ルノー・ド・シャティヨン(Renaud de Châtillon、1125年頃 - 1187年7月4日)は、フランスの騎士。1147年に第2回十字軍に参加し、1153年にアンティオキア公国のコンスタンス女公と結婚し、アンティオキア公となる。ヒッティーンの戦いで捕らえられ、サラーフッディーン自ら彼を処刑したといわれる。対イスラム強硬派であることに加えて、敵に対しては容赦なく略奪の限りを尽くしたために強盗騎士として悪名高く、キリスト教穏健派や東ローマ帝国関係者、イスラム教徒各々から忌み嫌われた存在だった。