津田鳳卿
津田 鳳卿(つだ ほうけい、1779年(安永8年) - 1847年6月6日(弘化4年4月23日))は江戸時代後期の加賀藩士。字は邦儀、通称は亮之助、梧崗と号した。
人物
編集加賀藩校明倫堂の助教、御馬廻、書物奉行、南土蔵奉行などを歴任[1]。博覧強記で知られ[2]、和漢の書において渉猟せぬことなしとされた[1]。
藩侯の命によって古文書を収集し、『汲古合編』を編纂。また『韓非子解詁全書』を著した[1]。1847年(弘化4年)、享年69をもって没[1][2]。
脚注
編集参考文献
編集- 和田文次郎『金沢墓誌』(加越能史談会,1919)
- 日置謙 編『加能郷土辞彙』(金沢文化協会,1942)
関連資料
編集- 石川県『石川県史 第3編』(石川県図書館協会,1974)309頁
- 家臣人名事典編纂委員会編『三百藩家臣人名事典 第3巻』(新人物往来社,1988)228頁 ISBN 4404015038