八尾空港
八尾空港(やおくうこう、英: Yao Airport)は、大阪府八尾市にある国管理空港である。空港法に基づく空港の分類では「その他の空港」に位置づけられている[1][2]。関西圏のゼネラル・アビエーションの拠点として利用されている。
八尾空港 Yao Airport | |||||||||||||
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八尾空港の管制塔 | |||||||||||||
IATA: なし - ICAO: RJOY | |||||||||||||
概要 | |||||||||||||
国・地域 | 日本 | ||||||||||||
所在地 | 大阪府八尾市 | ||||||||||||
種類 | その他[1] | ||||||||||||
運営者 | 国土交通大臣[1] | ||||||||||||
運用時間 | 8:00 - 19:30[1] | ||||||||||||
敷地面積 | 70[1] ha | ||||||||||||
標高 | 10[1] m | ||||||||||||
座標 | 北緯34度35分46秒 東経135度36分10秒 / 北緯34.59611度 東経135.60278度座標: 北緯34度35分46秒 東経135度36分10秒 / 北緯34.59611度 東経135.60278度 | ||||||||||||
地図 | |||||||||||||
八尾空港の位置 | |||||||||||||
滑走路 | |||||||||||||
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空港の一覧 |
概要
編集概説
編集大阪市の南東約14km[注 1]に位置している空港である。定期便の就航はなく[2]、主として航空宣伝・写真測量・操縦訓練などの事業用や自家用の小型航空機やヘリコプターの発着に利用されているほか[3][4]、陸上自衛隊や消防・警察の航空隊が利用している[1]。また、航空管制官が配置される空港となっている[5]。
1933年(一説には1934年、1938年[1][4]とも)に設置された阪神飛行学校の滑走路が前身[1][4]。大日本帝国陸軍の飛行場などを経て[4]、1956年から八尾飛行場として供用された[6][7]。1961年に空港整備法上の第二種空港に指定され、1967年に八尾空港と改称された[8]。2006年5月11日には、隣接地に航空法の高さ制限を超える違法構造物が建設されたため、「離着陸への危険の恐れがある」として、滑走路1本の閉鎖を余儀なくされたが、翌月12日、建造物の撤去に伴い閉鎖を解除した[9]。なお、大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)谷町線の終着駅である八尾南駅から当空港にかかる広大な空き地は、かつての民間航空機のエプロンで[1]、ここを国・大阪府・大阪市[注 2]・八尾市が共同で再開発を進める計画が持ち上がっている[10][11]。
2008年の空港法で「その他の空港」[注 3]に位置付けられたが、「当分の間は、国土交通大臣が設置・管理する空港で、国際航空輸送網又は国内航空輸送網の拠点となる空港とみなす」との経過措置が設けられた[注 4][12]。
設置者および管理者は国土交通大臣で[1]、大阪航空局八尾空港事務所が管理する[注 5][1]。運用時間は8時から19時30分の11.5時間(必要に応じて延長する場合あり)[1][13]で、空港への進入道路は22時から翌6時の間は閉鎖される[13]。最大離陸重量5.7tを超える航空機の使用は原則認められていない[13]。
八尾VOR / DMEは整備されているものの、管理官所は、大阪空港事務所システム運用管理センターである。
利用状況
編集約180機の固定翼機やヘリコプターが常駐しており、小型ビジネスジェット機も常駐・飛来する。ただし、概要に記載された騒音規制をクリアした機体に限る。
利用目的は、固定翼機および回転翼機を使用しての宣伝広告・写真測量・遊覧飛行・薬剤散布・操縦訓練等の産業航空、災害援助・海難援助・消火救難・海洋汚染パトロール、報道・ドクターヘリの給油、企業所有のビジネス航空機の運航整備基地などのほか、自家用航空機にも利用されている[4]。
年間着陸回数
編集- 2014年(平成26年)度:14,060回
- 2015年(平成27年)度:13,757回
- 2016年(平成28年)度:13,104回
- 2017年(平成29年)度:13,168回
- 2018年(平成30年)度:12,747回
- 2019年(平成31年・令和元年)度:9,902回
- 2020年(令和2年)度:9,151回[14]
※ 発着回数は、着陸回数の概ね2倍である ※空港管理状況調書(国土交通省航空局)より(2020年度を除く)。
歴史
編集- 1933年(昭和8年) - 中河内郡大正村大字南木本・太田の農地埋め立てにより東西700m、南北300mの芝生張滑走路が設けられ、阪神飛行学校が設立、民間機パイロットの養成訓練開始。
- 1940年(昭和15年) - 大日本帝国陸軍へ移譲。阪神飛行学校閉校。大正陸軍飛行場と改称。
- 1941年(昭和16年) - 敷地が約6倍に拡張される。北側と西側へ拡張され、南木本と太田を結ぶ道路(旧八尾藤井寺線)は分断され西へ迂回させられるが、エプロンへの通路が設けられたため地下道でくぐるようになった。
- 1944年(昭和19年)7月 - 京阪神防空のため編成された陸軍第11飛行師団司令部が置かれ、また二式単戦「鍾馗」、四式戦「疾風」装備の飛行第246戦隊・第246飛行場大隊が置かれた。
- 1945年(昭和20年) - 日本を占領下に置いた連合国を構成するアメリカ軍によって一時接収され、ヘリコプター部隊が使用。三角地(現ターミナルエリア)での農耕が始まる。
- 1952年(昭和27年) - 阪神飛行場と改称し、一部民間での使用開始。
- 1954年(昭和29年) - アメリカ軍が撤収し、日本政府に全面返還。陸上自衛隊浜松駐屯地(現在の航空自衛隊浜松基地)から第3管区航空隊が伊丹駐屯地八尾分屯地(八尾飛行場)へ移駐。
- 1955年(昭和30年) - 日東航空が白浜線にて路線事業を開始。
- 1956年(昭和31年)3月31日 - 全国初の民間飛行場として供用開始[6][7][注 6]。
- 1961年(昭和36年) - 空港整備法による第二種空港に指定。
- 1962年(昭和37年)1月18日 - 第3管区隊第3航空隊(八尾駐屯地)が第3飛行隊に改編され、中部方面航空隊隷下に編合。
- 1969年(昭和44年) - 海上保安庁第五管区海上保安本部八尾航空基地設置。
- 1970年(昭和45年) - 大阪市消防局航空隊基地設置。
- 1984年(昭和59年) - 八尾南駅北側にあった旧エプロンが廃止され、現在の新ターミナル地域供用開始[10]。
- 1987年(昭和62年) - 固定翼エプロン増設。A滑走路改良工事。
- 1994年(平成6年) - B滑走路改良工事。
- 2004年(平成16年) - 海上保安庁第五管区海上保安本部八尾航空基地が、関西空港海上保安航空基地への再編に伴い廃止。
- 2006年(平成18年)5月11日 - B滑走路隣接民有地に、航空法が定める高さ制限を越える建造物の築造があり[9]、撤去作業のため6月12日まで閉鎖[16]。
- 2007年(平成19年)2月13日 - 阪急ホールディングス・阪神電気鉄道の経営統合に伴う事業の一環として、阪神タイガースヘリコプターの披露式典が行われた。
- 2008年(平成20年)8月19日 - 着陸しようとした第一航空の小型機が機体トラブルのため、八尾市内の大阪外環状線弓削交差点東側の市道に緊急着陸。乗っていた2人が軽傷を負う事故が発生[17]。
- 2013年(平成25年)6月3日 - 日本維新の会共同代表(当時)の橋下徹と大阪府知事兼幹事長(当時)の松井一郎は米軍の新型輸送機オスプレイの訓練について八尾空港を候補地として国に提案したが[18][19][20]、八尾市長の田中誠太は受け入れ反対を表明した[注 7][21][22]。
- 2016年(平成28年)3月26日 - 小型機の墜落事故が発生し、4人が死亡する事故が発生[23][24]。
施設
編集滑走路など
編集1490mと1200mの2本の滑走路が交差している。また、ノースエプロン(回転翼用6スポット)とサウスエプロン(固定翼用66スポット、回転翼用4スポット、試運転用1スポット)が設けられている[13]。
航空事業者施設
編集次の事業者が事業所や格納庫などを設置し、業務用や自家用の航空機を配備している[13]。
- 固定翼機[1]:朝日航空、アジア航測、大阪航空[3]、共立航空撮影、第一航空、ノエビアアビエーション
- 回転翼機[1]:朝日航洋、東邦航空、中日本航空
- メンテナンス・ディーラー:関西アビエーション、エアロラボインターナショナル、アビエーションレップ
その他の施設
編集敷地内にあるその他の拠点施設と配備航空機は次のとおり。
- ベル206L-4「せんなり」(JA6956)
- EC135P3「つばさ」(JA10PD)
- ベル412EP「まいしま」(JA6868)
- AW139「おおわし」(JA6196)
- AW139「はやかぜ」(JA6523)
- EC135P1「ちはや」(JA6803)
- 大阪府中部広域防災拠点
- 備蓄倉庫や災害時の物資集配センター、ヘリコプターの駐機場や応援部隊の活動の拠点となる広場などが整備されている。
交通
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 大阪市役所から空港事務所までの距離。
- ^ 当該敷地の一部が平野区内となるため。
- ^ 空港法施行令(平成20年6月18日政令第197号)において、空港の分類を指定する別表に記載されていない空港。空港法第2条に規定する空港(共用空港以外の空港)のうち拠点空港、地方管理空港及び公共用ヘリポートを除く空港。
- ^ 空港法施行令(平成20年6月18日政令第197号)改正附則「(経過措置) 2 第一条の規定による改正前の空港整備法施行令別表第二に規定する八尾空港は、当分の間、空港整備法及び航空法の一部を改正する法律第一条の規定による改正後の空港法(昭和三十一年法律第八十号。次項において「新空港法」という。)第四条第一項第六号に掲げる空港とみなす。」
- ^ 空港整備事業は近畿地方整備局大阪港湾・空港整備事務所が担当する。
- ^ 1960年(昭和35年)7月[15]に八尾飛行場と改称した[1]との説もある。
- ^ そもそも、空虚重量でも15tほどの自重があるオスプレイは、現在の八尾空港の滑走路面の舗装が耐えうる航空機重量上限の5.7tを大きく上回るため、仮に運用の受け入れを行うならば路面改修の必要がある。
- ^ 当時は南紀白浜空港開設前のため、田辺漁港の近辺で離着水を行っていた。
出典
編集- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y 月刊エアライン 2022, p. 50.
- ^ a b “豊岡駅から但馬飛行場まで歩いたら峠道の苦行…わずか1日2便、羽田便なしのうら寂しさよ”. business journal (2021年2月6日). 2022年6月21日閲覧。
- ^ a b ““痛飛行機”機内初公開&フライトに同行! 「フライトキャラバン 八尾空港」で空撮ミッションに密着した”. トラベルWatch (2017年6月7日). 2022年6月21日閲覧。
- ^ a b c d e “東大阪に空港? 関空&伊丹に続く謎の存在、「八尾空港」へ”. Lmaga.jp (2022年2月13日). 2022年6月21日閲覧。
- ^ 月刊エアライン 2022, p. 84.
- ^ a b 「八尾飛行場 きょう開場式」『交通新聞』交通協力会、1956年3月31日、1面。
- ^ a b 八木圭吾「八尾飛行場の発足をめぐって」『航空』第3巻第5号、航空研究会、1956年5月5日、32-35頁、doi:10.11501/1750244。
- ^ “大阪港湾・空港整備事務所「八尾空港」”. 国土交通省近畿地方整備局. 2017年6月26日閲覧。
- ^ a b “倉庫建築で滑走路閉鎖 航空法の制限超える”. 西日本新聞 (2006年5月28日). 2006年6月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月21日閲覧。
- ^ a b c “大阪メトロ・八尾南駅前の「荒涼とした虚無の風景」変わる!? 土地活用へ調査開始”. 乗りものニュース (2022年2月25日). 2022年6月21日閲覧。
- ^ a b “大阪メトロ終着駅前「謎の空き地」が動き出す”. 産経ニュース. (2022年2月26日) 2022年6月21日閲覧。
- ^ “空港一覧”. 国土交通省. 2017年6月26日閲覧。
- ^ a b c d e “八尾空港供用規程” (PDF). 国土交通省大阪航空局 (2014年3月11日). 2016年8月27日閲覧。
- ^ 月刊エアライン 2022, p. 61.
- ^ “大阪航空局_大阪航空局のご案内_管内空港の現況と出先機関_八尾空港”. ocab.mlit.go.jp. 2020年2月22日閲覧。
- ^ “違法倉庫を撤去、滑走路の閉鎖解除 大阪・八尾空港”. 朝日新聞 (2006年6月12日). 2006年6月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月21日閲覧。
- ^ “【東京・調布小型機墜落】「他人事ではない」7年前に国道で不時着の八尾市消防 伊丹は空港外での墜落想定した訓練は行わず”. 産経ニュース. (2015年7月26日) 2022年6月21日閲覧。
- ^ “オスプレイ訓練、大阪府の八尾空港で受け入れ表明へ 松井府知事”. ハフポスト (2013年6月1日). 2022年6月21日閲覧。
- ^ “オスプレイ 大阪・八尾空港で 橋下氏 受け入れ提案へ”. テレ東BIZ (2013年6月3日). 2022年6月21日閲覧。
- ^ “橋下市長「大阪・八尾空港にオスプレイを」”. 日テレNEWS (2013年6月6日). 2022年6月21日閲覧。
- ^ 田中誠太 (2013年6月17日). “八尾空港へのオスプレイ飛行訓練受入れ反対について”. 八尾市. 2022年6月21日閲覧。
- ^ “オスプレイ構想に反対 大阪・八尾市長が表明”. 日本経済新聞. (2013年6月3日) 2022年6月21日閲覧。
- ^ “大阪・八尾空港で小型機墜落 4人死亡”. 朝日新聞 (2016年3月26日). 2019年6月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月21日閲覧。
- ^ “大阪・八尾空港で小型機墜落、4人死亡 着陸やり直し失敗か”. 日本経済新聞. (2016年3月26日) 2022年6月21日閲覧。
参考文献
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 八尾空港 (PDF) - 国土交通省
- 八尾空港 - 八尾市立図書館
- 日本アマチュア飛行クラブ