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望月信亨

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望月 信亨
人物情報
別名 松原 勝次郎
生誕 (1869-10-28) 1869年10月28日
日本の旗 日本
福井県今立郡国高村
死没 (1948-07-13) 1948年7月13日(78歳没)
日本の旗 日本
出身校 浄土宗学本校
子供 望月信成(仏教美術研究者)
学問
研究分野 仏教学
研究機関 浄土宗高等学院
望月仏教文化研究所
学位 文学博士
称号 大正大学名誉教授
帝国学士院会員
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望月 信亨(もちづき しんこう、1869年10月28日明治2年9月24日〉 - 1948年昭和23年〉7月13日)は、日本仏教学者浄土宗僧侶。浄土宗総本山知恩院第82世門跡。

経歴

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出生から修学期

1869年、福井県今立郡国高村で生まれた[1]。本名は松原勝次郎。小学校を卒業した12歳の時に坂井郡新保村の円海寺に入り、加納法宣師のもとで得度。名を信亨と改め、浄土宗の僧籍に加わった。

18歳の時、京都に出て浄土宗西部大学林[2]に入学。20歳の時、大正大学の前身たる浄土宗学本校に入り、仏教学を学んだ。25歳の時に望月有成(兵庫県藤之寺住職)の養子となった。1896年、27歳の時に浄土宗学本校全科を卒業した。

浄土宗高等学院教授として

その後は浄土宗高等学院教授となった[3]1924年、学位論文『浄土教ノ起源及發達ニ関スル研究』を東京帝国大学に提出して文学博士学位を取得[4]宗教大学教授(現大正大学)、大正大学教授、大正大学学長を務めた。1947年、私学の教員としては初の帝国学士院会員となった[5]

また、宗門では、知恩院門跡を務めた。

研究内容・業績

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仏教学の基本書となった『望月仏教大辞典』と『大日本仏教全書』を編纂した。

家族・親族

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  • 養父:望月有成は僧侶。兵庫県藤之寺住職。
  • 息子:望月信成は仏教美術学者。

著作

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著書
  • 浄土教之研究』仏教学叢書:仏書研究会 1914
  • 『略述浄土教理史』浄土教報社 1921
    • 復刻:日本図書センター    
  • 大乗起信論之研究』仏教学叢書:金尾文淵堂 1922 
  • 大乗起信論講述』金尾文淵堂 1922  
  • 『浄土教の起原及発達』共立社 1930
  • 『大乗起信論』東方書院 日本宗教講座 1934
  • 『仏教史の諸研究』望月仏教研究所 1938  
  • 『講述大乗起信論』冨山房百科文庫 1939
  • 『浄土教概論』弘文堂 1940
    • 改訂版 東洋文化出版 1980
  • 『支那浄土教理史』法蔵館 1942
    • 改題新版『中国浄土教理史』法蔵館 1962
  • 『仏教経典成立史論』法蔵館 1946
    • 新版1978
  • 『望月仏教大辞典』(全10巻) 塚本善隆増訂 世界聖典刊行協会 1954-63[6]
    • 新装版
  • 法然上人とその門下の教義』仏教文化研究所 1960
共編著
  • 『仏教大辞典 附録 (仏教大年表)』武揚堂 1909
  • 『法然上人正傳』記念報恩会 1911
    • 復刻 蓮宝寺 1976
  • 『仏教大辞典』共編、武揚堂 1909-16
  • 『仏教大辞典』(5巻・別巻) 仏教大辞典発行所 1931-37 
  • 鎮西上人讃仰』椎尾弁匡共著 鎮西上人讃仰会 1936
  • 聖徳太子御伝叢書』高楠順次郎共編 金尾文淵堂 1942
  • 『聖徳太子三経御疏』高楠順次郎共編 金尾文淵堂 1943
  • 『仏教書籍目録』高楠順次郎共編 世界聖典刊行協会 1949 
  • 『大日本仏教全書』 高楠順次郎・望月信亨編纂代表 1931[7]
校訂
  • 『浄土宗経論章疏録 著述者年表並小伝』宇田総兵衛 1901
  • 鸞宿『浄土伝燈総系譜』校註 大村屋総兵衛 1904-06
  • 源空『法然上人全集』黒田真洞共編 宗粋社 1906
  • 円珍『智証大師全集』第1-3 高楠順次郎共編 世界聖典刊行協会 1949
  • 義真撰『天台法華宗義集』高楠順次郎共編 世界聖典刊行協会 1949
  • 証真撰『法華三大部私記』高楠順次郎共編 世界聖典刊行協会 1949
  • 普寂『法華三大部復真鈔』高楠順次郎共編 世界聖典刊行協会 1949

参考文献

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  • 望月信亨 新纂浄土宗大辞典web版
  • 望月信亨『自叙傳』1947年9月6日。 望月信亨「自叙傳」『古代學』第5巻第1号、古代學協会、1956年、41-53頁、NAID 40001386027 

脚注

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  1. ^ 望月信亨先生三十三回忌追悼会世話人会 編「略年譜」『恩師望月信亨先生』山喜房仏書林、1980年7月。 NCID BA78997402 
  2. ^ 浄土宗大学林(浄土宗大辞典)
  3. ^ 『浄土宗高等学院専門学院要覧 従明治34年至明治35年』不染信翁、1902年、97頁。doi:10.11501/821260 
  4. ^ 「大日本博士録」編輯部 編『学位大系博士録 昭和14年版』発展社出版部、1939年、8頁。doi:10.11501/1461730 
  5. ^ 物故会員一覧 日本学士院
  6. ^ doi:10.11501/3000331
  7. ^ doi:10.11501/1228326
先代
権田雷斧
大正大学学長
第3代:1930年 - 1932年
次代
福田堯頴








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