エディ・コスタEddie Costa1930年8月14日 - 1962年7月28日)は、アメリカ合衆国ジャズピアニストならびにヴィブラフォン奏者。タル・ファーロウの演奏パートナーとしてしばしば言及される。ペンシルベニア州ノーサンバーランド郡アトラス(マウント・カーメル近郊)の出身[1]

エディ・コスタ
Eddie Costa
出生名 Edwin James Costa
生誕 (1930-08-14) 1930年8月14日
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ペンシルベニア州アトラス
死没 (1962-07-28) 1962年7月28日(31歳没)
ジャンル ジャズビバップ
職業 ピアニストヴァイブ奏者、作曲家、編曲家
担当楽器 ピアノヴィブラフォン
活動期間 1940年代 - 1962年
レーベル コーラル、ドット、ジョシー、ヴァーヴ

1957年に、フィル・ウッズアート・ファーマー、テディ・コティック、ポール・モチアンとのクインテットで初録音を行う。この最初のアルバム『エディ・コスタ・クインテット』は、「時さえ忘れて (I Didn't Know What Times It Was)」や、デイヴ・ブルーベック作曲の今なお斬新な「イン・ユア・オウン・スウィート・ウェイ」の解釈で名高い。後者では、ウッズがピアノを担当し、コスタのヴィブラフォンとファーマーの弱音器つきトランペットを際立たせている。アルバム『ガイズ・アンド・ドールズ・ライク・ヴァイブス』では、自身はヴィブラフォンに専念し、ピアニストのビル・エヴァンスとの共演で録音された。

1962年7月下旬にニューヨーク州のウェストサイド・ハイウェイにおいて自動車事故のために夭折した。

ディスコグラフィ

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リーダー・アルバム

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  • 『エディ・コスタ=ヴィニー・バーク・トリオ』 - Eddie Costa/Vinnie Burke Trio (1956年、Josie) ※with ヴィニー・バーク、ニック・スタビュラス
  • Eddie Costa, Mat Mathews & Don Elliott at Newport (1957年、Verve) ※他グループも収録
  • 『エディ・コスタ・クインテット』 - Eddie Costa Quintet (1957年、Interlude) ※with フィル・ウッズアート・ファーマー、テディ・コティック、ポール・モチアン
  • 『ガイズ・アンド・ドールズ・ライク・ヴァイブス』 - Guys and Dolls Like Vibes (1958年、Coral/Verve) ※with ビル・エヴァンス、ウェンデル・マーシャル、ポール・モチアン
  • 『ハウス・オブ・ブルー・ライツ』 - The House of Blue Lights (1959年、Dot) ※with ウェンデル・マーシャル、ポール・モチアン

脚注

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外部リンク

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