浜本 万三(はまもと まんそう、1920年9月9日 - 2008年1月21日)は、日本政治家位階従三位勲等勲一等

浜本 万三
はまもと まんそう
生年月日 1920年9月9日
出生地 広島県尾道市
没年月日 (2008-01-21) 2008年1月21日(87歳没)
死没地 広島県広島市
前職 中国電力従業員
所属政党日本社会党→)
社会民主党
称号 従三位
勲一等瑞宝章

日本の旗 第60代 労働大臣
内閣 村山内閣
在任期間 1994年6月30日 - 1995年8月8日

選挙区 広島県選挙区
当選回数 3回
在任期間 1974年7月8日 - 1980年7月7日
1983年 7月10日 - 1995年7月22日
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参議院議員(3期)、日本社会党参議院議員会長参議院社会労働委員長、労働大臣第60代)などを歴任した。

来歴

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広島県尾道市出身。向東高等小学校卒業。

広島電気(現:中国電力)に入社後、労働運動に参加した。日本電気産業労働組合広島県支部委員長や広島県労働組合会議議長などを歴任した。

1974年第10回参議院議員通常選挙日本社会党から立候補し、初当選を果たした[1]。以来、通算18年(2回落選)の国政生活を送る。社会党右派の系譜に連なる政権構想研究会に所属した。在任中は社会党参議院議員会長や参議院社会労働委員長などを歴任。参院社会党の取りまとめ役的な存在であった。1993年社会党シャドーキャビネットの労働大臣、1994年に成立した自社さ連立村山内閣では労働大臣を務め、長年の悲願であった被爆者援護法の制定に被爆地の政治家として尽力した。1995年第17回参議院議員通常選挙には出馬せず、政界を引退[1]

1996年社会民主党が結成されると、社民党広島県連合顧問に就任した。同年、勲一等瑞宝章受章。

2007年広島市長選挙では、社会民主党出身で現職の秋葉忠利ではなく、広島市議会議員の大原邦夫(日本社会党の大原亨の三男)を支援した[1]

2008年1月21日、多臓器不全のため広島市の病院で死去。87歳没。叙従三位

選挙歴

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当落 選挙 施行日 選挙区 政党 得票数 得票率 得票順位
/候補者数
比例区 比例順位
/候補者数
第10回参議院議員通常選挙 1974年7月7日 広島県地方区 日本社会党 352,299 27.1 2/5 - -
第12回参議院議員通常選挙 1980年6月22日 広島県地方区 日本社会党 312,050 22.9 3/4 - -
第12回参議院議員補欠選挙 1981年11月29日 広島県地方区 日本社会党 215,675 24.5 2/3 - -
第13回参議院議員通常選挙 1983年6月26日 広島県選挙区 日本社会党 381,339 38.1 2/3 - -
第15回参議院議員通常選挙 1989年7月23日 広島県選挙区 日本社会党 509,486 38.8 1/4 - -
当選回数3回 (参議院議員3)

著書

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  • 『花は想う人の側に咲く 浜本万三回顧録』広島大学文書館編、現代史料出版、2009年

脚注

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  1. ^ a b c “支持者が明かす 主要3候補ここが魅力”. 中国新聞. (2007年4月4日). オリジナルの2012年12月3日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/asE2 2008年9月28日閲覧。 

関連項目

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  • 松本賢一 - 1974年まで広島県選出・社会党所属参議院議員
  • 藤田進 - 1983年まで広島県選出・社会党所属参議院議員
公職
先代
鳩山邦夫
  労働大臣
第60代:1994年 ‐ 1995年
次代
青木薪次
議会
先代
八代英太
  参議院社会労働委員長
1989年 - 1990年
次代
福間知之
先代
安永英雄
  参議院建設委員長
1979年 - 1980年
次代
大塚喬
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