「徳妃張氏」の版間の差分
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'''徳妃張氏
父の[[張帰覇]]が
[[913年]]に朱友貞が即位すると、張氏を皇后に立てようとしたが、張氏は郊天の祭([[皇帝祭祀]])を行うのを待つよう願った。しかし郊天は行えず、立后もなかった。[[乾化]]5年(915年)9月24日、病状が重篤となった際に[[徳妃]]に封ぜられた(側室の扱い)が、同日に病死した。
朱友貞は暗愚であり、義兄弟の趙巌(姉の長楽公主の夫で、趙犨の子)、張漢鼎と張漢傑(徳妃の兄弟)らが跋扈し、宿将や朱友貞の弟たちの数多くが讒言された。
== 新五代史の記述 ==
『[[新五代史]]』(巻十三 梁家人伝第一)
:末帝
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[[Category:中国の皇族の妃]]
[[Category:五代の妃嬪]]
[[Category:清河張氏|とくひ]]
[[Category:891年生]]
[[Category:915年没]]
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