仙台区
1878年から1889年まで宮城県にあった自治体
仙台区(せんだいく、旧字体:仙臺區)は、1878年から1889年まで、現在の宮城県仙台市の中心部にあった自治体である。1878年(明治11年)7月22日の郡区町村編制法(明治11年7月22日太政官布告第17号)により、旧仙台城下町の範囲を行政区画として発足した[1]。1889年(明治22年)4月1日、市制の施行とともに仙台市となった。
沿革
編集前史
編集大区小区制下での従前の宮城県第二大区は黒川郡・宮城郡・名取郡で構成されていたが、郡区町村編制法施行により、黒川郡・仙台区・仙台区以外の宮城郡・名取郡の4つに分立することになった。
- 1872年2月16日(明治5年1月8日) - 仙台県(仙臺縣)が宮城県(宮城縣)に改称。
- 1872年5月15日(明治5年4月9日)- 明治5年4月9日太政官布第117号によって大区小区制が始まり、のちに宮城郡が宮城県第二大区となる。
- 1876年(明治9年) - 第二大区が拡張され、宮城郡・名取郡・黒川郡で構成されることになる。
仙台区発足後
編集初代区長(官選)は松倉恂である。仙台区時代の宮城県では、1878年の土木7大プロジェクトであった野蒜築港や貞山運河の整備が1884年(明治17年)9月15日に襲来した台風で挫折する一方、1887年(明治20年)12月15日には日本鉄道第三区線(現 JR東北本線)が仙台周辺にも延伸され、仙台駅や塩竈駅(後の塩釜線塩釜港駅)が開業したことにより、東京府15区(現・東京都)との移動時間が短縮された。また、塩釜港が外港と して興隆した。