宮沢正史
宮沢 正史(みやざわ まさし、1978年4月24日 - )は、山梨県出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー(主にボランチ[5])。現中央大学学友会サッカー部監督[6]。
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名前 | ||||||
愛称 | ミヤ[1][2]、マーシー[1][2] | |||||
カタカナ | ミヤザワ マサシ | |||||
ラテン文字 | MIYAZAWA Masashi | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1978年4月24日(46歳) | |||||
出身地 | 山梨県甲府市[3] | |||||
身長 | 175cm | |||||
体重 | 67kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 左足[4][2] | |||||
ユース | ||||||
1994-1996 | 帝京第三高校 | |||||
1997-2000 | 中央大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2001-2006 | FC東京 | 112 | (11) | |||
2007-2013 | 大分トリニータ | 145 | (0) | |||
2008 | → ベガルタ仙台 (loan) | 2 | (0) | |||
2014-2015 | FC岐阜 | 46 | (1) | |||
通算 | 305 | (12) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
来歴
編集小学3年生(8歳[2])時にサッカーを始める[7]。帝京第三高等学校を経て、1997年に中央大学に進学。同大学のサッカー部に所属し、関東大学リーグのベストイレブンに3年連続で選出されるなど活躍した[8]。3年時には1999年夏季ユニバーシアードに出場[9]。
2001年にFC東京に入団[4]。加入当初は2列目の選手としてプレーしており、フィジカル面での課題があったこと[4]などからトップでの出場機会が少なかったが、翌2002年に原博実が監督に就任すると「(キックの)フォームが誰よりも綺麗」と[10] ボランチのレギュラーに抜擢され、同年のJリーグ優秀新人賞を受賞するなど活躍[11][12]。特にコーナーキックやフリーキックなどセットプレー時に宮沢が蹴るボールはFC東京の得点源となった[7]。また中盤下がり目の位置からの攻撃の第一歩となるロングパス[7][13]、サイドチェンジの正確なボールを蹴る点も大きな特徴であり[14][13]、原の目指す両サイドをワイドに使ったサッカーに欠かせない選手に成長した[11]。2004年以降は今野泰幸や梶山陽平の台頭により控えに回ることが多くなっていた[11][13]。 また、2002年、2003年にはJリーグ選手協会支部代表[15] を、2004年には同支部長を務めた[16]。
2007年、出場機会を求め大分トリニータへ完全移籍[8][17]。開幕時こそスターティングメンバーだったものの、連係がうまくいかなかったことなどからボランチの先発を外れ、一時は左ウイングバックに配された。シーズン途中からボランチにエジミウソン及びホベルトが補強されて以降はベンチ入りも出来ずにいた[18]。2008年は1年間の期限付きでベガルタ仙台へ移籍していたが[19]、左サイドのバックアッパーとしての加入だったこともあり[5]、公式戦3試合のみの出場にとどまった。
2009年より大分へ復帰[20]。2010年からはチームのJ2降格等の影響で多くの主力選手が退団した中、スタメンに再抜擢された。またこの年に日本サッカー協会公認B級コーチライセンスを取得している[21]。2011年からは最年長選手としてチーム主将に就任し、2013年まで計3シーズン務めた[22]。監督の田坂和昭からは、展開力を持つものの守備は弱いとされてきたが、その改善に取り組み、さらにオフ・ザ・ボールのポジショニングにも向上を見せていると評価された[1]。2013年は4年ぶりのJ1でのプレーとなったが、ロドリゴ・マンシャや梶山陽平の加入の影響等によりボランチのポジション争いが激化し[23]、出場機会は前年と比べ減少。先発を外れる試合も少なくなかったが[24]、精神的支柱として[23]心を砕き[24]懸命にチームをまとめた[22]。J2降格が決定した第29節以降はスタメンの座を奪い返すも、同年をもって契約満了により大分を退団[25]。
2014年、積極補強を図るFC岐阜から中盤の司令塔として[26] オファーを受け、同クラブへ移籍[27][28]。中盤底から多彩なパスを供給し[29] 先発に定着した。
2015年シーズン中盤から特別指定選手の青木翼らにスタメンを譲り、同年限りで現役を引退[30]。2016年より、古巣・FC東京のスカウティングスタッフに就任。
2017年9月、安間貴義の暫定監督就任に伴い、トップチームコーチに就任した[31]
2021年1月7日、中央大学サッカー部監督に就任することが発表された。
所属クラブ
編集- ユース経歴
- プロ経歴
個人成績
編集国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2001 | FC東京 | 25 | J1 | 1 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 5 | 0 |
2002 | 16 | 29 | 4 | 7 | 3 | 1 | 0 | 37 | 7 | ||
2003 | 29 | 4 | 8 | 1 | 2 | 0 | 39 | 5 | |||
2004 | 18 | 0 | 4 | 0 | 2 | 0 | 24 | 0 | |||
2005 | 15 | 2 | 5 | 0 | 1 | 0 | 21 | 2 | |||
2006 | 20 | 1 | 2 | 0 | 1 | 0 | 23 | 1 | |||
2007 | 大分 | 14 | 6 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 10 | 0 | |
2008 | 仙台 | 6 | J2 | 2 | 0 | - | 1 | 0 | 3 | 0 | |
2009 | 大分 | 32 | J1 | 12 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 17 | 0 |
2010 | J2 | 30 | 0 | - | 2 | 0 | 32 | 0 | |||
2011 | 38 | 0 | - | 1 | 0 | 39 | 0 | ||||
2012 | 39 | 0 | - | 1 | 0 | 40 | 0 | ||||
2013 | J1 | 20 | 0 | 5 | 0 | 4 | 0 | 29 | 0 | ||
2014 | 岐阜 | 8 | J2 | 31 | 1 | - | 0 | 0 | 31 | 1 | |
2015 | 15 | 0 | - | 2 | 0 | 17 | 0 | ||||
通算 | 日本 | J1 | 150 | 11 | 41 | 4 | 13 | 0 | 204 | 15 | |
日本 | J2 | 155 | 1 | - | 7 | 0 | 162 | 1 | |||
総通算 | 305 | 12 | 41 | 4 | 20 | 0 | 366 | 16 |
その他公式戦
個人タイトル
編集代表歴
編集引退後経歴
編集脚注
編集- ^ a b c 【J2日記】大分:33歳の存在感 - J's GOAL(2011年5月18日)
- ^ a b c d 『Jリーグ選手名鑑 2014J1・J2・J3エルゴラッソ特別編集』三栄書房、2014年、223頁。
- ^ 【J1:第32節 甲府 vs 大分】試合終了後の各選手コメント J's GOAL (2013年11月23日)
- ^ a b c “中央大学4年 宮沢正史選手・来季の入団合意”. 2004年5月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年5月19日閲覧。 FC東京 (2000年9月16日)
- ^ a b “仙台が大分MF宮沢獲得へ”. 2007年12月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月13日閲覧。 日刊スポーツ (2007年12月12日)
- ^ 元Jリーガーたちが挑む母校・中央大の再建。新監督の宮沢正史が中村憲剛とタッグを組んで目指すモノ サッカーダイジェスト 2022年3月7日
- ^ a b c d e 『FC東京ファンブック 2004』毎日新聞社、2004年、30-31頁。
- ^ a b c d e f g “宮沢正史選手大分トリニータへ完全移籍決定のお知らせ”. 2007年1月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月13日閲覧。 FC東京 (2007年1月11日)
- ^ 1999年 第20回ユニバーシアード・マヨルカ(スペイン)大会 ユニバーシアード代表メンバー College Soccer Central
- ^ 週刊サッカーダイジェスト No.1219 担当記者コラム「色褪せない左足」. 日本スポーツ企画出版社. (2013). p. 32
- ^ a b c “宮沢が大分に完全移籍 02年J新人賞も出場減り…新天地求め”. 2007年1月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月13日閲覧。 東京中日スポーツ (2007年1月8日)
- ^ “土肥選手が2002Jリーグ優秀選手賞に、宮沢選手が優秀新人選手賞に選ばれる!”. 2004年5月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月13日閲覧。 FC東京 (2002年12月5日)
- ^ a b c 宮沢 4戦ぶりスタメン『前線の3人うまく使いたい』 東京中日スポーツ (2006年10月27日)
- ^ 飽くなき娯楽性と大勝利の追求、05シーズン版FC東京 原博実監督インタビュー スポーツナビ (2005年4月29日)
- ^ Jリーグ選手協会 JPFA 役員名簿(2002) Jリーグ選手協会 JPFA 役員名簿(2003)
- ^ Jリーグ選手協会 JPFA 役員名簿(2004)
- ^ “宮沢正史選手 完全移籍にて獲得のお知らせ”. 2007年3月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月13日閲覧。 大分トリニータ (2007年1月11日)
- ^ 選手出場記録 (1/2) , (2/2) Jリーグ (2007年12月1日)
- ^ “宮沢正史選手期限付き移籍加入のお知らせ”. 2007年12月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月13日閲覧。 ベガルタ仙台 (2007年12月13日)
- ^ “宮沢正史選手 大分トリニータ復帰のお知らせ”. 2009年1月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月13日閲覧。 ベガルタ仙台 (2009年1月27日)
- ^ 2009(平成21)年度 公認B級コーチ養成講習会 判定結果 (PDF) 日本サッカー協会 (2010年4月7日)
- ^ a b キャプテン・宮沢正史が公式の場で口にした初めての感情「さみしいし、悲しく悔しい気持ちでいっぱい」 blogola (2013年11月28日)
- ^ a b 苦境を支えたキャプテン・宮沢正史が凱旋試合に士気を高める「降格が決まったが、ライバルチームに勝てるよう頑張りたい」 blogola (2013年11月21日)
- ^ a b 宮沢正史が見せた、キャプテンとしての責任感と意地 blogola (2013年10月23日)
- ^ “契約満了選手のお知らせ”. 大分トリニータ (2013年11月27日). 2013年12月22日閲覧。
- ^ 岐阜 宮沢獲り! 再建のキーマンとしてラモス氏が熱望 スポーツニッポン (2013年12月27日)
- ^ 宮沢正史選手 FC岐阜へ完全移籍のお知らせ 大分トリニータ (2014年1月10日)
- ^ 宮沢正史選手、大分トリニータより完全移籍加入のお知らせ FC岐阜 (2014年1月10日)
- ^ 積極的に仕掛け先制 FC岐阜がJFL・大分を圧倒 中日新聞 (2014年2月14日)
- ^ “宮沢 正史選手、現役引退のお知らせ”. FC岐阜 (2015年11月27日). 2015年11月27日閲覧。
- ^ “安間貴義監督就任のお知らせ”. FC東京 (2017年9月10日). 2017年9月10日閲覧。
- ^ “選手・スタッフ一覧(U-15深川)”. FC東京 (2019年). 2019年3月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月11日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 宮沢正史 - Soccerway.com
- 宮沢正史 - FootballDatabase.eu
- 宮沢正史 - WorldFootball.net
- 宮沢正史 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 宮沢正史 - J.League Data Siteによる選手データ
- Interview No.890 (1/2) - ウェイバックマシン(2002年10月2日アーカイブ分) - WEBサッカーマガジン (2002年9月19日)
- 同上 (2/2) - ウェイバックマシン(2002年10月2日アーカイブ分)
- 365日FC東京 <第41回> MF 宮沢正史 ナオと戸田さんをロングパスで生かすのが僕の価値 - ウェイバックマシン(2005年11月11日アーカイブ分) - 東京中日スポーツ (2005年3月11日)
- WEBサッカースクール FILE036 - ウェイバックマシン(2007年12月14日アーカイブ分) - Jリーグ選手協会 (2006年11月10日)
- J2日記 岐阜:あの大銀ドームへ - ウェイバックマシン(2014年6月6日アーカイブ分) - J's GOAL (2014年6月6日)
- プロフィール (2006年版) - ウェイバックマシン(2006年12月7日アーカイブ分) - FC東京
- プロフィール (2013年版) - ウェイバックマシン(2013年12月26日アーカイブ分) - 大分トリニータ