金宇中
金 宇中 | |
---|---|
各種表記 | |
ハングル: | 김우중 |
漢字: | 金宇中 |
発音: | キム・ウジュン |
日本語読み: | きんうちゅう |
ローマ字: | Kim U-jung |
金 宇中(キム・ウジュン、きん うちゅう[1]、1936年12月19日 - 2019年12月9日)は、大韓民国の実業家、前大宇グループ会長。本貫は光山金氏[2]。
元済州道知事の金容河は父[3]。元亜洲大学校総長、教育部長官の金徳中は兄[4]。
経歴・人物
[編集]大邱出身。京畿中学校、同高校を経て、1960年延世大学校経済学科卒業。
1960年から1966年まで漢城実業に勤務し、1967年ソウル中区忠武路で大宇実業を創業した。資本金は500万ウォンだったが、東南アジア、米国市場に進出して成功し、1970年代に大宇建設、大宇証券、大宇電子、大宇造船などを次々に創設、新興財閥となった。1988〜93年に大韓サッカー協会会長を務めた[5]。
1996年にフランス政府よりレジオンドヌール勲章を授与された。
1998年のアジア経済危機で韓国経済は大打撃を受け、1999年大宇グループも解体され、検察庁から違法容疑で取り調べを受けたため、当時の日本円で5兆円近い大金を持ち出し、韓国を出国したまま消息不明になった。
2005年6月14日に韓国に帰国し、検察庁により調査され、2006年11月3日に裁判所の判決が下り、懲役8年6ヵ月の他、罰金や追徴金が課せられた。
2019年12月9日、病気のために京畿道水原市の病院にて死去した[6]。
脚注
[編集]- ^ 日本大百科全書(ニッポニカ) 「大宇グループ」の意味・わかりやすい解説.コトバンク
- ^ “김우중, "기업인으로 남고 싶다"” (朝鮮語). 매일경제 (1992年10月26日). 2022年7月18日閲覧。
- ^ “김우중 영욕의 83년, 대한민국 고도성장 '빛과 그림자' 한 몸에”. 조선비즈 (2019年12月10日). 2024年4月20日閲覧。
- ^ “김우중 일가 어디서 뭐하나?” (朝鮮語). 중앙일보 (2008年1月23日). 2023年8月22日閲覧。
- ^ 정병준 (2009年1月22日). “역대 대한축구협회장 명단(이 기사는 表임)” (朝鮮語). sports.news.naver.com. 2022年5月28日閲覧。
- ^ "金宇中氏死去 韓国の旧大宇グループ創業者". 時事ドットコム. 時事通信社. 10 December 2019. 2019年12月10日閲覧。