川西實三

日本の内務官僚

川西 實三(かわにし じつぞう、1889年明治22年)1月2日 - 1978年(昭和53年)3月3日)は、日本赤十字社社長などを務めた内務官僚。労働問題の権威として知られた。息子は英文学者東京大学名誉教授の川西進[1]。義兄に、三谷隆正三谷隆信新渡戸稲造を師と仰いだ。

川西 實三
生誕 (1889-01-02) 1889年1月2日
兵庫県神戸市
死没 (1978-03-03) 1978年3月3日(89歳没)
墓地 多磨霊園
出身校 東京帝国大学
職業 中央防災会議委員
配偶者 田鶴子
子供 瑞夫、薫、進、剛
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略歴

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著書

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  • 感銘録 社会保険新報社 1974.6

栄典

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脚注

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  1. ^ 斎藤兆史「受け継がれる教養教育」『教養学部報』2011年10月5日
  2. ^ 『みつばさのかげに』みすず書房、1965年8月30日。 
  3. ^ 第七回総会の派遣代表を発表『大阪毎日新聞』大正14年3月26日(『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編pp190-191 大正ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  4. ^ 『朝日新聞』1946年9月26日一面。
  5. ^ 『朝日新聞』1951年8月7日朝刊二面。
  6. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

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  • 東京都公文書館編『東京都職制沿革』東京都情報連絡室情報公開部都民情報課、1986年
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