プルイニョー
Plouigneau | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | ブルターニュ地域圏 |
県 (département) | フィニステール県 |
郡 (arrondissement) | モルレー郡 |
小郡 (canton) | 小郡庁所在地 |
INSEEコード | 29199 |
郵便番号 | 29610 |
市長(任期) |
ロランド・ル・ウエルー (2008年 - 2014年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté d'agglomération du Pays de Morlaix |
人口動態 | |
人口 |
4753人 (2010年) |
人口密度 | 75人/km2 |
住民の呼称 | Ignacien, Ignacienne[1] |
地理 | |
座標 | 北緯48度34分 西経3度42分 / 北緯48.57度 西経3.7度座標: 北緯48度34分 西経3度42分 / 北緯48.57度 西経3.7度 |
標高 |
平均:m 最低:m 最高:m |
面積 | 63.48km2 |
公式サイト | Site Internet de la commune de Plouigneau |
プルイニョー (Plouigneau、ブルトン語:Plouigno)は、フランス、ブルターニュ地域圏、フィニステール県のコミューン。
地理
[編集]プルイニョーの町は標高160mの台地上にあり、パリ-ブレスト間を走る高速道が境界を走る。
歴史
[編集]プルイニョーの名は聖イニャス(Saint Ignace)からきている。ブルトン語ではSant Igneauといい、地名はPloué-Igneauといった。このイニャスは元々はブリテン島のコーンウォールで生まれたキリスト教修道士で、名をキニオー(Quiniau)といい、6世紀にイギリス海峡を渡ってブルターニュへやってきた。
しかしプルイニョーより以前にあった教区はランヌルヴォズであった。かつての司祭館、井戸、聖イニャスの泉が、初期のキリスト教の基盤があった証明となっている。
1789年のフランス革命以降にランネアヌ小教区が独立したコミューンになったにもかかわらず、残った8つの小教区が集まって1つのコミューンを形成した。これが現在のプルイニョーである。
1896年の文書は、サン・メンの無原罪の御宿り姉妹会が、プルイニョーの病人の家を回って世話をしていたことを示している[2]。
人口統計
[編集]1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2006年 | 2010年 |
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2913 | 2844 | 3172 | 3608 | 4023 | 4138 | 4367 | 4753 |
参照元:1999年までEHESS[3]、2000年以降INSEE[4][5]
史跡
[編集]-
Creac'h Edernのメンヒル
-
Croas ar Peulvenの石碑
姉妹都市
[編集]脚注
[編集]- ^ "Nom des habitants". www.habitants.fr. 2010年7月28日閲覧。
- ^ La France charitable et prévoyante : tableaux des œuvres et institutions des départements, numéro 1, 1896, consultable http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k5802221d/f627.image.r=Bourg-Blanc.langFR
- ^ http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=27231
- ^ http://www.statistiques-locales.insee.fr
- ^ http://www.insee.fr