中央同盟国

第一次世界大戦における軍事連合

中央同盟国(ちゅうおうどうめいこく、ドイツ語: Mittelmächteトルコ語: İttifak Devletleri または Bağlaşma Devletleriハンガリー語: Központi hatalmakブルガリア語: Централни сили)は、第一次世界大戦時に連合国(協商国)と戦った諸国を指す名称。日本では単に同盟国と呼ばれることも多い。三国同盟を結んでいたドイツ帝国オーストリア=ハンガリー帝国(もう1か国のイタリア王国は連合国に転じる)およびオスマン帝国ブルガリア王国の4か国を指す。

  中央同盟国及びその植民地

  連合国及びその植民地

  中立国
中央同盟国の4君主。左からドイツ皇帝ヴィルヘルム2世、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世、オスマン帝国皇帝メフメト5世、ブルガリア国王フェルディナント

「中央」同盟国という名称は、対立する連合国のロシアおよびイギリスフランスによって、それらの同盟諸国が東西から挟まれていることに由来する。位置関係においてオスマン帝国は特に着目するべきである。なぜなら、大戦の主因がオスマン債務管理局をめぐる債権国間の対立であり、三国同盟で中央同盟に残るドイツとオーストリアは自国の投下資本と一緒にオスマン帝国の政体を維持しようとしていたからである。

1917年十月革命ののち、崩壊したロシア共和国から次々と独立を宣言した各国が、中央同盟国と同盟を結んでボリシェヴィキとの戦闘を展開した。ボリシェヴィキは中央同盟国の軍事力によって圧倒され、中央同盟国はブレスト=リトフスク条約によって赤軍ならびに艦隊の撤退とそれら諸国の独立を承認させた。

1918年11月に中央同盟国は連合国に降伏し、それら新しい同盟諸国の多くは連合国によって一時的な占領を受けた。中央同盟国を構成した国のうち、ブルガリア王国以外は敗戦後数年のうちに政府が崩壊した(ドイツ革命オーストリア革命トルコ革命)。

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