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伊瀬知好成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
伊瀬知いせち 好成よしなり
生誕 1848年11月23日
死没 (1922-09-29) 1922年9月29日(73歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1871年 - 1906年
最終階級 陸軍中将
指揮 第6師団
近衛歩兵第2旅団長
威海衛占領軍司令官
歩兵第11旅団長
歩兵第2連隊
戦闘 西南戦争
日清戦争
*旅順攻囲戦
日露戦争
除隊後 貴族院議員
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伊瀬知 好成(いせち よしなり、1848年11月23日嘉永元年10月28日[1])- 1922年大正11年)9月29日[1][注 1])は、明治から大正期の日本陸軍軍人政治家貴族院議員。陸軍中将正三位勲一等功四級男爵[2]

経歴

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薩摩藩士[3][4]薩摩国鹿児島郡鹿児島城[5]で伊瀬知勇四郎の息子として生まれる[3]戊辰戦争に出征し戦傷を受けた[3][4]

1871年9月10日(明治4年7月25日)、陸軍少尉に任官[6]西南戦争に従軍[4]1886年(明治19年)5月、歩兵第8連隊長となり、1890年(明治23年)6月、歩兵大佐に昇進して近衛歩兵第3連隊長に異動[6]1894年(明治27年)9月、歩兵第2連隊長に就任[6]

日清戦争に出征し、旅順攻略戦に参加[1]1895年(明治28年)1月、大寺安純少将の後任として第1師団参謀長となった[1][6]。翌月、陸軍少将として大寺少将後任の歩兵第11旅団長に就任[1][6]。同年11月、威海衛占領軍司令官を兼務し[1][6]1896年(明治29年)5月に復員[6]1898年(明治31年)10月、近衛歩兵第2旅団長[1][6]1900年(明治33年)4月、陸軍中将に進み、第6師団長に親補された[1][6]1902年(明治35年)5月に休職し、1904年(明治37年)6月、留守近衛師団長として復帰したが、1906年(明治39年)5月14日に再び休職し[7]、翌年11月13日、予備役に編入[1][6][8]1909年4月1日に後備役となる[9]1914年(大正3年)4月1日に退役した[10]

1907年(明治40年)9月21日、西南・日清・日露戦争の軍功により男爵を叙爵した[3][11]1910年(明治43年)12月27日、貴族院勅選議員に就任した[6][12]公正会に所属して活動し[2]、1922年10月1日まで在任した[2][13]

栄典

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親族

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  • 長男 弘(歩兵中尉、1905年戦死)[3]
  • 二男 輝(男爵)[3]
  • 曾孫 伊瀬知成好(元NHKチーフアナウンサー)[3]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『官報』第3055号(大正11年10月5日)では10月1日。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i 『日本陸軍将官辞典』75頁。
  2. ^ a b c 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』94頁。
  3. ^ a b c d e f g 『平成新修旧華族家系大成 上巻』134-135頁。
  4. ^ a b c 『鹿児島県姓氏家系大辞典』328頁。
  5. ^ 湯地定基家の隣家。『三代軍人列伝 薩摩の武人たち』92頁。
  6. ^ a b c d e f g h i j k 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』24頁。
  7. ^ 『官報』第6861号、明治39年5月16日。
  8. ^ 『官報』第7315号、明治40年11月14日。
  9. ^ 『官報』第7755号、明治42年5月5日。
  10. ^ 『官報』第507号、大正3年4月10日。
  11. ^ 『官報』第7272号、明治40年9月23日。
  12. ^ 『官報』第8257号、明治43年12月28日。
  13. ^ 『官報』第3055号、大正11年10月5日。
  14. ^ 『官報』第2551号「叙任及辞令」1892年1月4日。
  15. ^ 『官報』第3582号「叙任及辞令」1895年6月10日。
  16. ^ 『官報』第3644号「叙任及辞令」1895年8月21日。
  17. ^ 『官報』第6727号「叙任及辞令」1905年12月1日。
  18. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年1月28日。
  19. ^ 『官報』第7272号「授爵敍任及辞令」1907年9月23日。
  20. ^ 『官報』第7337号「叙任及辞令」1907年12月11日。
  21. ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
  22. ^ 『官報』第1317号「叙任及辞令」1916年12月21日。

参考文献

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  • 浜島速夫『三代軍人列伝 薩摩の武人たち』南日本新聞社、1975年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 鹿児島県姓氏家系大辞典編纂委員会編著『鹿児島県姓氏家系大辞典』角川日本姓氏歴史人物大辞典46、角川書店、1994年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。


日本の爵位
先代
叙爵
男爵
伊瀬知(好成)家初代
1907年 - 1922年
次代
伊瀬知輝








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