本多忠穆
本多 忠穆(ほんだ ただひこ)は、江戸時代後期の伊勢国神戸藩の世嗣。
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 天保元年(1830年)9月20日 |
死没 | 安政3年(1856年)9月22日 |
改名 | 溝口直與、本多忠穆 |
別名 | 虎吉、右京 |
藩 | 伊勢神戸藩世嗣 |
氏族 | 溝口氏、本多氏(彦八郎家) |
父母 |
溝口直諒 本多忠寛 |
兄弟 | 溝口直溥、忠穆、溝口養正、菊姫、重姫ら12男15女 |
子 | 松平乗恵、熾仁親王妃董子、徳川広子 |
略歴
編集安政3年(1856年)8月28日、神戸藩6代藩主・本多忠寛の養子となる。しかし、同年9月22日、家督相続前に早世した。享年27。代わって、出羽国新庄藩から忠貫が養子に迎えられ、嫡子となった。