クリスティアーノ・ザネッティ
クリスティアーノ・ザネッティ(Cristiano Zanetti, 1977年4月19日[2] - )は、イタリア・トスカーナ州カッラーラ出身の元イタリア代表の元サッカー選手、現サッカー指導者。選手時代のポジションはミッドフィールダー(守備的MF、センターハーフ)[1]。
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Cristiano ZANETTI | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イタリア | |||||
生年月日 | 1977年4月10日(47歳) | |||||
出身地 | カッラーラ | |||||
身長 | 180cm | |||||
体重 | 75kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF(DMF、CH)[1] | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1989-1996 | フィオレンティーナ | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1994-1996 | フィオレンティーナ | 4 | (0) | |||
1996-1997 | ヴェネツィア | 21 | (0) | |||
1997-1998 | レッジャーナ | 31 | (6) | |||
1998 | インテル | 0 | (0) | |||
1998-1999 | カリアリ | 18 | (0) | |||
1999-2001 | ローマ | 39 | (0) | |||
2001-2006 | インテル | 99 | (2) | |||
2006-2009 | ユヴェントス | 63 | (4) | |||
2009-2011 | フィオレンティーナ | 29 | (0) | |||
2011-2012 | ブレシア | 8 | (0) | |||
通算 | 312 | (6) | ||||
代表歴 | ||||||
2001-2004 | イタリア U-18 | 1 | (0) | |||
1997-2000 | イタリア U-21 | 15 | (0) | |||
2000 | イタリア オリンピック | 4 | (0) | |||
2001-2004 | イタリア | 17 | (1) | |||
監督歴 | ||||||
2013-2014 | ピサ (ユース) | |||||
2014-2015 | プラート (ユース) | |||||
2015-2016 | ピエトラサンタ | |||||
2016-2017 | カッラレーゼ (Berretti) | |||||
2017-2018 | マッセーゼ | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
豊富な運動量と激しいプレッシングを持ち味とする典型的なボランチであった。
経歴
編集2001年にASローマでセリエA優勝を経験すると、翌シーズンからインテルに復帰。加入当初こそレギュラーポジションを確保していたが、2004年にエステバン・カンビアッソが加入すると出場機会が減少し、2005-2006シーズン中にASローマ時代の恩師である、ファビオ・カペッロ率いるユヴェントスへの移籍が内定。(カペッロはザネッティを「世界最高のセンターハーフ」と評していた。)
その後、カルチョ・スキャンダルの影響でカペッロのレアル・マドリード行きが決定すると、ザネッティ自身にも移籍の噂が立ったが、結局はセリエBに降格したユヴェントスに残留することを決意。ダブルボランチの一角として、主力が大量に離脱したユヴェントスの中盤を支えている。2007-2008シーズンはチーム最多のアシスト数を記録し、ユヴェントスのUEFAチャンピオンズリーグ復帰に貢献した。
2009年8月に古巣のフィオレンティーナに2年契約(1年の延長付)で13年振りに復帰。同クラブには本人の下部組織時代にも所属し、「チャンピオンズリーグ出場登録メンバー内に、21歳以前に3年以上自クラブの下部組織に所属した選手を4人登録させる」というUEFAが定める規定を満たしており、事実、移籍後すぐに前述のメンバーに登録された。
2011年1月にブレシアへ移籍した。翌2011-12シーズン中にクラブとの契約を解消し、現役を引退した。