イントレランス』(英語: Intolerance)は、1916年に公開されたアメリカ映画である。モノクロサイレント。監督・脚本はD・W・グリフィス、主演はリリアン・ギッシュ

イントレランス
Intolerance
公開時のポスター
監督 D・W・グリフィス
脚本 D・W・グリフィス
出演者 リリアン・ギッシュ
撮影 ビリー・ビッツァー英語版
編集 D・W・グリフィス
ジェームズ・スミス
ローズ・スミス
製作会社 ウォーク・プロデューシング・コーポレーション
配給 アメリカ合衆国の旗 トライアングル・フィルム・コーポレーション
日本の旗 小林商会
公開 アメリカ合衆国の旗 1916年8月5日
日本の旗 1919年3月
上映時間 180分
製作国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 英語
製作費 38万5,000ドル
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『イントレランス』(1916)の動画 2h56m27s

いつの時代にも存在する不寛容(イントレランス)を描き、人間の心の狭さを糾弾した。この物語では4つの不寛容のエピソードが挿入されている。その4つのエピソードは、現代のアメリカ(製作当時)を舞台に青年が無実の罪で死刑宣告を受ける「アメリカ篇」(『母と法律』のストーリーにあたる部分)、ファリサイ派の迫害によるキリストの受難を描く「ユダヤ篇」、異なる神の信仰を嫌うベル教神官の裏切りでペルシャに滅ぼされるバビロンを描く「バビロン篇」、フランスのユグノー迫害政策によるサン・バルテルミの虐殺を描く「フランス篇」で、この4つの物語を並列的に描くという斬新な手法を用いて描いた。

本作は巨大なセットを作り、大量のエキストラを動員させるなど、前作『國民の創生』よりも高額の38万5000ドルの製作費を投じ、文字通りの超大作となったものの、興行的に大惨敗した。しかし、4つの物語を並行して描くという構成や、クロスカッティング、大胆なクローズアップカットバック、超ロングショットの遠景、移動撮影などの画期的な撮影技術を駆使して映画独自の表現を行い、アメリカ映画史上の古典的名作として映画史に刻まれている。そんな本作は映画文法を作った作品として高い芸術的評価を受けているだけでなく、ソ連モンタージュ理論を唱えた映画作家を始め、のちの映画界に多大な影響を与えた。

製作

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本作は、異例の大ヒットを記録した前作『國民の創生』を発表したグリフィスが、この作品を製作するために自らの出資で設立したウォーク・プロデューシング・コーポレーションで製作し、グリフィスが当時参加していたトライアングル・フィルム・コーポレーションが配給した。この作品の前に『母と法律』という作品を製作していたが、これに3つの物語を挿入して『イントレランス』として完成させた。1915年の夏ごろに製作を開始し、前作で得た100万ドルを製作に投資した。

「バビロン篇」ではサンセット大通りの脇に高さ90メートル・奥行き1200メートルにも及ぶ巨大な城塞のセットをつくり、城壁は馬車2台が余裕で通れるほどの幅があった。石造建築を含むこの古代バビロンのセットは解体に費用がかかりすぎて、何年も放置された(後述)[1]

 
壮大なバビロンのセット

建築現場でも見られる鉄パイプで作った仮設の組み立て足場を「イントレ」というが、これはバビロンのセットで俯瞰撮影を行うために多くの 俯瞰用 の足場を組んだことから、これをこの映画のタイトルで呼ぶようになり、それが略された事に由来すると言われる[2]

本作の主演はリリアン・ギッシュであるが、彼女は4つの物語には登場せず、物語の間のつなぎに登場する揺り籠を揺らす女性役で出演している。この女性は寛容の象徴・聖母マリアをイメージしているという。出演者にはギッシュ、メエ・マーシュなど、グリフィス作品の常連が出演しているほか、ダグラス・フェアバンクスや監督になる前のフランク・ボーゼージエリッヒ・フォン・シュトロハイムらもエキストラで出演している。

公開・反響

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撮影時の1コマ。左からG・W・ビッツァー、一人置いてジョセフィン・クローウェルD・W・グリフィス、一人置いてエリッヒ・フォン・シュトロハイム

作品はもともと8時間の長さに及び、グリフィスは4時間ずつに分けて2部構成で公開しようと考えていたが、興行主の反対で3時間ほどに短縮された。1916年8月5日カリフォルニアで先行公開され、9月5日ニューヨークのリバティ劇場で封切られた。しかし、4つの物語が同時並行的に進行するという構成があまりにも斬新過ぎて難解だったこと、第一次世界大戦初頭の反戦ムード・厭戦ムードの中で「不寛容」をテーマに構想された映画が、制作が長引いた結果、参戦ムードが高まりはじめた1916年に公開されたために時代の空気と内容が合わなかったこと、アメリカ以外の話も取り上げていたため観客の関心をひかなかったことなどが理由で、興業的には大失敗してしまう。配給元のトライアングル・フィルム・コーポレーションもこの失敗で1917年に製作を停止している。さらにこの影響で壮大なバビロンのセットの解体費用も賄えず、このセットは数年の間廃墟のように残ってしまった。

日本では、1919年(大正8年)3月、小林喜三郎が当時桁外れに高額な入場料である「10円」で興行を打ち、大ヒットする。日本では4つの並行モンタージュをバラバラにつなぎ合わせている。この編集を行ったのは岩藤思雪である。小林は同興行で得た資金で、同年12月に国際活映を設立した。

 
バビロン篇のワンシーン

1989年に、最高入場料8,000円でオーケストラの伴奏付きでリバイバル上映された。リバイバル版にはリチャード・エドランド作の新たなオープニング映像が加えられている[3]。この上映会は同年に日本でも開催され、フルオーケストラ(大友直人指揮:新日本フィルハーモニー交響楽団演奏)の演奏付きで、日本武道館大阪城ホールおよび名古屋の日本ガイシホールの3か所で行われた。同年、アメリカ国立フィルム登録簿に登録された。

現在、作品はパブリックドメインのため、上映時間の異なる様々なバージョンが流布している。16ミリプリントを原版とするキリアム版(176分)、35ミリプリントを原版とし回転数の遅いキノ版(197分)、ケヴィン・ブラウンローとディヴィッド・ギルによる復元版(197分)、ZZプロダクションがアルテ・フランスらと共同で復元したデジタル復元版(177分)の4つのバージョンが主に存在する。日本ではIVC(162分)と紀伊國屋書店(177分)からDVDが発売されている。

評価

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ランキング

以下は日本でのランキング

スタッフ

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キャスト

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ゆりかごで眠る赤ん坊を見詰めるリリアン・ギッシュ
 
メエ・マーシュ

後世への影響

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タヴィアーニ兄弟監督による映画『グッドモーニング・バビロン!』(1987年)は、『イントレランス』製作の舞台裏を描いた映画である。

アニメ版『キテレツ大百科』に『イントレランス』を観て感動したキテレツ、コロ助、みよ子、ブタゴリラ、トンガリの5人が航時機に乗って『イントレランス』を撮影中のD・W・グリフィスに会いに行くエピソードがある(第56話)。

日本の映像、舞台、イベント業界では建築で用いられる金属製の足場のことを“イントレ”という業界用語で呼称するが、その語源はこの作品名でバビロンの巨大セットにちなんで高く組み上げることができる足場を“イントレ”と比喩して呼称するようになった。

脚注

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  1. ^ 宇野俊一ほか編 『日本全史(ジャパン・クロニック)』 講談社、1991年、1023頁。ISBN 4-06-203994-X
  2. ^ 東京映像映画学校. “業界用語辞典「イントレ」”. 2018年10月10日閲覧。
  3. ^ イントレランス(1916) - allcinema

外部リンク

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