古池 拓一(こいけ たくいち、1971年4月19日 - )は、香川県出身の元プロ野球選手投手)。

古池 拓一
浜松開誠館高等学校硬式野球部 コーチ
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 香川県綾歌郡国分寺町(現:高松市[1]
生年月日 (1971-04-19) 1971年4月19日(53歳)
身長
体重
177 cm
70 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1992年 ドラフト6位
初出場 1993年6月12日
最終出場 2001年6月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

来歴・人物

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中学の時に野球を始める[2]

坂出商業高校時代は1年秋からエースとなり、2年春の四国大会で優勝する[2]。2年生の夏にエースとして第70回全国高校野球選手権大会に出場するも、1回戦で篠田淳率いる大垣商業に敗れた[2]。3年生の夏は香川県大会決勝戦で宮地克彦谷佳知を擁した尽誠学園に敗れた[2]

高校卒業後は社会人野球松下電器では都市対抗野球に登板[3]

1992年度ドラフト会議にて中日ドラゴンズから6位指名で交渉権を獲得し、契約金4500万円、年俸720万円(金額は推定)で入団[4]サイドスローからスライダーやシュートを武器とした。

1995年にはオープン戦で好投を評価され、開幕二戦目の先発に抜擢、初先発初勝利を記録。先発ローテーション入りも果たし、6勝を挙げる。

新人の年に横浜戦で谷繁元信に死球を与えると、ベンチからグレン・ブラッグスが激昂して飛び出す。翌日、ブラッグスの第1打席で津野広志が死球を投じて乱闘騒ぎとなった。

1999年シーズンオフに東瀬耕太郎門倉健とともに小池秀郎(社会人で同僚)・佐野重樹善村一仁との3対3の交換トレード大阪近鉄バファローズへ移籍[5]

2001年シーズン限りで現役を引退[2]

引退後、イベント会社を設立しながら、星野仙一の付き人を務めた。

その後、高校時代のチームメイトで代表を務める藤本義隆(起業家)や元ロッテの藤田宗一らを創設メンバーとして、埼玉県でボーイズリーグ加盟の「吉川美南ボーイズ」を立ち上げ、監督に就任していた。

2017年より浜松開誠館高等学校硬式野球部のコーチに就任。中日時代のチームメイト・佐野心もともに同部の監督に就任した[6]

詳細情報

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年度別投手成績

編集




















































W
H
I
P
1993 中日 6 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 29 6.1 8 2 4 0 1 5 0 0 2 2 2.84 1.89
1995 29 17 2 0 1 6 10 3 -- .375 501 118.2 113 18 37 3 7 117 1 0 57 55 4.17 1.26
1996 11 3 0 0 0 0 1 0 -- .000 116 25.0 27 4 15 0 5 20 0 0 12 12 4.32 1.68
1997 30 19 0 0 0 4 9 0 -- .308 439 98.2 93 7 51 3 7 87 0 3 56 55 5.02 1.46
1998 3 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 22 4.0 7 2 4 0 0 2 0 0 6 5 11.25 2.75
1999 8 0 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 72 15.0 15 2 11 1 0 17 0 0 11 10 6.00 1.73
2000 近鉄 8 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 58 12.1 11 2 9 0 0 12 1 0 7 7 5.11 1.62
2001 4 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 37 7.1 11 3 4 0 1 7 1 0 8 7 8.59 2.05
通算:8年 99 39 2 0 1 11 20 3 -- .355 1274 287.1 285 40 135 7 21 267 3 3 159 153 4.79 1.46
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

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背番号

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  • 46(1993年 - 1999年)
  • 47(2000年 - 2001年)

参考文献

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脚注

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  1. ^ プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、212ページ
  2. ^ a b c d e プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、213ページ
  3. ^ '94スポニチプロ野球手帳
  4. ^ 朝日新聞、1992年12月1日付朝刊 (23面)
  5. ^ 朝日新聞、1999年11月7日付朝刊 (23面)
  6. ^ 元中日投手の古池拓一・浜松開誠館高コーチ「選手たちと野球をやるのは楽しい」元竜戦士トリオで甲子園を目指す」『中日スポーツ』2022年4月22日。2024年1月10日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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