胆沢町
日本の岩手県胆沢郡にあった町
胆沢町(いさわちょう)は、岩手県南部の胆沢郡に属していた町である。
いさわちょう 胆沢町 | |||||
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廃止日 | 2006年2月20日 | ||||
廃止理由 |
新設合併 水沢市、江刺市、胆沢町、前沢町、衣川村 → 奥州市 | ||||
現在の自治体 | 奥州市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 東北地方 | ||||
都道府県 | 岩手県 | ||||
郡 | 胆沢郡 | ||||
市町村コード | 03383-9 | ||||
面積 |
298.02 km2 (境界未定部分あり) | ||||
総人口 |
17,297人 (推計人口、2006年2月1日) | ||||
隣接自治体 |
岩手県 水沢市、北上市、一関市 胆沢郡:金ケ崎町、前沢町、衣川村 和賀郡:西和賀町 秋田県 雄勝郡:東成瀬村 | ||||
町の木 | ユキツバキ | ||||
町の花 | ヤマユリ | ||||
町の鳥 | ヤマドリ | ||||
胆沢町役場 | |||||
所在地 |
〒023-0492 岩手県胆沢郡胆沢町南都田字加賀谷地270番地 (現在の奥州市胆沢南都田字加賀谷地270番地) | ||||
座標 | 北緯39度07分02秒 東経141度04分12秒 / 北緯39.11711度 東経141.06994度座標: 北緯39度07分02秒 東経141度04分12秒 / 北緯39.11711度 東経141.06994度 | ||||
ウィキプロジェクト |
2006年(平成18年)2月20日に、水沢市、江刺市、胆沢郡前沢町、衣川村と合併して奥州市となり廃止した。
現在は奥州市の西部を占める。
地理
編集西は奥羽山脈の一部である焼石(やけいし)連峰、東は北上山地とも呼ばれる北上高地に囲まれた扇状地に位置し、町内は大きく南都田(なつた)、小山(おやま)、若柳(わかやなぎ)の3つの地域に区分される。
平安初期、征夷大将軍坂上田村麻呂が胆沢地方を本拠地としていた蝦夷のアテルイ(阿弖流為)を討伐するために築いたという胆沢城(国の史跡)は有名だが、これは実は、現在の水沢市に立地していたという。 また、町内南都田に国内最北に位置する前方後円墳である角塚古墳がある。
胆沢川上流には石淵ダムがあるが、近々これに代わり、国内最大級のロックフィルダムである胆沢ダムが完成する。
胆沢平野には、中世の東日本の農村の姿であったと言われる散居が見られるが、これは、富山県の砺波(となみ)平野、島根県の出雲(いずも)平野と並び、日本三大散居集落の一つに数えられる。
歴史
編集沿革
編集- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制が施行され、胆沢郡に以下の3村が成立する。
- 小山村が単独で村制施行し、小山村が成立。
- 南下幅村、都鳥村、東田村の一部が合併し、南都田村が成立。
- 旧・若柳村と東田村の一部が合併し、若柳村が成立。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 小山村, 南都田村, 若柳村が合併し、胆沢村となる。
- 1955年(昭和30年)7月1日 - 胆沢村の一部が水沢市に編入される。
- 1959年(昭和34年)4月1日 - 胆沢村の一部が胆沢郡前沢町に編入される。
- 1967年(昭和42年)4月1日 - 胆沢村が町制施行し、胆沢町となる。
- 2006年(平成18年)2月20日 - 水沢市、江刺市、胆沢郡前沢町、衣川村と合併し、奥州市となる。
行政
編集姉妹都市・友好都市
編集国内
編集学校
編集小学校
編集- 胆沢町立南都田小学校
- 胆沢町立若柳小学校
- 胆沢町立愛宕小学校
- 胆沢町立胆沢第一小学校
中学校
編集- 奥州市立胆沢中学校
高等学校
編集- 岩手県立水沢農業高等学校
- 岩手県立胆沢高等学校(2010年に閉校)
交通
編集鉄道
編集町内を鉄道路線は通っていない。鉄道を利用する場合の最寄り駅は、JR東日本東北本線水沢駅。
道路
編集百選
編集- 水の郷百選:水と緑の散居の町
- 水源の森百選:焼石連峰水源の森
- 美しい日本のむら景観百選:南都田
胆沢町出身の有名人
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 胆沢町(2006年1月20日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
- 水沢市・江刺市・前沢町・胆沢町・衣川村合併協議会(2005年12月24日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project