大谷秀和
大谷 秀和(おおたに ひでかず、1984年11月6日 - )は、千葉県流山市出身のサッカー選手。Jリーグ・柏レイソル所属。ポジションはミッドフィールダー。日本プロサッカー選手会副会長。
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名前 | ||||||
愛称 | タニ | |||||
カタカナ | オオタニ ヒデカズ | |||||
ラテン文字 | OTANI Hidekazu | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1984年11月6日(39歳) | |||||
出身地 | 千葉県流山市 | |||||
身長 | 174cm | |||||
体重 | 67kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | 柏レイソル | |||||
ポジション | MF (DH) | |||||
背番号 | 7 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1997-2002 | 柏レイソル | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2003- | 柏レイソル | 358 | (15) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2016年11月3日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
来歴
プロ入り前
小学校1年生の時に初石少年サッカークラブでサッカーを始め、4年時からは流山市の選抜チーム・流山FCでもプレーした[1]。小学生時代はフォワードを務めていた[2]。
中学校入学後は柏レイソルの下部組織に加入し、トップ下にポジションを移した[2]。高校3年時の第57回国民体育大会では、クラブユース勢から唯一千葉県代表に選出され、市立船橋高校の原一樹・大久保裕樹、流経大柏高校の近藤祐介らと共に全国制覇を成し遂げた[1][2]。
柏レイソル
2003年にトップチームへ昇格。同期入団に矢野貴章、谷澤達也らがいる。プレシーズンマッチのちばぎんカップでは、ルーキーながらボランチのポジションで先発出場を果たし、試合を視察していた日本代表のエドゥテクニカルアドバイザー(当時)からプレーを絶賛された[3]。同年3月22日、リーグ開幕節のFC東京戦でプロデビューを飾り、翌年10月17日のJ1 2ndステージ第9節名古屋グランパス戦で初ゴールを記録した。
2005年は明神智和とダブルボランチを組み、リーグ戦20試合に出場したが、チームは下位に低迷。J1・J2入れ替え戦でもヴァンフォーレ甲府に惨敗し、J2へ降格した。
石崎信弘新監督が就任した2006年は選手会長に任命され、明神の移籍に伴い背番号「7」を引き継いだ[4]。同年は明神のほか玉田圭司、矢野貴章、永田充、波戸康広といった前年までの主力選手の多くがチームを去ったことから、ミッドフィールダー、ディフェンダーなど様々なポジションでプレーし[2]、1年でのJ1復帰に貢献した。
2008年からチームの主将に就任。2009年7月のネルシーニョ監督就任後は再びボランチに専念してチームの中心を担い[5]、J2(2010年)・J1(2011年)のリーグ優勝のほか、天皇杯(2012年)・ヤマザキナビスコカップ(2013年)といった数々のタイトル獲得に貢献し、2011年にはJリーグ優秀選手賞を受賞した。
2015年は吉田達磨新監督の下、ボランチよりも前線に近いインサイドハーフのポジションで起用された[6]。同年7月、東アジアカップ2015の予備登録メンバーに入り、30歳にして初めて日本代表候補に選出された[7]。
プレースタイル
本職はボランチだが、キャリアを通じてゴールキーパーを除く全てのポジションを経験しているユーティリティープレイヤーである[2]。プロ入り前はフォワード、トップ下など攻撃的なポジションでプレーしていたが、柏レイソルユース時代にトップチームのエースだった玉田圭司のプレーを間近で見た際、「これはものが違いすぎる。攻撃の選手ってこういう人たちばかりなんだ」と感じ、コーチの勧めもあってプロ入り後はボランチに転向した[8][9]。
キャプテンシー
2008年から一貫して柏レイソルの主将を務めており、卓越した戦術眼で攻守のバランスを取る「ピッチ上の指揮官」としてチームを統率するだけでなく、ピッチ外でもチームのまとめ役を担っている[3][10][11]。2014年に1年間柏に在籍した高山薫は、若手選手に積極的にアドバイスを送り、チームメイトの普段の生活や食事にも目を配って時には厳しく注意する大谷の姿に感銘を受けたと語っている[12]。
人物
所属クラブ
- ユース経歴
- 1991年 - 1996年 初石少年SC・流山FC (流山市立西初石小学校)
- 1997年 - 1999年 柏レイソルジュニアユース (流山市立西初石中学校)
- 2000年 - 2002年 柏レイソルユース (流通経済大学付属柏高等学校)
- プロ経歴
- 2003年 - 柏レイソル
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2003 | 柏 | 23 | J1 | 4 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 9 | 0 |
2004 | 16 | 1 | 4 | 1 | 1 | 0 | 21 | 2 | |||
2005 | 20 | 3 | 2 | 0 | 2 | 2 | 24 | 5 | |||
2006 | 7 | J2 | 29 | 1 | - | 0 | 0 | 29 | 1 | ||
2007 | J1 | 31 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 34 | 0 | ||
2008 | 33 | 3 | 5 | 0 | 4 | 0 | 42 | 3 | |||
2009 | 20 | 1 | 3 | 0 | 2 | 0 | 25 | 1 | |||
2010 | J2 | 35 | 2 | - | 3 | 0 | 38 | 2 | |||
2011 | J1 | 27 | 0 | 2 | 0 | 3 | 0 | 32 | 0 | ||
2012 | 31 | 1 | 4 | 0 | 6 | 0 | 41 | 1 | |||
2013 | 31 | 0 | 4 | 0 | 2 | 0 | 37 | 0 | |||
2014 | 30 | 0 | 10 | 0 | 2 | 1 | 42 | 1 | |||
2015 | 31 | 2 | 0 | 0 | 3 | 0 | 34 | 2 | |||
2016 | 20 | 1 | 4 | 0 | 2 | 0 | 26 | 1 | |||
2017 | |||||||||||
通算 | 日本 | J1 | 294 | 12 | 45 | 1 | 28 | 3 | 367 | 16 | |
日本 | J2 | 64 | 3 | - | 3 | 0 | 67 | 3 | |||
総通算 | 358 | 15 | 45 | 1 | 31 | 3 | 434 | 19 |
- その他の公式戦
- 2005年
- J1・J2入れ替え戦 2試合0得点
- 2012年
- スーパーカップ 1試合0得点
- 2013年
- スーパーカップ 1試合0得点
国際大会個人成績 | ||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | クラブW杯 | ||||
2011 | 柏 | 7 | - | 4 | 0 | |
2012 | 6 | 0 | - | |||
2013 | 9 | 0 | - | |||
2015 | 9 | 1 | - | |||
通算 | AFC | 24 | 1 | 4 | 0 |
- その他の国際公式戦
- 2015年
- AFCチャンピオンズリーグ2015 東地区プレーオフ 1試合0得点
記録
タイトル
代表・選抜
- 国民体育大会サッカー競技 : 1回 (2002)
クラブ
- Jリーグ ディビジョン2:1回 (2010)
- Jリーグ ディビジョン1:1回 (2011)
- FUJI XEROX SUPER CUP:1回 (2012)
- 天皇杯全日本サッカー選手権大会:1回 (2012)
- ヤマザキナビスコカップ:1回 (2013)
- スルガ銀行チャンピオンシップ : 1回 (2014)
個人
- Jリーグ優秀選手賞:1回 (2011)
代表歴
出場大会
- 日本代表
- 2015年 - 東アジアカップ2015 予備登録メンバー
脚注
- ^ a b 土屋雅史 (2015年11月6日). “「1試合1試合、1日1日を大事にしないといけない」柏レイソル x FC東京 Pre-match Words ~柏レイソル 大谷秀和選手編~”. J SPORTS 2016年2月10日閲覧。
- ^ a b c d e 【J1 注目選手スペシャルインタビュー】Vol.1:大谷秀和選手(柏)「面白くて熱い応援、やっぱり柏のサポーターがいちばんです」 - ウェイバックマシン(2008年8月15日アーカイブ分)
- ^ a b 鈴木潤. “on the way 12 大谷 秀和”. 柏レイソル公式サイト. 2016年2月10日閲覧。
- ^ “ぐるっと流山 柏レイソルキックオフパーティー”. 流山市公式ホームページ. (2006年2月27日) 2016年2月10日閲覧。
- ^ “柏の心臓、大谷&栗澤がネルシーニョ監督から享受した帝王学”. ゲキサカ. (2014年11月30日) 2016年2月10日閲覧。
- ^ “新監督のサッカー、積極吸収 柏・大谷秀和(上)”. 日本経済新聞. (2015年9月5日) 2016年2月10日閲覧。
- ^ "EAFF東アジアカップ2015(8/2~9@中国/武漢)SAMURAI BLUE(日本代表)予備登録メンバー" (Press release). 日本サッカー協会公式サイト. 10 July 2015. 2016年2月10日閲覧。
- ^ “【第九十六回】柏レイソル ゲームキャプテン 大谷秀和「戦いの中でつかんだ勝利の条件」”. 日立ソリューションズ公式ホームページ (2013年12月19日). 2016年2月10日閲覧。
- ^ 石井宏美 (2014年12月11日). “満足した試合はない!柏レイソル大谷秀和のボランチ論”. サカイク 2016年2月10日閲覧。
- ^ 石井宏美 (2014年12月5日). “大谷秀和のサッカー観戦術「ボールのないところを観る」”. サカイク 2016年2月10日閲覧。
- ^ 鈴木潤 (2015年11月26日). “【2015総括】柏編|チームとしての未熟さ、勝負弱さを改善できず。好不調の波も大きかった”. サッカーダイジェストWeb 2016年2月10日閲覧。
- ^ “【ボイス:2015年10月14日】高山薫選手[2]”. 湘南ベルマーレ公式サイト (2015年10月14日). 2016年2月10日閲覧。
- ^ "大谷 秀和選手が入籍" (Press release). 柏レイソル公式サイト. 20 March 2012. 2016年2月10日閲覧。
- ^ "大谷 秀和選手に第1子(長男)誕生" (Press release). 柏レイソル公式サイト. 2 July 2015. 2016年2月10日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 柏レイソルによる公式プロフィール
- 大谷秀和 (@hide_tani07) - X(旧Twitter)