以上の中学校で、丸刈り校則が実施[4]
丸刈り校則の目的
- 非行の防止
- 「非行の防止」「深刻な生徒指導上の問題を抱えていて、頭髪を自由化することで、収拾が付かなくなる恐れがある」との発言がある[誰によって?]。「かつて学校が荒れ、生徒を丸刈りにしたら、良くなったこともある」という趣旨の教師の発言が、日教組の2002年の教研集会であった[要出典]。
- 伝統の維持
- 「学校独自の伝統」という説明のされ方もある。丸刈り校則廃止に反対する理由に「伝統」を口実に正当化しようとする向きがある[誰によって?]。
- 頭髪の清潔感の維持
- 丸刈り校則維持の声に「丸刈りでないと不潔だ」ということがある[誰によって?]。
- 地域住民および上級生の強い要望受け入れ
- 丸刈り校則が廃止されると、従来の丸刈り校則に従ってきた地域住民や上級生やOBらにより「今まで我々が丸刈りにしてきたのに、後の世代が丸刈りにならないのは不公平だ」という不満の声が噴出する[誰?]。
脚注
- ^ a b 中学丸刈り、群島ゼロに―最後の1校が校則見直し 南海日日新聞 5月18日(土)付 - データなし(2013年9月17日時点のインターネットアーカイブ)
- ^ a b c 男子中学生に対する「丸刈り」指導の効果に関する研究 加藤清司 平野眞
- ^ 中学丸刈り:県弁護士会、人権侵害と廃止勧告「伝統理由にならぬ」--鹿児島・奄美 - 毎日jp(毎日新聞)2009年3月6日 - データなし(2009年3月8日時点のアーカイブ)
- ^ a b c d e f g h i j k l m 男子中学生に対する「丸刈り」指導の効果に関する研究 加藤清司 平野眞 71p
参考文献
- 坂本秀夫 『校則の研究-誰のための生徒心得か』三一書房 ISBN 978-4380862199
- 坂本秀夫 『校則裁判』 三一書房 ISBN 978-4380932397
- 宮脇明美 『丸刈り校則をぶっとばせ』 花伝社 ISBN 978-4763404039