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徳川斉位

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
徳川 斉位
時代 江戸時代後期
生誕 文政元年6月15日1818年7月17日
死没 天保8年5月7日1837年6月9日
改名 郁之助、豊之助、斉位
戒名 崇雲院
官位 従三位左近衛権中将民部卿参議
権中納言
幕府 江戸幕府
氏族 徳川氏田安徳川家一橋徳川家
父母 父:徳川斉匡、母:高月氏
養父:徳川斉礼
兄弟 剛之丞匡時謙三郎斉位慶壽聰之助郁之助松平慶永慶頼慶臧猶姫愛姫
永姫 (徳川斉位正室)(徳川家斉の娘)
養子:慶昌
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徳川 斉位(とくがわ なりくら)は、江戸時代後期の武士御三卿一橋家の5代当主[1]。妻は11代将軍徳川家斉の娘・永姫(誠順院)[2]

生涯

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文政元年(1818年)6月15日[1]田安家当主・斉匡の第四子として生まれる[3][2]。母は高月氏[3]幼名は郁之助[3]、豊之助[2]

文政8年(1825年2月6日、一橋家当主・斉礼の養子となり[3]、翌7日に豊之助と改名する[1]。同年3月27日、一橋邸に移る[3]。文政10年(1827年6月25日元服し、伯父にあたる将軍・徳川家斉から偏諱を受けて斉位と名乗り、従三位左近衛権中将民部卿に叙される[1]。同年7月27日、神田橋に居を移した[1]

文政13年/天保元年(1830年6月14日に養父・斉礼が没したため、同年7月19日、一橋家の当主となる[3]。同6年(1835年11月15日、将軍家斉の娘・永姫徳川家慶の妹)と婚姻する[1]。同7年(1836年)2月29日、一橋邸に移る[1]。同年12月1日参議に任ぜられた[3]

天保8年(1837年)5月7日、死去[3]。20歳[2]。法号は崇雲院[3]

天保14年(1843年4月2日権中納言追贈された[1]

嗣子がなかったため、義兄である家慶の第五子・慶昌末期養子として跡を継いだ[1]

家族

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  • 正室:永姫(文政2年1月14日(1819年2月8日)- 明治8年9月23日(1875年9月23日))

脚注

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参考文献

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