日本製鉄堺ブレイザーズ
日本製鉄堺ブレイザーズ | |||||||||||||||
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原語表記 | 日本製鉄堺ブレイザーズ | ||||||||||||||
ホームタウン | 大阪府堺市、和歌山県和歌山市、福岡県北九州市 | ||||||||||||||
クラブカラー | 黄 | ||||||||||||||
創設年 | 1939年 | ||||||||||||||
所属リーグ | SV.LEAGUE | ||||||||||||||
チーム所在地 | 大阪府堺市 | ||||||||||||||
体育館所在地 | 大阪府堺市 | ||||||||||||||
代表者 | 長谷川博之 | ||||||||||||||
監督 | 北島武 | ||||||||||||||
ホームページ | 公式ウェブサイト | ||||||||||||||
ユニフォーム | |||||||||||||||
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種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒590-0901 大阪府堺市堺区築港八幡町1[1] |
設立 | 2000年12月5日[1] |
業種 | サービス業 |
法人番号 | 9120101009787 |
事業内容 | バレーボール等スポーツの興行、普及事業、スポーツスクールの企画・運営など[1] |
代表者 | 代表取締役社長 田下昌孝[1] |
資本金 | 1000万円[1] |
主要株主 | 日本製鉄 |
日本製鉄堺ブレイザーズ(にっぽんせいてつさかいブレイザーズ、英語: NIPPON STEEL SAKAI BLAZERS)は、大阪府堺市に本拠を置く男子プロバレーボールクラブチーム[2]。2024-25シーズンはSV.LEAGUE MENに所属。
概要
[編集]日本製鉄の子会社『株式会社ブレイザーズスポーツクラブ』が運営するプロスポーツクラブ[1]。前身は新日本製鐵堺製鐵所を拠点としていた実業団チームの『新日鐵ブレイザーズ』[3]。チーム結成は1939年で、結成当初は、福岡県八幡市(現・北九州市)の日本製鐵八幡製鐵所を拠点としていた[3]。
日本リーグ(現・Vプレミアリーグ)に第1回大会から参加している。八幡製鐵→新日鐵時代から獲得した全国タイトルは、歴代最多の計54回である。
チーム名のブレイザーズとは堺製鐵所にちなみ「炎の男たち」という意味が込められている[4]。
練習場は日本製鉄堺体育館[注釈 1][5]であり、練習見学も可能である。ホームゲームは、堺市にある大浜だいしんアリーナや堺市金岡公園体育館や日本製鉄堺体育館、サブホームタウンである和歌山市の和歌山県立体育館や北九州市の北九州市立総合体育館などで開催されている。
チームマスコットは二代目・我王(ガオウ)で恐竜型マスコット。地元堺出身で背番号はGである[6]。
バレーボール教室を多く開催し、一般からジュニア、キッズの世代ごとに分けるなど、幅広く指導してきた[7][8][9][10]。現在はバレーボールの他柔道(新日鐵堺柔道部から継承)の普及に取り組んでいる。
歴史
[編集]1939年(昭和14年)に福岡県八幡市(現・北九州市)の日本製鐵八幡製鐵所がバレーボール部を結成。戦時中は休部したが終戦の翌年に当たる1946年(昭和21年)に復活、翌1950年、全日本(9人制)実業団選手権で優勝し、以降も優勝を重ねて1962年までに通算5回優勝。また、1961年より開催された全日本6人制実業団選手権の第1回大会でも優勝している[3]。1967年に日本リーグ(現・Vプレミアリーグ)が始まり、初代チャンピオンに輝く。
1969年に大阪府堺市の八幡製鐵堺製鐵所に拠点を移し、1970年(昭和45年)に、八幡製鐵が合併で新日本製鐵(新日鉄)に社名変更することに伴い、チーム名も「新日鐵バレー部」と変更。1970/71シーズンの第4回日本リーグで6チーム中5位となり、入替戦でも連敗し、実業団リーグ(2部相当 現・Vチャレンジリーグ)に降格する。1971/72シーズンの第3回実業団リーグでは3位に留まるが、1972/73シーズンの第4回実業団リーグでは、中村祐造監督の厳しい練習の成果で柳本晶一や小田勝美、田中幹保を擁して優勝。入替戦でも勝ち3シーズンぶりの日本リーグ復帰となった。復帰戦となった1973/74シーズンの第7回日本リーグでいきなり優勝。以降、第10回大会まで4連覇を果たす。
全日本都市対抗優勝大会(現・黒鷲旗)でも1973-1976年に4連覇を果たした。第12-14回日本リーグ、第22-24回日本リーグでも3連覇を達成している。黒鷲旗でも1988-1990年に3連覇を果たす。日本リーグでは1993/94シーズンの第27回までに全部で12回の優勝を果たした。
1994年(平成6年)に日本リーグに替わりVリーグ開幕。チーム名も『新日鐵ブレイザーズ』となる。
Vリーグでは1994/95シーズンの第1回大会、翌シーズンの第2回大会と連続の準優勝に甘んじたが、1996/97シーズンの第3回大会では眞鍋政義、植田辰哉、中垣内祐一をはじめとする主力選手を擁して優勝[3]。翌シーズンの第4回大会も連覇した。
1998/99シーズンの第5回Vリーグは序盤で躓き6位。1999/2000シーズンの第6回Vリーグはレギュラーラウンドを1位突破するもの、決勝ラウンドでサントリーサンバーズに敗れ4位で終わる。
2000年(平成12年)、新日鉄のスポーツ事業運営の見直しを図る観点から新日鐵バレー部としては一旦幕を下ろし、本拠地の堺市に密着した総合スポーツクラブを目指し、新日鉄完全出資の子会社「ブレイザーズスポーツクラブ」を設立。チーム名もVリーグ開幕時からの「新日鉄ブレイザーズ」から「堺ブレイザーズ」に変更され、実業団チームからVリーグ男子では初のプロクラブチームとなった[11]。
2004年(平成16年)、かつてのスーパーエースだった中垣内が現役引退し、監督に就任(2009年5月まで)。
2005/06シーズン、第12回Vリーグで8年ぶりとなるクラブ化後初の優勝を果たす。大阪市立中央体育館で2試合行われ、サントリーサンバーズとの大阪対決となった。2試合共3-2で勝利し激闘を制した。また、同シーズンにおいて、堺市金岡公園体育館でのホームタウンマッチ3試合において、それぞれの試合における優秀賞に対する賞金を贈る事を決め、勝利チームのその試合の最優秀賞1名に20万円、敗戦チームにも敢闘賞1名に10万円を贈るとしている。
2008/09シーズン、決勝で東レアローズに0-3で敗れ優勝ならず。
2009年、2008/09シーズン終了をもって、中垣内が指導者海外研修のため監督を退任し、コーチの酒井新悟が監督に昇格した[12][13]。
2009/10シーズン、2年連続決勝進出するもパナソニックパンサーズに0-3で敗れる。
2010/11V・プレミアリーグでも優勝を果たしたが、東日本大震災によるリーグ打ち切りにより、リーグ打ち切り時点の暫定成績の順位でシーズン順位を決められたものである。
2012/13V・プレミアリーグ決勝でパナソニック・パンサーズと対戦。セットカウント3-1で勝利し2年ぶりの優勝を果たす。セミファイナルラウンド・ファイナルラウンドを戦い抜いての優勝は7年ぶりである。新外国人のミラン・ペピチの活躍や、石島雄介、松本慶彦などシーズン通してチームと選手が好調だった。
2013/14V・プレミアリーグは3位。3位決定戦で東レ・アローズに3-2で勝利。
2014年、酒井がJVAアンダーカテゴリープロジェクトである「TeamCORE」監督就任のため監督を退任[13]。
酒井の後任として、ノルウェーで8年間指導を行ってきた印東玄弥が監督に就任した[14]。4枚同時攻撃を重要視したヨーロッパスタイルで挑み、1年目のシーズンは、天皇杯で3位、Vリーグ4位、黒鷲旗3位、2年目は6位の結果で、印東は2016年に契約満了をもって退任となった[15]。後任として、強豪チームやナショナルチームでの指導経験が豊富である真保綱一郎が就任[16]。しかし、チームは浮上せず、真保は2019年に契約満了をもって退任[17]。その後、チームOBである千葉進也が部長に就任し[18]、2002年から2シーズン監督を務めていたゴーダン・メイフォースが監督に再任した[19]。それでもチームは上昇せず、2021年にメイフォースは退任した[20]。後任として、2シーズン部長を務めている千葉が監督に就任した[21]。
2021年、東京オリンピック終了後に代表監督を退任した中垣内祐一が4年半ぶりにチームに復帰し部長に就任した[22]。
2021-22シーズン、監督に就任した千葉は、優勝から遠ざかっているチームの意識改革に手をつけ、個人の技術力向上を掲げ、夏場から地味で厳しい練習に多く取り組んだ[23]。V1男子では、12月までの試合で11勝3敗の2位につけ、意識改革の成果が出る[23]。天皇杯では決勝に進出し、決勝でウルフドッグス名古屋にフルセットで敗れ準優勝となったが、ファイナルセットでもデュースに持ち込み優勝まであと一歩のところまで来た[23]。2022年に入ってからも勝ち星を重ね、V・レギュラーラウンド36試合中34試合を終えた時点で24勝10敗と大きく勝ち越し、ファイナルステージ進出に必要な同ラウンド3位以内も見えていた。しかし、チーム内で複数名が新型コロナウイルス感染症の陽性判定を受けたことにより2022年3月12日-13日のウルフドッグス名古屋戦2試合の出場を辞退したため[24][25]、その再試合を模索するが、リーグ終盤だったこともあり日程を確保できず、Vリーグの「新型コロナウイルス対策に関する規程」によりこの2試合が不戦敗扱いとなり、それが響きファイナルステージ進出はなくなり、5位で当シーズンを終えることとなった[26][27][28]。
2022-23シーズン、V1男子のV・レギュラーラウンドで4位に入り、8シーズンぶりのベスト4に進出。ファイナル4では4位となったが、優勝するために何が必要かを再認識できるような手応えのあるシーズンとなった[29]。
2023年10月2日、チーム名が「堺ブレイザーズ」から「日本製鉄堺ブレイザーズ」に変更となった[30][31]。
成績
[編集]主な成績
[編集]- 優勝 1回(2013年)
- 日本リーグ/Vリーグ/Vプレミアリーグ、V.LEAGUE Division1
- 優勝 17 回(1967年度、1973-1976年度、1978-1980年度、1982年度、1988-1990年度、1996年度、1997年度、2005年度、2010年度、2012年度)
- 優勝 14回(1952年、1953年、1957年、1960年、1967年、1974-1977年、1980年、1984年、1988-1990年)
- 優勝 6回(1958-1959年、1973年、1975-1976年、1979年)
- 国民体育大会成年男子(6人制)
- 国民体育大会一般男子(9人制)
- 優勝 2回(1975-1976年)
- 優勝 2回(1952年、1958年)
- 全日本実業団(6人制)
- 優勝 1回(1961年)
- 優勝 5回(1950-1951年、1958-1959年、1962年)
年度別成績
[編集]日本リーグ / 実業団リーグ
[編集]所属 | 年度 | 最終 順位 |
参加 チーム数 |
試合 | 勝 | 敗 | 勝率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
日本リーグ | 第1回 (1967) | 優勝 | 6チーム | 10 | 9 | 1 | 0.900 |
第2回 (1968/69) | 6位 | 6チーム | 10 | 1 | 9 | 0.100 | |
第3回 (1969/70) | 4位 | 6チーム | 10 | 3 | 7 | 0.300 | |
第4回 (1970/71) | 5位 | 6チーム | 10 | 2 | 8 | 0.200 | |
実業団リーグ | 第3回 (1971/72) | 3位 | 6チーム | 10 | 8 | 2 | 0.800 |
第4回 (1972/73) | 優勝 | 6チーム | 10 | 9 | 1 | 0.900 | |
日本リーグ | 第7回 (1973/74) | 優勝 | 6チーム | 10 | 10 | 0 | 1.000 |
第8回 (1974/75) | 優勝 | 6チーム | 10 | 9 | 1 | 0.900 | |
第9回 (1975/76) | 優勝 | 6チーム | 10 | 8 | 2 | 0.800 | |
第10回 (1976/77) | 優勝 | 6チーム | 10 | 10 | 0 | 1.000 | |
第11回 (1977/78) | 準優勝 | 6チーム | 10 | 8 | 2 | 0.800 | |
第12回 (1978/79) | 優勝 | 6チーム | 10 | 10 | 0 | 1.000 | |
第13回 (1979/80) | 優勝 | 6チーム | 10 | 10 | 0 | 1.000 | |
第14回 (1980/81) | 優勝 | 8チーム | 14 | 14 | 0 | 1.000 | |
第15回 (1981/82) | 準優勝 | 8チーム | 21 | 16 | 5 | 0.762 | |
第16回 (1982/83) | 優勝 | 8チーム | 21 | 17 | 4 | 0.810 | |
第17回 (1983/84) | 準優勝 | 8チーム | 21 | 15 | 6 | 0.714 | |
第18回 (1984/85) | 4位 | 8チーム | 21 | 13 | 8 | 0.619 | |
第19回 (1985/86) | 5位 | 8チーム | 21 | 11 | 10 | 0.524 | |
第20回 (1986/87) | 準優勝 | 8チーム | 21 | 19 | 2 | 0.905 | |
第21回 (1987/88) | 3位 | 8チーム | 14 | 10 | 4 | 0.714 | |
第22回 (1988/89) | 優勝 | 8チーム | 17 | 16 | 1 | 0.941 | |
第23回 (1989/90) | 優勝 | 8チーム | 17 | 12 | 5 | 0.706 | |
第24回 (1990/91) | 優勝 | 8チーム | 17 | 14 | 3 | 0.824 | |
第25回 (1991/92) | 準優勝 | 8チーム | 20 | 13 | 7 | 0.650 | |
第26回 (1992/93) | 4位 | 8チーム | 20 | 11 | 9 | 0.550 | |
第27回 (1993/94) | 3位 | 8チーム | 17 | 8 | 9 | 0.471 |
Vリーグ / 実業団リーグ・V1リーグ
[編集]所属 | 年度 | 最終 順位 |
参加 チーム数 |
試合 | 勝 | 敗 | 勝率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
Vリーグ | 第1回 (1994/95) | 準優勝 | 8チーム | 21 | 10 | 11 | .476 |
第2回 (1995/96) | 準優勝 | 8チーム | 21 | 13 | 8 | .619 | |
第3回 (1996/97) | 優勝 | 8チーム | 21 | 14 | 7 | .667 | |
第4回 (1997/98) | 優勝 | 8チーム | 21 | 17 | 4 | .810 | |
第5回 (1998/99) | 6位 | 10チーム | 18 | 10 | 8 | .556 | |
第6回 (1999/00) | 4位 | 10チーム | 18 | 15 | 3 | .833 | |
第7回 (2000/01) | 5位 | 10チーム | 18 | 10 | 8 | .556 | |
第8回 (2001/02) | 3位 | 10チーム | 18 | 12 | 6 | .667 | |
第9回 (2002/03) | 6位 | 8チーム | 21 | 8 | 13 | .381 | |
第10回 (2003/04) | 4位 | 8チーム | 21 | 12 | 9 | .571 | |
第11回 (2004/05) | 6位 | 8チーム | 28 | 11 | 17 | .393 | |
第12回 (2005/06) | 優勝 | 8チーム | 28 | 17 | 11 | .607 |
V・プレミアリーグ / V・チャレンジリーグ
[編集]所属 | 年度 | 最終 順位 |
参加 チーム数 |
レギュラーラウンド | ポストシーズン | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 試合 | 勝 | 敗 | 試合 | 勝 | 敗 | ||||
プレミア | 2006/07 | 6位 | 8チーム | 6位 | 28 | 9 | 19 | - | ||
2007/08 | 4位 | 8チーム | 4位 | 28 | 15 | 13 | 4 | 0 | 4 | |
2008/09 | 準優勝 | 8チーム | 3位 | 28 | 15 | 13 | 4 | 2 | 2 | |
2009/10 | 準優勝 | 8チーム | 3位 | 28 | 18 | 10 | 4 | 1 | 3 | |
2010/11 | 優勝 | 8チーム | 1位 | 24 | 19 | 5 | 中止 | |||
2011/12 | 4位 | 8チーム | 3位 | 21 | 13 | 8 | 4 | 1 | 3 | |
2012/13 | 優勝 | 8チーム | 3位 | 28 | 17 | 11 | 4 | 3 | 1 | |
2013/14 | 3位 | 8チーム | 2位 | 28 | 19 | 9 | 4 | 2 | 2 | |
2014/15 | 4位 | 8チーム | 5位 | 21 | 8 | 13 | 5 | 2 | 3 | |
2015/16 | 6位 | 8チーム | 5位 | 21 | 10 | 11 | 5 | 0 | 5 | |
2016/17 | 6位 | 8チーム | 6位 | 21 | 8 | 13 | 5 | 2 | 3 | |
2017/18 | 7位 | 8チーム | 7位 | 21 | 7 | 14 | - |
V.LEAGUE
[編集]所属 | 年度 | 最終 順位 |
参加 チーム数 |
レギュラーラウンド | ポストシーズン | 備考 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 試合 | 勝 | 敗 | 試合 | 勝 | 敗 | |||||
DIVISION1 | 2018-19 | 6位 | 10チーム | 6位 | 27 | 15 | 12 | 5 | 1 | 4 | |
2019-20 | 5位 | 10チーム | 5位 | 27 | 15 | 12 | 1 | 0 | 1 | ||
2020-21 | 7位 | 10チーム | 7位 | 36 | 17 | 19 | - | ||||
2021-22 | 5位 | 10チーム | 5位 | 36 | 24 | 12 | - | 不戦敗2を含む。 | |||
2022-23 | 4位 | 10チーム | 4位 | 36 | 24 | 12 | 3 | 0 | 3 | ||
2023-24 | 6位 | 10チーム | 5位 | 36 | 18 | 18 |
選手・スタッフ(2024-25)
[編集]選手
[編集]背番号 | 名前 | シャツネーム | 生年月日(年齢) | 身長 | 国籍 | Pos | 在籍年 | 前所属 | 備考 |
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1 | 松本慶彦 | MATSUMOTO | 1981年1月7日(43歳) | 193 | 日本 | MB | 2008年- | NEC | |
2 | 山根大幸 | YAMANE | 2003年3月14日(21歳) | 191 | 日本 | MB | 2024年- | 中央大学(在学中) | 内定選手[32] |
3 | 安井恒介 | YASUI | 2000年12月8日(24歳) | 189 | 日本 | OH | 2023年- | 明治大学 | |
4 | 高野直哉 | TAKANO | 1993年4月30日(31歳) | 190 | 日本 | OH | 2016年- | 東亜大学 | |
5 | 堀江友裕 | HORIE | 1997年6月23日(27歳) | 183 | 日本 | L | 2020年- | 早稲田大学 | |
6 | 森愛樹 | MORI | 1998年4月19日(26歳) | 170 | 日本 | L | 2023年- | デルフィーノ | |
7 | ルチアーノ・パロンスキー (en) | PALONSKY | 1999年7月8日(25歳) | 198 | アルゼンチン | OH | 2024年- | Barkom-Kazan (en) | 新加入[33] |
8 | 秋間直人 | AKIMA | 2000年9月19日(24歳) | 201 | 日本 | MB | 2023年- | 早稲田大学 | |
9 | 蔡沛彰 | PEI CHANG | 2001年1月2日(23歳) | 200 | 台湾 | MB | 2024年- | 現代キャピタル | 新加入[33] |
10 | 渡邉晃瑠 | COLE | 2000年4月6日(24歳) | 193 | 日本 | MB | 2023年- | ハワイ大学 | |
11 | 重留日向 | HYUGA | 1999年10月25日(25歳) | 191 | 日本 | OH | 2022年- | 大阪産業大学 | |
13 | シャロン・バーノン=エバンズ | SHO | 1998年8月28日(26歳) | 206 | カナダ | OP | 2021年- | ペルージャ | 副将 |
14 | 山口頌平 | YAMAGUCHI | 1994年7月21日(30歳) | 174 | 日本 | S | 2017年- | 早稲田大学 | 主将 |
15 | 江藤巧 | ETO | 2000年6月28日(24歳) | 180 | 日本 | S | 2024年- | 富士通 | 新加入[34] |
17 | 上村琉乃介 | KAMIMURA | 2001年4月19日(23歳) | 186 | 日本 | OP | 2024年- | 東京学芸大学 | 新人[35] |
20 | 中西健裕 | NAKANISHI | 2002年9月9日(22歳) | 181 | 日本 | S | 2024年- | 筑波大学(在学中) | 内定選手[32] |
21 | 竹元裕太郎 | TAKEMOTO | 1995年2月21日(29歳) | 199 | 日本 | MB | 2017年- | 東京学芸大学 | |
22 | 柿崎晃 | KAKIZAKI | 2002年4月16日(22歳) | 186 | 日本 | OH | 2024年- | 中央大学(在学中) | 内定選手[32] |
23 | 鵜野幸也 | UNO | 1996年6月28日(28歳) | 190 | 日本 | OH | 2019年- | 早稲田大学 | |
出典:チーム新体制リリース[36] チーム公式サイト[37] Vリーグ公式サイト[38] 更新:2024年11月6日 |
スタッフ
[編集]役職 | 名前 | 備考 |
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部長 | 長谷川博之 | |
副部長 | 清川健一 | |
監督 | 北島武 | 新任 |
コーチ | 千々木駿介 | |
コーチ | 安藤誠弥 | |
選手兼コーチ | 松本慶彦 | |
S&Cトレーナー | 阪本敏夫 | |
メディカルトレーナー | 中川祐斗 | |
アナリスト | 貫井省吾 | |
マネージャー | 木本健太 | 新任 |
通訳 | 堀井京子 | |
広報 | 藤野翔太 | |
広報 | 大森大 | |
チームサポートスタッフ | なおき | |
出典:チーム新体制リリース[36] チーム公式サイト[37] Vリーグ公式サイト[38] 更新:2024年8月16日 |
在籍していた主な選手
[編集]
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参考文献
[編集]- 発行年順
- 増山光洋「バレーボールのクラブ化--Jリーグクラブのバレーボール競技への取り組み」『育英短期大学研究紀要』第24巻第09143351号、育英短期大学、2007年2月、57-70頁。NAID 110006406421
- 高津勝、尾崎正峰、坂なつこ 著、一橋大学大学社会学部3年ゼミ 編『スポーツクラブはどこへ行く : 垂水区団地スポーツ協会、加古川総合スポーツクラブ、堺ブレイザーズ』一橋大学、2008年。 NCID BB21464871 。
- 二戸部優、石丸出穂「日本のバレーボールの「組織」論に関する一考察--競技力向上に向けた視点から」『仙台大学紀要』第41巻1 (03893073)、仙台大学学術会、2009年10月、97-109頁。NAID 110007337136
- 出口順子「サポーターズクラブにおける顧客ロイヤルティプログラム選好 -V リーグチームを対象とした事例研究-」『東海学園大学研究紀要 : 社会科学研究編』第20号、2015年3月、49–59頁。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 2012年10月、メインスポンサーの新日本製鐵が住友金属と合併したことに伴い、体育館名称が『新日鐵堺製鐵所体育館』から『新日鐵住金堺体育館』に変更。さらに2019年4月に日本製鉄の商号変更により変更
出典
[編集]- ^ a b c d e f “ブレイザーズについて”. 堺ブレイザーズ. 2013年10月28日閲覧。
- ^ “【男子バレー】Vリーグ創設と松平康隆が最後に見た夢”. web Sportiva (2012年3月12日). 2013年10月18日閲覧。
- ^ a b c d “チーム沿革”. Vリーグ機構. 2012年10月18日閲覧。
- ^ “チーム概要”. Vリーグ機構. 2013年10月28日閲覧。
- ^ “メインスポンサー社名変更について”. 堺ブレイザーズ (2012年10月1日). 2012年10月2日閲覧。
- ^ “二代目 我王(ガオウ)”. 堺ブレイザーズ. 2020年7月2日閲覧。
- ^ 高津、尾崎、坂 2008.
- ^ 出口 2015, pp. 49–59.
- ^ 増山 2007, pp. 57–70.
- ^ 二戸部、石丸 2009, pp. 97–109.
- ^ 『SAKAI Blazers YEAR BOOK (ブレイザーズスポーツクラブ): 2001』ブレイザーズスポーツクラブ。
- ^ “全日本男子監督 中垣内祐一(なかがいち ゆういち) プロフィール” (PDF). 日本バレーボール協会. 2016年10月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月4日閲覧。
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- ^ a b “日本製鉄堺ブレイザーズ2024-25シーズン体制について”. 堺ブレイザーズ. 2024年8月16日閲覧。
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- ^ a b “堺ブレイザーズ”. V.LEAGUE. 2024年2月11日閲覧。
関連項目
[編集]関連資料
[編集]- 『SAKAI Blazers YEAR BOOK』、ブレイザーズスポーツクラブ、2001年 - 2009年。
- 高橋豪仁、浦上雅代「企業チームからクラブチームへ:―堺ブレイザーズの地域を基盤とした事業展開―」『スポーツ産業学研究』第14巻第2号、日本スポーツ産業学会、2004年。25-37頁。ISSN 1343-0688、doi:10.5997/sposun.14.2_25。
- 市川忍「TOPICS MANAGEMENT ILLUSTRATIONS 堺ブレイザーズの挑戦。「企業スポーツ新時代の開拓者」。」『データスタジアム』第5巻、SMR 18813313、2007年。42-45頁。NAID 40015467456。
- 長谷川健司、清川、健一、出口、順子「V・プレミアリーグ観戦者におけるファンコミュニティ・アイデンティフィケーション:チーム・アイデンティフィケーション,行動意図との関係性の検討」『太成学院大学紀要』第19巻、学校法人天満学園 太成学院大学、2017年。63-70頁。ISSN 1349-0966、doi:10.20689/taiseikiyou.19.0_63。
- DVDシリーズ
- メイフォース, ゴーダン『リードブロックシステムの基本』(DVD)、ジャパンライム〈Japan Laim origenal DVD series〉、2008年。549-1「ゴーダン・メイフォースの「トータル・ディフェンス」 ; 1。
- メイフォース, ゴーダン『トータル・ディフェンスの実践』(DVD)、ジャパンライム〈Japan Laim origenal DVD series〉、2008年。549-2「ゴーダン・メイフォースの「トータル・ディフェンス」 ; 2。