竹内彬

日本のサッカー選手

竹内 彬(たけうち あきら、1983年6月18日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロサッカー選手。登録ポジションはディフェンダー

竹内 彬
名前
愛称 アキラ
カタカナ タケウチ アキラ
ラテン文字 TAKEUCHI Akira
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1983-06-18) 1983年6月18日(41歳)
出身地 神奈川県横浜市
身長 180cm
体重 70kg
選手情報
ポジション DF
利き足 右足
ユース
1999-2001 日本の旗 向上高等学校
2002-2005 日本の旗 国士舘大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2006-2010 日本の旗 名古屋グランパス 63 (0)
2011-2014 日本の旗 ジェフユナイテッド千葉 122 (11)
2015-2016 日本の旗 名古屋グランパス 63 (2)
2017-2018 日本の旗 大分トリニータ 43 (1)
2018 日本の旗 カマタマーレ讃岐 (loan) 14 (0)
2019-2021 日本の旗 カマタマーレ讃岐 80 (4)
通算 385 (18)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

来歴

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向上高等学校から国士舘大学へ進学。大学時代には大学選抜にも選出された。2006年、同期の片山奨典とともに名古屋グランパスエイトへ入団。1月15日、ユースから昇格した青山隼を含む新人選手5人で入団会見を行った[1]

2006年ナビスコカップ大宮アルディージャ戦でデビューする。この年の出場は、この1試合だけであった。その後、憧れの選手であり師と仰ぐ[2]秋田豊の指導を受ける。翌2007年のリーグ戦第2節ヴァンフォーレ甲府戦に、前半36分から負傷退場した米山篤志の交代[3] でリーグ戦初出場[4]。米山の怪我は大事に至らなかったが、開幕戦で負傷したスピラールは全治6か月[3] の長期離脱となったため、結果的に竹内のセンターバックでの出場機会が増えた。

2008年ドラガン・ストイコビッチが監督に就任すると、システムを3バックから4バックに変える過程で、専門職のいなかった右サイドバックにコンバートされる[5]。開幕戦でヨンセンの同点ゴールをアシストすると、そのままレギュラーとしてリーグ戦31試合に出場した。2009年には背番号2を継承した。田中隼磨の加入によりポジション争いに意欲を見せていた[6] が、ACLの過密日程に加えバヤリツァの長期離脱もあり、本職のセンターバックでの出場も増えた。また、阿部翔平に続くレギュラー格の選手不在の左サイドバックでの起用も検討[7] されていたが、阿部がほぼ全ての試合に出場したことに加え、シーズン中に三都主アレサンドロが加入したこともあり実現には至っていない。

2010年千代反田充の加入もあって出場機会が激減、翌2011年にジェフユナイテッド千葉期限付き移籍[8]。同年5月15日に行われた岡山戦の後半ロスタイムに、左CKからの高いボールを頭で決めて逆転に成功し、プロ初ゴールとなる決勝点を拳げた。2011年はセンターバックのレギュラーとして36試合出場し、7ゴールを挙げた。

2012年より千葉へ完全移籍[9]。この年は、全試合スタメンフル出場を果たした。

2015年より名古屋へ完全移籍で5年ぶりに復帰[10]。2016年限りで契約満了により名古屋を退団[11]

2017年より、大分トリニータに完全移籍[12]。同年は鈴木義宜福森直也と共に3バックの一角としてスタメン出場を続け、終盤2試合と累積警告による出場停止試合1試合を除く全39試合にスタメン出場[13]。翌2018年には前年限りで退団した山岸智の後任としてキャプテンに就任[14]。開幕戦と第3節以外はスタメンを外れる等、リーグ戦では4試合の出場に留まっていたが、試合に絡めない中でもミスして元気の無い選手を叱咤激励するなど、キャプテンとしてチームの為に貢献する姿勢を示していた[15]

8月16日、カマタマーレ讃岐に期限付き移籍[15][16]。讃岐への登録完了後最初の試合となった第29節・横浜FC戦に途中出場すると、翌節からは契約により出場不可であった移籍元の大分戦を除く全試合に先発出場を果たしたが[17]、チームはリーグ戦最下位となりJ3リーグ降格となった。

2019年、讃岐に完全移籍[18]。同シーズンよりキャプテンに就任した[19]

2021年11月15日、同年シーズン限りでの現役引退を発表。2022年シーズンよりカマタマーレ讃岐のトップチーム強化担当と地域連携リーダーのポストに就くことも併せて発表された[20]

エピソード

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  • 守備的な役割で幅広いプレイが可能であり、竹内本人はセンターとサイドのどちらでも能力を発揮できるユーティリティープレーヤーになりたい[6]、竹内が4人いるのが理想のディフェンスラインであると思われたい[21] と語っている。
  • サイドバックとしてはクロスの精度に竹内本人が納得しておらず、ヨンセンの退団に際しては「僕のクロスの精度が低かったから、フローデがゴール量産できなかった」とコメントしている[22]

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2002 国士大 34 JFL 4 0 - 0 0 4 0
2003 4 4 0 - - 4 0
2004 5 0 - - 5 0
2006 名古屋 30 J1 0 0 1 0 0 0 1 0
2007 13 0 4 0 0 0 17 0
2008 31 0 8 0 3 0 42 0
2009 2 13 0 1 0 1 0 15 0
2010 6 0 2 0 3 0 11 0
2011 千葉 3 J2 36 7 - 2 0 38 7
2012 42 2 - 0 0 42 2
2013 36 2 - 2 0 38 2
2014 8 0 - 3 1 11 1
2015 名古屋 2 J1 33 0 7 1 1 0 41 1
2016 30 2 5 1 1 0 36 3
2017 大分 4 J2 39 1 - 0 0 39 1
2018 4 0 - 1 0 5 0
讃岐 30 14 0 - - 14 0
2019 J3 28 2 - 0 0 28 2
2020 34 1 - - 34 1
2021 18 1 - 1 0 19 1
通算 日本 J1 126 2 28 2 9 0 163 4
日本 J2 179 12 - 8 1 187 13
日本 J3 80 4 - 1 0 81 4
日本 JFL 13 0 - 0 0 13 0
総通算 398 18 28 2 18 1 444 20

その他公式戦

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2009 名古屋 2 6 0
通算 AFC 6 0

指導歴

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  • 2022年 - カマタマーレ讃岐
    • 2022年 強化担当兼地域連携リーダー
    • 2023年 - 強化部長兼地域連携リーダー

タイトル

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クラブ

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名古屋グランパス

脚注

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  1. ^ 中日スポーツ (2006年1月16日). “新加入5選手、入団会見 片山、阿部 左サイドで火花”. 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年7月7日閲覧。
  2. ^ 中日新聞. “月刊グラン2007年5月号”. 2016年12月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年7月7日閲覧。
  3. ^ a b 中日スポーツ (2007年3月11日). “竹内、危機救った スピラールに続き米山も故障…”. 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年7月7日閲覧。
  4. ^ 名古屋グランパス. “選手データ 竹内彬”. 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年7月7日閲覧。
  5. ^ 中日スポーツ (2008年6月15日). “<Pixyスタイル>6 竹内彬 右サイドバックでブレーク”. 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年7月7日閲覧。
  6. ^ a b 中日スポーツ (2009年1月28日). “竹内、右DFは渡さない 元代表・田中隼磨とポジション争い”. 2009年7月7日閲覧。[リンク切れ]
  7. ^ 中日スポーツ (2009年3月6日). “竹内、左SB任せろ 本職以外も「大きな経験になる」”. 2009年3月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年7月7日閲覧。
  8. ^ 名古屋グランパス (2010年1月6日). “竹内彬選手、ジェフユナイテッド千葉へ期限付き移籍のお知らせ”. 2011年11月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年1月6日閲覧。
  9. ^ 名古屋グランパス (2012年1月13日). “竹内彬選手、ジェフユナイテッド千葉へ完全移籍のお知らせ”. 2012年1月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年1月13日閲覧。
  10. ^ 名古屋グランパス (2014年12月27日). “竹内 彬選手、来季移籍新加入のお知らせ”. 2014年12月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年12月27日閲覧。
  11. ^ 名古屋グランパス (2016年11月10日). “契約満了選手のお知らせ”. 2016年11月10日閲覧。
  12. ^ 大分トリニータ (2016年12月14日). “竹内彬選手 名古屋グランパスより完全移籍加入のお知らせ”. 2017年1月14日閲覧。
  13. ^ 竹内彬 2017 選手データFootball LAB、2018年1月23日閲覧
  14. ^ 2018シーズン キャプテン、副キャプテン決定のお知らせ2018年1月22日、2018年1月23日閲覧
  15. ^ a b 大分トリニータ『竹内彬選手 カマタマーレ讃岐へ期限付き移籍のお知らせ』(プレスリリース)2018年8月15日https://www.oita-trinita.co.jp/news/20180845644/2018年8月16日閲覧 
  16. ^ カマタマーレ讃岐『【新加入】竹内彬選手 大分トリニータより期限付き移籍加入のお知らせ』(プレスリリース)2018年8月15日https://www.kamatamare.jp/news/?id=137&item=TEAM2018年8月16日閲覧 
  17. ^ J.LEAGUE Data Site (2018年11月17日). “選手出場記録 2018明治安田生命J2リーグ カマタマーレ讃岐”. 2019年1月22日閲覧。
  18. ^ カマタマーレ讃岐『竹内彬 選手 大分トリニータより完全移籍加入のお知らせ』(プレスリリース)2019年1月12日https://www.kamatamare.jp/news/?id=374&item=TEAM2019年1月12日閲覧 
  19. ^ カマタマーレ讃岐『2019シーズン キャプテン・副キャプテン 決定のお知らせ』(プレスリリース)2019年1月22日https://kamatamare.jp/news/?id=385&item=INFO2019年1月22日閲覧 
  20. ^ 【トップチーム】竹内 彬 選手 現役引退および トップチーム強化担当 兼 地域連携リーダー 就任のお知らせ』(プレスリリース)カマタマーレ讃岐、2021年11月15日https://www.kamatamare.jp/news/?id=2054&item=TEAM2021年11月15日閲覧 
  21. ^ 東海ウォーカー (2009年4月1日). “【本誌連載の拡大版】名古屋グランパス・竹内彬選手インタビュー”. 2021年9月15日閲覧。
  22. ^ 中部日本放送グランパスTV

関連項目

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外部リンク

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