セリカ (ラテン語: Serika [ˈsɛrɪkə]) は、古代ギリシアおよびローマの地理学において、アジアの東の果ての国々または地域を指した語である。一般には、シルクロードを通じて西洋ともつながりがあった華北の周、秦、漢といった各中国王朝を指しているものとされている。一方で、海洋交易路から至る中国は(Sinae)と呼ばれていた。中世になっても西洋人による中国の呼び方は多岐にわたり、「キタイ」(中国北部)や「マンギ」「チナ」(中国南部)といった呼称が用いられた。セリカの民はセレス(Seres)と呼ばれた。セリカに至るためには陸上ルートを通ってタリム盆地(漢が征服し、中国からは「西域」と呼ばれた)に向かわなければならないが、この道の大部分は、パルティア王国崩壊後にサーサーン朝によって封鎖されてしまった。19世紀イギリスの学者ヘンリー・ユールは、古代西洋の地理学者たちの記述を次のようにまとめている。 一部の学者は、セレスとは中国人そのものではなく、古代インドと交易があったインド・ヨーロッパ語族、すなわち月氏やサカ、トハラといった人々を指していると主張している。

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  • セリカ (ラテン語: Serika [ˈsɛrɪkə]) は、古代ギリシアおよびローマの地理学において、アジアの東の果ての国々または地域を指した語である。一般には、シルクロードを通じて西洋ともつながりがあった華北の周、秦、漢といった各中国王朝を指しているものとされている。一方で、海洋交易路から至る中国は(Sinae)と呼ばれていた。中世になっても西洋人による中国の呼び方は多岐にわたり、「キタイ」(中国北部)や「マンギ」「チナ」(中国南部)といった呼称が用いられた。セリカの民はセレス(Seres)と呼ばれた。セリカに至るためには陸上ルートを通ってタリム盆地(漢が征服し、中国からは「西域」と呼ばれた)に向かわなければならないが、この道の大部分は、パルティア王国崩壊後にサーサーン朝によって封鎖されてしまった。19世紀イギリスの学者ヘンリー・ユールは、古代西洋の地理学者たちの記述を次のようにまとめている。 セレスや彼らの国に関する古代の知識を、異常な記述や明白な作り話を省きつつ融合させると、次のようになるだろう。「セレスの地域は広く人口の多い国で、東に海がある、居住可能な土地の限界にあり、西はイマウスやバクトリアに接している。人々は文明的で、温和で、正義の心を持ち、質素であり、隣人との衝突を避け、性にも消極的であるが、己の製作したものを手放すことを嫌ったりはしない。産物は生糸が主であるが、絹織物や良い毛皮、極めて良質の鉄なども産する。」これは明らかに中国人の説明といえる。 一部の学者は、セレスとは中国人そのものではなく、古代インドと交易があったインド・ヨーロッパ語族、すなわち月氏やサカ、トハラといった人々を指していると主張している。 (ja)
  • セリカ (ラテン語: Serika [ˈsɛrɪkə]) は、古代ギリシアおよびローマの地理学において、アジアの東の果ての国々または地域を指した語である。一般には、シルクロードを通じて西洋ともつながりがあった華北の周、秦、漢といった各中国王朝を指しているものとされている。一方で、海洋交易路から至る中国は(Sinae)と呼ばれていた。中世になっても西洋人による中国の呼び方は多岐にわたり、「キタイ」(中国北部)や「マンギ」「チナ」(中国南部)といった呼称が用いられた。セリカの民はセレス(Seres)と呼ばれた。セリカに至るためには陸上ルートを通ってタリム盆地(漢が征服し、中国からは「西域」と呼ばれた)に向かわなければならないが、この道の大部分は、パルティア王国崩壊後にサーサーン朝によって封鎖されてしまった。19世紀イギリスの学者ヘンリー・ユールは、古代西洋の地理学者たちの記述を次のようにまとめている。 セレスや彼らの国に関する古代の知識を、異常な記述や明白な作り話を省きつつ融合させると、次のようになるだろう。「セレスの地域は広く人口の多い国で、東に海がある、居住可能な土地の限界にあり、西はイマウスやバクトリアに接している。人々は文明的で、温和で、正義の心を持ち、質素であり、隣人との衝突を避け、性にも消極的であるが、己の製作したものを手放すことを嫌ったりはしない。産物は生糸が主であるが、絹織物や良い毛皮、極めて良質の鉄なども産する。」これは明らかに中国人の説明といえる。 一部の学者は、セレスとは中国人そのものではなく、古代インドと交易があったインド・ヨーロッパ語族、すなわち月氏やサカ、トハラといった人々を指していると主張している。 (ja)
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  • 右: 前漢期の青ガラス器。中国では春秋時代以降、西アジアから輸入したガラスを用いてトンボ玉を製造していた。ガラス器の製造が始まったのは前漢期である。 (ja)
  • 左: 馬王堆漢墓で発掘された、紀元前2世紀の前漢期の絹織物。 (ja)
  • 右: 前漢期の青ガラス器。中国では春秋時代以降、西アジアから輸入したガラスを用いてトンボ玉を製造していた。ガラス器の製造が始まったのは前漢期である。 (ja)
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  • セリカ (ラテン語: Serika [ˈsɛrɪkə]) は、古代ギリシアおよびローマの地理学において、アジアの東の果ての国々または地域を指した語である。一般には、シルクロードを通じて西洋ともつながりがあった華北の周、秦、漢といった各中国王朝を指しているものとされている。一方で、海洋交易路から至る中国は(Sinae)と呼ばれていた。中世になっても西洋人による中国の呼び方は多岐にわたり、「キタイ」(中国北部)や「マンギ」「チナ」(中国南部)といった呼称が用いられた。セリカの民はセレス(Seres)と呼ばれた。セリカに至るためには陸上ルートを通ってタリム盆地(漢が征服し、中国からは「西域」と呼ばれた)に向かわなければならないが、この道の大部分は、パルティア王国崩壊後にサーサーン朝によって封鎖されてしまった。19世紀イギリスの学者ヘンリー・ユールは、古代西洋の地理学者たちの記述を次のようにまとめている。 一部の学者は、セレスとは中国人そのものではなく、古代インドと交易があったインド・ヨーロッパ語族、すなわち月氏やサカ、トハラといった人々を指していると主張している。 (ja)
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