丹野研太

日本のサッカー選手

丹野 研太(たんの けんた、1986年8月30日 - )は、宮城県仙台市泉区出身のプロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー

丹野 研太
名前
愛称 タンタン、タンちゃん、タンノ
カタカナ タンノ ケンタ
ラテン文字 TANNO Kenta
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1986-08-30) 1986年8月30日(38歳)
出身地 宮城県仙台市泉区
身長 186cm
体重 80kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 栃木SC
ポジション GK
背番号 27
利き足 右足
ユース
2002-2004 FCみやぎバルセロナユース
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2005-2011 セレッソ大阪 1 (0)
2007 V・ファーレン長崎(loan) 1 (0)
2011 大分トリニータ(loan) 6 (0)
2012-2013 大分トリニータ 27 (0)
2014-2019 セレッソ大阪 26 (0)
2020-2022 川崎フロンターレ 9 (0)
2023 いわてグルージャ盛岡 38 (0)
2024- 栃木SC
1. 国内リーグ戦に限る。2023年1月13日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

来歴

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2005年セレッソ大阪に入団。

2007年、当時九州リーグ所属だったV・ファーレン長崎期限付き移籍。レギュラー取りとはならなかったが、公式戦初出場を果たす。シーズン終了後にC大阪へ復帰したが、復帰後もキム・ジンヒョンの控えにとどまった。

2011年途中に大分トリニータに期限付き移籍。この年はシーズン終盤の数試合にスタメンで出場した。

2012年からは完全移籍となり、1月23日に入籍もした[1]清水圭介の後塵を拝しベンチを温める日々が続いたが、第41節・モンテディオ山形戦でスタメンに抜擢されると、以降のJ1昇格プレーオフを含む全公式戦に出場し全試合で失点を許さず、大分のJ1昇格の立役者の一人となった。また、12月26日ユアテックスタジアム仙台で開催された日本プロサッカー選手会主導のチャリティーマッチである「チャリティーサッカー2012」に東北ドリームスの一員として試合に出場した。

2013年はJ1初出場を含む自己最多のリーグ戦25試合に出場したが、チームは最下位に終わり1年でJ2降格。

2014年は古巣・C大阪に武田洋平と入れ替わる形で完全移籍で復帰した。同年は公式戦出場なしに終わったが、2015年キム・ジンヒョンの負傷離脱によってチャンスを掴み、リーグ戦19試合に出場した。

2017年、ルヴァンカップで8試合、リーグ戦で3試合、天皇杯で4試合出場。その計15試合中無失点は9試合。守備陣をはじめとする全体の守備意識の向上もあったとはいえ、要所でのビッグセーブで何度もピンチを救い、2冠の原動力となった[2]

2019年限りでC大阪を契約満了となった[3]

2020年川崎フロンターレに加入[4]。同年はJ1での出場は無かったが、第2GKとして常にベンチ入りを果たし、川崎のJリーグ優勝に貢献した。

2021シーズンも守護神チョン・ソンリョンの控えに留まっていたが、チョンが怪我で離脱したためJ1第7節・大分トリニータ戦で川崎加入後初出場を果たした。その後はソンリョンが復帰するまでの5試合に出場。4勝1分と好成績を残した。

2022シーズンも2ndGKの立ち位置であったが、チョンのアクシデントもありリーグ戦4試合に出場。同年を以て契約満了により退団、フロンターレでは出場した全試合で無敗だった[5]

2023年よりJ3のいわてグルージャ盛岡に移籍[6]。1番手として38試合に出場した。

2024年よりJ2の栃木SCに完全移籍で加入。個人昇格のかっこうとなった[7]

人物

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「誰が出場するか決まったら、そこからはチームメートとして素直にサポートする。」「GKは味方に安心感、安定感を与えるためにミスのない積み重ねが何より大事。後方からチームメートに声を掛けることも大事な役割であり、試合中や練習中のコーチングは基本的にネガティブにならないように意識している。大分時代に当時監督だった田坂和昭に「それ(ポジティブなコーチング)が持ち味だ」と言われ、その言葉を心に留めている。最初の頃は頑張って、意識して声を出していたが、今では自然と声が出るようになって、それが自分の武器になった。」と話している[8]

FCみやぎバルセロナユース在籍時にセレッソ大阪のスカウト担当の小菊昭雄が丹野の獲得を目的に視察に来ていたが、偶然、2学年下で無名だった中学3年の香川真司を発見し、香川も2005年冬にセレッソへの内定が決まった。

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2005 C大阪 27 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2006 0 0 0 0 0 0 0 0
2007 J2 0 0 - - 0 0
長崎 26 九州 1 0 - 3 0 4 0
2008 C大阪 27 J2 0 0 - 0 0 0 0
2009 1 0 - 0 0 1 0
2010 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2011 0 0 - - 0 0
大分 29 J2 6 0 - 1 0 7 0
2012 21 2 0 - 1 0 3 0
2013 J1 25 0 4 0 0 0 29 0
2014 C大阪 27 0 0 0 0 0 0 0 0
2015 J2 19 0 - 0 0 19 0
2016 4 0 - 2 0 6 0
2017 J1 3 0 8 0 4 0 15 0
2018 0 0 2 0 2 0 4 0
2019 0 0 1 0 0 0 1 0
2020 川崎 0 0 1 0 0 0 1 0
2021 5 0 0 0 0 0 5 0
2022 4 0 0 0 1 0 5 0
2023 岩手 1 J3 38 0 - 0 0 0 0
2024 栃木 27 J2
通算 日本 J1 37 0 16 0 7 0 60 0
日本 J2 32 0 - 4 0 36 0
日本 J3 38 0 - 0 0 38 0
日本 九州 1 0 - 3 0 4 0
総通算 108 0 16 0 14 0 138 0
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 期間通算
出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 期間通算
2016 C大23 27 J3 7 0 7 0
2018 1 0 1 0
2019 7 0 7 0
通算 日本 J3 15 0 15 0
総通算 15 0 15 0

その他公式戦

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2011 C大阪 27 0 0
2014 0 0
2018 2 0
2021 川崎 1 0
2022 0 0
通算 AFC 3 0

その他国際公式戦

タイトル

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セレッソ大阪

川崎フロンターレ

脚注

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  1. ^ 丹野 研太選手 入籍のお知らせ”. 大分トリニータ (2012年1月27日). 2012年2月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年2月8日閲覧。
  2. ^ 2017年選手別レビュー|丹野研太編”. まいど!セレッソ. 2021年7月7日閲覧。
  3. ^ 丹野研太選手 契約満了のお知らせ”. セレッソ大阪 (2019年11月29日). 2019年11月29日閲覧。
  4. ^ 丹野研太選手 加入のお知らせ”. 川崎フロンターレ (2019年12月25日). 2019年12月25日閲覧。
  5. ^ 契約満了選手のお知らせ”. 川崎フロンターレ (2022年11月6日). 2023年1月13日閲覧。
  6. ^ 【チーム】丹野研太選手 川崎フロンターレより完全移籍加入のお知らせ”. いわてグルージャ盛岡 (2022年12月30日). 2023年1月13日閲覧。
  7. ^ いわてグルージャ盛岡の丹野研太を完全移籍で獲得。経験豊富なベテランGK。今季はいわての守護神。【ニュース】(23.12.28)”. 2023年12月29日閲覧。
  8. ^ いつも最高の準備を心掛けて”. セレッソ大阪公式サイト. 2021年7月7日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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