順宗 (唐)
唐の皇帝
順宗 李誦 | |
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唐 | |
第13代皇帝 | |
王朝 | 唐 |
在位期間 |
貞元21年1月26日 - 永貞元年8月4日 (805年2月28日 - 8月31日) |
都城 | 長安 |
姓・諱 | 李誦 |
諡号 | 至徳弘道大聖大安孝皇帝 |
廟号 | 順宗 |
生年 |
上元2年1月12日 (761年2月21日) |
没年 |
元和元年1月19日 (806年2月11日) |
父 | 徳宗 |
母 | 王皇后 |
陵墓 | 豊陵 |
年号 | 永貞 : 805年 |
生涯
編集779年に立太子され、805年に徳宗の崩御により即位した。王叔文・王伾を翰林学士に任じ、韋執誼・韓泰・陳諌・柳宗元・劉禹錫・韓曄・凌準・程异(二王八司馬)を登用、徳宗以来続いていた官吏腐敗を一新し、地方への財源建て直し、宦官からの兵権を取り返そうとするなどの永貞の革新の政策を行なっている。
だが、即位して間もなく脳溢血に倒れ、言語障害の後遺症を残した。さらに8月には宦官の具文珍らが結託して皇帝に退位を迫り、即位後7ヶ月で長男の李純に譲位し、自らは太上皇となった。
翌年、咸寧殿で46歳で崩御したが、宦官によって暗殺されたとも伝えられている。