ソマリランド
- ソマリランド共和国
- Jamhuuriyadda Soomaaliland(ソマリ語)
جمهورية صومالي لاند(アラビア語)
Republic of Somaliland (英語) -
(国旗) (国章) - 国の標語:لا إله إلا الله محمد رسول الله
(アラビア語: アッラーフの他に神はなし。ムハンマドはアッラーフの使徒である。) - 国歌:平和万歳
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公用語 ソマリ語、アラビア語、英語[1] 首都 ハルゲイサ 最大の都市 ハルゲイサ - 政府
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大統領 アブディラフマン・モハメド・アブドゥラヒ 副大統領 アブディラフマン・サイリシ 下院議長 バシェ・モハメド・ファラー - 面積
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総計 176,120[2]km2(???位)推定 水面積率 ごく僅か - 人口
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総計(2021年) 5,741,086[3]人(第113位)推定 人口密度 28.27人/km2 - GDP(自国通貨表示)
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合計(xxxx年) xxx,xxxソマリランド・シリング - GDP(MER)
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合計(xxxx年) xxx,xxxドル(???位) 1人あたり xxxドル - GDP(PPP)
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合計(2018年) $25億[4]ドル(???位) 1人あたり 675ドル - 独立
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ソマリアから独立宣言 1991年5月18日[5] ソマリランド共和国の建国 1991年5月24日 独立承認 未承認
通貨 ソマリランド・シリング(SLSH)国際非公式 時間帯 UTC+3 (DST:無し)EAT ISO 3166-1 不明 ccTLD 無し 国際電話番号 252(ソマリアと共通)
ソマリランド共和国(ソマリランドきょうわこく、ソマリ語: Jamhuuriyadda Soomaaliland、英語: Republic of Somaliland)は、東アフリカにある共和制国家。通称ソマリランド(ソマリ語: Soomaaliland、英語: Somaliland)。アフリカの角と呼ばれる地域のうち、旧イギリス領ソマリランドを領土とする。東部はソマリア、南部はエチオピア、西部はジブチと接し、北はアデン湾に面する。内戦に陥ったソマリアの北西部が1991年5月、同国からの再独立を宣言して成立した。首都機能をハルゲイサに置き、実質的に独立国家として機能しており、2021年8月時点で国家の承認をしている国際連合加盟国はないものの、2020年7月に中華民国(台湾)が外交関係を樹立、2024年1月にはエチオピアが外交関係を樹立したほか、ケニアのように代表機関の設置や要人往来で公的な関係を持つ国がいくつか存在する[6](「#外交」「ムセ・ビヒ・アブディ#ソマリランド大統領」参照)。
国連非加盟国のなかでは最大の面積の実効支配地域を持つ。
国名
編集ソマリランドは英語でソマリ族(Somali)と土地(land)を合体したもので、「ソマリ族(人)の地」という意味。広義にはソマリ族が多く居住するアフリカの角全域を指す。列強のアフリカ分割後、イギリスに割り当てられた地域(植民地)を指す言葉となり、1960年にソマリアと合邦するまでの短期間のみ独立する際も植民地時代と同じくソマリランドがそのまま用いられた。ソマリランド共和国は1960年の独立を回復したという位置付けであるため、名称をそのまま継承している。
公用語表記は以下の通り。カッコ内はラテン文字転写。
- ソマリ語: Jamhuuriyadda Soomaaliland、略称はSomaliland。
- アラビア語: جمهورية أرض الصومال (Jumhūrīyat Arḍ aṣ-Ṣūmāl)またはجمهورية صوماليلاند (Jumhūrīyat Ṣūmālīlānd)。略称はصوماليلاند (Ṣūmālīlāndまたはأرض الصومال (Arḍ aṣ-Ṣūmāl)。
- 英語: Republic of Somaliland、略称はSomaliland。
日本語ではソマリランド共和国、通称ソマリランドが一般的である。日本では国名の漢字表記は行われていないが、ソマリランドと国交のある中華民国(台湾)では索馬利蘭と表記する[7]。
ソマリア時代は、南に位置する旧イタリア領ソマリランドと対比して北部地域(Northern Regions)と呼ばれた。現在でもまれに使用例がある[8]。
歴史
編集紀元前
編集紀元前5000年ごろの作とされる洞窟壁画がラース・ゲールに存在する。
植民地時代
編集ソマリランドは元来「ソマリ人の地」という意味で、ソマリ人が居住するアフリカ大陸東端地域をそう呼んでいた。この地域は19世紀末~20世紀初頭のアフリカ分割により、イギリス、フランス、イタリア、エチオピア帝国に分割された。そして、アデン湾の対岸を支配するイギリス軍が湾を渡って浸透し、イサック氏族、イッサ族・ダロッド氏族の一部と協定を結んだ結果、1887年にイギリス帝国の保護領となり、1905年に植民地化されイギリス領ソマリランドとなった。
ソマリア共和国
編集イギリス領ソマリランドは1960年6月26日にソマリランド国(英語: State of Somaliland)として独立した。ただしこれは同年7月1日に予定されたイタリア信託統治領ソマリアの独立を見越して同地域との統合を目的とした措置で、この独立は5日間だけであった。そして予定通り7月1日に両地域は統合され、「ソマリア共和国」が発足した。
ところがモガディシオの中央政府は南部出身者が主導権を掌握し、南部優遇の経済政策などを推し進めた。北部で産出した農作物・果物類は輸出されたが、得た外貨は南部の開発に費やされた。オガデン戦争(1977年 - 1988年)では戦火を被り、そこへ追い打ちをかけるように当時の人口に匹敵する130万人超が難民として押し寄せた結果、経済は圧迫され政治は混乱した[9]。住民は中央政府へ反発したが、政府軍によって弾圧・虐殺された(イサック・ジェノサイド)。
北部地域ではソマリア中央政府および南部地域への反感が強くなり、ソマリアからの分離独立を求める声も高まっていった。全国各地で中央政府に対する反乱が起こった際、北部地域ではイサック主体のソマリ国民運動が1988年に蜂起し、1991年1月に当時の大統領モハメド・シアド・バーレが国外へ追放されるころには北部地域を掌握した(ソマリア革命)。
分離再独立
編集1991年1月にバーレ政権が崩壊した後、それまでの南部優遇政策と混迷を極めるソマリア情勢に失望したイサック主体のソマリ国民運動(SNM)は、1991年5月18日に旧イギリス領ソマリランド地域の分離・再独立を宣言し、24日に新生ソマリランド共和国を発足させた。見方を変えると、1960年に5日だけ出現して消滅したソマリランド国が31年ぶりに復活したことになり、ソマリランド政府も「独立を回復した」という立場をとっている。
初代大統領にはSNM議長のアブドゥラフマン・アリ・トゥールが就任し、その後1993年5月の選挙で第2代大統領にイブラヒム・エガルが選出された。エガルは2002年に在任中に死去し、副大統領だったダヒル・リヤレ・カヒンが大統領に昇格した。翌年の大統領選挙でカヒンが当選した。2005年10月に下院の議会選挙が行われ、3党が82議席を争った。その結果、カヒン政権の与党統一人民民主党が33議席を獲得して第1党になり、次いで平和統一開発党(クルミエ) (Peace, Unity, and Development Party) が28議席、正義開発党 (For Justice and Development) が21議席を獲得した。
2009年に大統領選挙を実施する予定だったが、選挙人名簿の不備を理由に政府は延期を重ね、8月に選挙人名簿無しのまま選挙戦が始まった。これに対し、野党が反発。野党が優勢な下院は大統領選を再考する決議を採択した。2009年8月29日、野党が優勢なソマリランド下院を、大統領の命を受けたソマリランド軍が武力で制圧。議員は議場に入れない状態となった。イギリスとアフリカ連合、エチオピアが仲裁に乗り出した。
2010年6月26日に大統領選挙が行われ、現地の選挙管理委員会は最大野党クルミエ党首のアフメド・モハンマド・シランヨの当選を発表した[10]。2012年に一部領域がチャツモ国として独立を宣言したが、2017年10月20日に両者合意のもと、ソマリランドが再吸収した[11]。
国際関係
編集ソマリランド側はソマリア暫定連邦政府(後に正式な政府に改編)に対して激しく反発しており、ソマリアとの再統合は、もはや不可能な情勢になっている。現地住民の多くは自らソマリランド人と認識し、治安が良く平和なソマリランドは、破綻国家のソマリアは全く別の国であると考えている[6]。
隣国のエチオピアはハルゲイサに事実上の大使館を設置しており[6]、両国は緊密な関係を保持している[12]。エリトリアの独立によって内陸国になったエチオピアにとって、ソマリランドの港湾都市ベルベラは貿易ルートとして重要という背景もあり、コンテナ取扱施設拡張の完成式典に代表を派遣した[6]。
2020年12月には、ムセ・ビヒ・アブディ大統領の公式訪問を、ソマリアとの関係が悪化しているケニアが受け入れた[6]。
なお、エチオピアを含め諸外国やアフリカ連合は、ソマリランドを国家承認はしていない。エチオピア国内にもソマリ人が住んでいるなど、少数民族を抱えた国が多いためである[6]。
同じくソマリアからの分離を宣言したプントランドとは国境紛争を抱えている。プントランドはソマリランド共和国と違い、ソマリア連邦政府への参加(要はソマリアに合流する)を表明しており、方針上対立している。また、ソマリランド東部(プントランド側から見れば北西部)はプントランド・ソマリランド紛争も起きており、そこで独立宣言をする地域が出るなど、政情が安定しない結果となっている。
現在ソマリランド共和国は旧英領ソマリランドの西半部を支配しているが、北東のマーヒル地域はソマリアへの帰属を2007年7月に主張、南東のスール州は2003年からプントランドが支配し、さらに西端のアウダル地区にも分離の動きがある。2007年10月にソマリランド軍がスール州都を武力攻撃し、占拠した。2008年にソマリランド軍が東部の町サナーグを攻撃し、マーヒルとプントランドの民兵を駆逐した。
外交
編集2022年現在、ソマリランド外務大臣はエッセ・カイド・モハムードが務めている[13]。
国連加盟国でソマリランドを正式に国家承認している国家は無い。ただし2024年1月にエチオピアとの間でソマリランド港の使用に関する覚書が交わされ、ソマリランド大統領はその後の談話でエチオピアがやがてソマリランドを承認する最初の国となるだろうと述べている[14]。非加盟国では中華民国(台湾)とミクロネーションのリベルランド自由共和国の二ヶ国しかないが、十カ国に駐在員事務所を持っているほか、三カ国の在外公館が首都ハルゲイサにある。
- ソマリランドの在外事務所
- エチオピア・首都アディスアベバ(連絡事務所)
- ジブチ・首都ジブチ市(事務所)
- ケニア・首都ナイロビ(連絡事務所)
- 南アフリカ共和国・行政首都プレトリア(駐在員事務所)
- アメリカ合衆国・首都ワシントンD.C.(駐在員事務所)
- フランス・首都パリ(事務所)
- イタリア・トリノ(駐在員事務所)
- スウェーデン・首都ストックホルム(駐在員事務所)
- イギリス・首都ロンドン(駐在員事務所)
- 中華民国(台湾)・首都台北(ソマリランド代表処)
- 在ソマリランド外国公館
政治
編集行政は大統領制をとる。
ソマリランド議会は二院制。上院は82人の「長老」から成る。元々は「国民和解のための大会議(ボロマ会議、ボラマ会議)」と呼ばれ、民兵の武装解除に尽力したため "Peace maker" と言われている。政情混乱が続くソマリア本土に対し比較的安定した民主主義が行われているとされる[15]。
ソマリランドの憲法第9条第2項により政党は3つまでしか存在を認められておらず、政党は3つしか存在しない。
言論統制が行われており、多くのジャーナリストを不当に逮捕・抑留しているとして国際的非難を浴びている。またソマリア政府を支持することは禁止されており、政治家が追放となった事例もある。2018年に東部の紛争地帯を取材した記者を[16]、2020年にはFacebook上でソマリランド警察を批判する投稿を行ったジャーナリストを、ソマリアの大統領モハメド・アブドゥライ・モハメドと面会した女性をそれぞれ逮捕している[17]。
治安
編集ソマリア本土よりは治安が守られているという報告もある[6]が、日本国外務省は、「ソマリランドを含む全土に渡って」ソマリアの治安が極めて不安定であり、渡航者がテロに巻き込まれる可能性や誘拐の被害に遭う可能性が非常に高い状況とし[18]、危険レベル4「退避してください。渡航は止めてください(退避勧告)」を出している[19]。2003年には国境なき医師団の医師が殺害される事件が発生している他、2005年には民間人と警察との間で銃撃戦が行われたり、アル・カーイダ戦闘員が逮捕されたりもしている[20]。
地方行政区分
編集ソマリランドは6つの州(地域とも)に区分される。その区分はソマリア時代の行政区画とは異なる。
主要都市
編集地理
編集ソマリランドはアフリカの角の北西部にある。西にジブチ、南にエチオピア、東にプントランドと接する。北のアデン湾に沿って740 kmの海岸線を持つ。気候は乾燥と湿潤が混ざっている。良港を持つベルベラでは47.7 ℃を記録したこともある一方で、北東の町エリガボでは最低気温マイナス3.3度を記録したこともある。
北東部は山岳地域で標高900 mから2100 m程度、西のアウダル地区は肥沃な平地で海には島、サンゴ礁、マングローブが見られ、中央部トグディール地区は半砂漠で、多少の緑地がある。エリガボの北10 kmにはアデン湾を見下ろす断崖があり、ネズの林が続く。断崖の高さは2000 mで、エリガボから海へ下る道がある。この近くにソマリランドの最高地点(2416 m)がある。
緑に恵まれたサバンナ地帯では動物が繁殖し、ソマリランド固有種もいる。特徴的な動物としてはクーズーをはじめとする各種のレイヨウ、野豚、ソマリノロバ(アフリカノロバの亜種)、イボイノシシ、ヒツジ(ソマリ羊)、ヤギ、ラクダ、ライオン、チーターなどが見られ、またブラオにはカラカルの世界最大の生息地があることが知られている。その他、鳥類や魚類にも多くの種類が見られる。
経済
編集ソマリアと比べて政治の安定性はあり、経済も機能しているが、国際的には最貧国の一つとされる。それでも通貨ソマリランド・シリングは、ソマリアの通貨ソマリア・シリングより価値が高い。主要産業は畜産業(特に荷役や食用のラクダ)など第1次産業がほとんどだが、良港ベルベラを抱えることもあり、海上交通の要衝としても注目される。また、このベルベラ港はエチオピアの輸出・輸入港としても機能している。
天然資源としては石油、天然ガス、鉛、石灰、金などの埋蔵が確認されているものの、本格的な採掘はされていない。さらに、独立が承認されていないことからアフリカ連合などの国際機関からの資金援助を受けることができない状態である。
モンティ・マンフォードの2010年のレポートによると、ソマリランドでは現金があまり信用されておらず、キャッシュカードやATMが普及していないためキャッシュレス化が進んでおり、モバイルバンキングが盛んであるという。ソマリランド国内ではモバイルバンキングキャリアが競争を繰り広げており、広く利用されている。また、世界各地のソマリランド離散民は、ダハブシルのような海外送金業者を使用してソマリランドにアメリカ合衆国ドル(米ドル)を送金しており、ソマリランドの人々は世界各地の代理店および支店を通じて入金されてから5分以内に米ドルを引き出すことができる[21]。
現地を走る車の99%は日本車であるという[22]。またダーロ航空が、ジブチやドバイ、ジェッダ、アディスアベバに就航している。
国民
編集民族
編集住民はソマリ人。ソマリ人は5大氏族(ラハンウェインをディジルとミリフレに分けた場合は6大氏族)に分かれるが、ソマリランドの主要氏族はイサックで、ソマリア南部の主要氏族ハウィエとは異なる。なおイッサ族はジブチ(旧フランス領ソマリ)で多数派を占めているほか、エチオピアにも居住している氏族であるが、イサックとは名前は似ているものの実際には無関係であり、氏族で言えばディル氏族に属する。
言語
編集大多数の国民は2つの公用語である、ソマリ語かアラビア語を話す。イスラム教の必修技能であるアラビア語の教育は学校で義務的に行われ、国中のモスクでも使用される。また英語も学校で話され、教育されている。
ソマリ語は、クシ語派の、エチオピア、ソマリア、ジブチ、ケニアなどで話されている低地東部クシ語群に属している。最も広く使われているソマリアの方言は共通ソマリ語である。言語の才覚は、ソマリ社会で非常に重要とされている。求婚者、戦士、聖職者、政治家などの能力は、その雄弁さによって大きく左右される。
イギリス領ソマリランドの時代には、英語が学校や政府で支配的だった。そのため政府や民間企業の重要なポストが、ほんの一部の英語使用層によって占められることになる。言語的には均質性の高い地域であるにもかかわらず、社会の一部の人々にしか親しまれていない外国語の支配に基づいて社会・経済の発展を図ることは、大きな社会問題となった。
1972年にソマリア政府がラテン文字表記によるソマリ語の公的な使用を必須とし、言語による障害は大きく改善することになった。
宗教
編集ほぼ全ての国民がイスラム教スンナ派であり、イスラム教は国教となっている。イスラム教以前のアニミズムの痕跡はソマリランドにも認められるが、イスラム教はソマリランド社会の中心的な規範となっている。イギリス統治時代には、カトリックによる布教が行われていた。
憲法では信仰の自由がうたわれている一方で、イスラム教徒以外の布教とイスラム教徒の改宗・棄教を認めていない。2018年8月、ソマリランド当局はブラオで活動するカトリック系支援組織のアメリカ人女性を改宗の容疑で逮捕した。アメリカ政府は当局と交渉し、女性は解放され国外退去となった[23]。
スポーツ
編集ソマリランドサッカー連盟によって、サッカーソマリランド代表が組織されている。国際サッカー連盟(FIFA)やアフリカサッカー連盟(CAF)には未加盟のため、FIFAワールドカップおよびアフリカネイションズカップには参加出来ない。
教育
編集税所篤快が尽力して、米倉誠一郎が学長を務める起業家育成に特化したソマリランド初の大学院 Japan-Somaliland Open University が2014年11月に開校したが[24]、治安が悪く日本政府および家族から止められたため失敗に終わった[25]。
脚注
編集- ^ Somaliland Republic : Country Profile Archived 2012年2月12日, at WebCite
- ^ “Political Handbook of the World 2016-2017”. 2017年9月15日閲覧。
- ^ “Republic of Somaliland: Country Profile 2021” (英語). gollisuniversity.com. 23 December 2021時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月24日閲覧。
- ^ “The Somaliland Health and Demographic Survey 2020”. Central Statistics Department, Ministry of Planning and National Development, Somaliland Government: 35.
- ^ “Somaliland”. Worldstatemen.org. 2021年5月23日閲覧。
- ^ a b c d e f g 【ニュースの門】不思議な「国」ソマリランド『読売新聞』朝刊2021年8月19日(解説面)
- ^ “索馬利蘭共和國”. 中華民国外交部. 2021年8月13日閲覧。
- ^ “Xubnaha Golaha Shacabka ee Baarlamaanka 10aad” (ソマリ語). 人民議会 (2018年5月10日). 2021年8月13日閲覧。
- ^ Lewis, I. M. (1 January 2008) (英語). Understanding Somalia and Somaliland: Culture, History, Society. Hurst. ISBN 978-1-85065-898-6
- ^ 「大統領」に野党党首 独立宣言のソマリランド[リンク切れ]日本国外務省 海外安全ホームページ
- ^ “Khaatumo and Somaliland reach final agreement”. Somaliland Daily. (2017年10月21日) 2021年5月6日閲覧。
- ^ Section II: Somaliland Archived 2010年12月10日, at the Wayback Machine.. International Council on Security and Development(2010年9月24日閲覧)
- ^ “SOMALILAND:Ministry Of Foreign Affairs all Staff Members Welcomed New Appointed Minister Dr.Saad Ali shire”. Somaliland Nation News. (2015年10月30日) 2018年9月3日閲覧。
- ^ . https://www.reuters.com/world/africa/landlocked-ethiopia-signs-pact-use-somalilands-red-sea-port-2024-01-01/
- ^ 中村和恵(比較文学者)【書評】謎の独立国家ソマリランド 高野秀行著 安定した「空白地帯」の実態『日本経済新聞』朝刊2013年4月10日付(2021年8月20日閲覧)
- ^ “Somaliland journalist detained without charge”. ジャーナリスト保護委員会 (2018年2月21日). 2018年2月22日閲覧。
- ^ “Not yet recognized, Somaliland marks 30 years of self-rule with vast challenges”. ガローウェ・オンライン (2021年5月19日). 2021年5月23日閲覧。
- ^ ソマリア:テロ・誘拐情勢 日本国外務省-海外安全ホームページ<(2021年8月20日閲覧)
- ^ ソマリア 危険・スポット・広域情報 日本国外務省-海外安全ホームページ<(2021年8月20日閲覧)
- ^ 海外安全ホームページ[リンク切れ]日本国外務省
- ^ ちっぽけなソマリランドは、世界初のキャッシュレス社会になれるか? TechCrunch(2010年9月7日)2021年8月20日閲覧
- ^ NHK「アフリカ」プロジェクト『アフリカ21世紀――内戦・越境・隔離の果てに』(日本放送出版協会、2002年)81ページ ISBN 4-14-080693-1
- ^ “2018 Report on International Religious Freedom: Somalia”. アメリカ合衆国国務省 (2018年). 2021年5月23日閲覧。
- ^ “東アフリカの未承認国家「ソマリランド」で大学院を作った25歳の日本人”. キャリコネニュース. (2014年12月30日) 2015年1月18日閲覧。
- ^ 教育界の「お騒がせ男」が受験サプリに加入した理由 NewsPicks(2015年7月5日)2021年8月20日閲覧
参考文献
編集- 松本仁一『カラシニコフ I』朝日文庫、2008年7月。ISBN 4-02-261574-5、ISBN 978-4-02-261574-9。
- 高野秀行『謎の独立国家ソマリランド そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア 本の雑誌社、2013年2月。ISBN 978-4-86011-238-7。
関連項目
編集外部リンク
編集- ソマリランド政府公式サイト
- ソマリランド (TheRepublicOfSomaliland) - Facebook
- ソマリランド (@Somalilandgovt) - X(旧Twitter)
- ソマリランド共和国憲法 - Somalilandlaw.com