第五海洋丸の遭難(だいごかいようまるのそうなん)は、1952年(昭和27年)9月24日、海底火山の明神礁の調査を行っていた日本の海上保安庁の海洋測量船「第五海洋丸」が消息を絶ち、その後発見された漂流物などから、噴火に巻き込まれて沈没したことが判明した海難事故。地質学者の田山利三郎や河田喜代助を含む、乗組員31名全員が犠牲となった。 日本の火山研究史上未曾有の悲劇、日本の海洋調査史上最大の悲劇、世界の火山観測史上未曾有の大惨事、世界の測量史上未曾有の大事件などとされ、一般社会にも大きな衝撃を与えた。