日本国有鉄道の地方機関
日本国有鉄道の地方機関は、日本国有鉄道の「従たる事務所」として設置されていた鉄道管理局などの地方機関について述べる。
本記事では地方機関に関連する日本国有鉄道の現業機関制度、および帝国鉄道会計により帝国鉄道庁、鉄道院および鉄道省が直営していた時代に設置された地方機関についても述べる。
国の公共企業体として1949年に設立された日本国有鉄道では、主に従たる事務所として「鉄道管理局」等が置かれた。またそれらを地方単位で統轄する上位機関は、時期に応じて様々な経過を辿り、「支配人」「支社」「総局」など多々の組織改編がなされた。1987年3月時点で、全国に30の鉄道管理局および総局が設置されていた。
地方機関の変遷
編集以下は本稿で述べた主な各地方機関の変遷を一覧図にしたものである。
帝国鉄道庁 (1907-1908) |
鉄道院 (1908-1920) |
鉄道省 (1920-1943) |
運輸通信省 鉄道総局 (1943-1945) |
運輸省 鉄道総局 (1945-1949) |
日本国有鉄道 (1949-1987) | ||||||||
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鉄道管理局 (1908-1920) |
鉄道局 (1920-1950) |
運輸支配人 営業支配人 (1950-1952) |
総支配人 (1952-1957) |
支社 (1957-1970) |
総局 (1970-1987) | ||||||||
帝国鉄道管理局 (1907-1908) |
駐在理事室 輸送計画室 (1970-1985) |
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運輸事務所 保線事務所 (1907-1942) |
管理部 (1942-1950) |
鉄道管理局 (1950-1987) |
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営業事務所 (1907-1908) |
地方営業事務所 地方経理事務所 地方資材事務所 (1950-1952) | ||||||||||||
出納事務所 (1907-1913) | |||||||||||||
(現業機関) | 地方自動車事務所 (1950-1968) |
地方自動車局・地方自動車部 (1968-1987) | |||||||||||
鉄道管理局
編集鉄道管理局は、日本国有鉄道法で日本国有鉄道の従たる事務所と定められた地方機関で、現在の各旅客・貨物鉄道の支社および支店に相当する。現業機関の上位に置かれ、本社と各現業機関との調整・監督を担当した。
鉄道省時代の太平洋戦争中、鉄道局の下に設けた「管理部」(1942年〈昭和17年〉9月11日発足)を再編するために設けられた。1950年(昭和25年)1月1日に北海道(釧路・旭川・札幌)、同年4月1日に四国でそれぞれ管理局制を試行したのち、同年8月1日の地方組織改正で誕生。全国47カ所の管理部および鉄道局を27鉄道管理局に再編した。
発足時点での地方機関は米国流の組織体系にならって業務別の縦割り組織とされ、鉄道輸送業務を行う鉄道管理局のほか、地方営業事務所(営業業務)、地方経理事務所(経理業務)、地方資材事務所(資材業務)、自動車事務所(自動車輸送業務)の各機関が発足した。のち、講和直後に実施した1952年(昭和27年)8月5日の組織改正で、自動車事務所を除く各事務所が鉄道管理局に統合された。
高度経済成長期の首都圏の輸送量急増を受け、1969年(昭和44年)3月1日に東京鉄道管理局を東京北、東京南、東京西の3局(東京3局)に分割した。一方、支社制度時代に新潟、広島、四国の3鉄道管理局が廃止されて支社に統合されたが、1970年(昭和45年)8月14日の支社制度廃止で、新潟、中国の両支社は旧称の鉄道管理局に改称した。また、札幌、門司の各鉄道管理局は1985年(昭和60年)3月20日に北海道、九州の各総局に統合された。札鉄局は北海道総局発足時から1976年(昭和51年)12月1日の道総局組織改正までの期間も総局に統合されている。
1987年(昭和62年)4月1日の分割民営化に備え、同年3月1日に全国14路線で鉄道管理局の「局界」を各承継会社の予定エリアに合わせて変更した。
鉄道管理局の組織
編集鉄道管理局の組織機構は国鉄末期には以下の7部33課を標準としたが[1]、小規模局では4部体制とするなど、局の規模によって違いがあった。各部課は対応する本社部局の地方出先機関として関係現業機関を所轄するとともに、局内他部課と連携して管内業務の調整を行った。
総務部 | 経理部 | 営業部 | 運転部 | 施設部 | 電気部 | 事業開発部 |
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企画室 | 主計課 | 総務課 | 総務課 | 総務課 | 総務課 | 総務課 |
文書課 | 会計課 | 旅客課 | 列車課 | 契約用地課 | 電力課 | 開発課 |
法務課 | 審査課 | 貨物課 | 保安課 | 保線課 | 変電課 | |
人事課 | 調度課 | 公安課 | 機関車課 | 工事課 | 信号課 | |
能力開発課 | 客貨車課 | 建築課 | 通信課 | |||
労働課 | 踏切保安課 |
鉄道管理局の統括機関
編集地方支配人・地方総支配人制度
編集
運輸省から承継した鉄道局に代わって地方単位で地方機関を統括する責任者として1950年8月1日、地方運輸支配人と地方営業支配人を設置した。運輸支配人は本社運輸総支配人直属で管内の鉄道管理局を、営業支配人は本社営業局長直属で管内の地方営業事務所を所管した。このほか地方支配人を介さない本社経理局長直属の地方経理事務所、本社資材局長直属の地方資材事務所、本社自動車局長直属の地方自動車事務所をそれぞれ設置した。
1952年8月5日の組織改正で、地方自動車事務所を除く営業、経理、資財の各地方事務所を鉄道管理局に統合し、同時に運輸支配人、営業支配人に代わって各鉄道管理局を管轄する本社直属の管理者として、北海道総支配人・東北総支配人・関東総支配人・中部総支配人・関西総支配人・西部総支配人の6地方総支配人を設置した[2]。
支社制度
編集
十河信二総裁時代の1957年1月16日、本社から地方への大幅な権限委譲を行うために、総支配人制度を再編して発足したもので[3]、北海道・東北・関東・中部・関西・西部の6支社を設置。のちの分割民営化構想のモデルとなった。
その後、1959年に新潟(関東支社から分離)、中国(西部支社から分離)、四国(関西支社から分離)の3支社を新設し、北海道(札幌・旭川・釧路・青函)、東北(盛岡・秋田・仙台)、関東(水戸・東京・千葉・高崎)、新潟(新潟)、中部(名古屋・静岡・長野・金沢)、関西(大阪・天王寺・福知山・岡山・米子)、中国(広島)、四国(四国)、西部(門司・熊本・鹿児島・大分)の9支社体制となった[3]。
1支社1鉄道管理局の新潟、中国、四国の3支社は、管内の鉄道管理局を廃止して業務を統合した。また東海道新幹線開業に備え、1964年に東海道新幹線支社が発足[3]。西部支社は1968年2月1日の組織改正で九州支社に改称した。
後年、当初の狙いとは逆に組織肥大を招いていると国会などで批判を受け、また、通信インフラの整備もあり、本社組織再編に合わせて1970年8月14日に廃止[4]。北海道支社、四国支社、九州支社と東海道新幹線支社は総局に移行したほか、本州には新たに輸送計画室(東北・中部・関西)、駐在理事室(仙台・名古屋・大阪)を置いた[5]。
総局制度
編集1970年8月15日(昭和45年)には中間組織の簡素化を図るため、支社制度が廃止され、本州における地方機関は本社直轄となった[4]。一方で北海道・九州・四国については地方経営の独自性を認めて総局とし、さらに新幹線を管轄する東海道新幹線総局(のち新幹線総局)を加えて4つの総局が置かれた[4]。
本州には東北支社、中部支社、関西支社があった仙台・名古屋・大阪に駐在理事室(仙台・名古屋・大阪)と輸送計画室(東北・中部・関西)を置いて業務を承継した。旧支社に引き続き、北海道総局は札幌、旭川、釧路、青函、九州総局は門司、熊本、鹿児島、大分の各鉄道管理局を総括した。四国総局はエリアが小さいため、支社時代から鉄道管理局の業務を統合し兼務した。
分割民営化を視野に入れた国鉄再建監理委員会提言に基づく1985年3月20日の組織改正で、北海道・九州両総局は総局所在地の札幌、門司の両鉄道管理局を統合して業務を兼ねたほか、本州の3駐在理事室は廃止、3輸送計画室は仙台、名古屋、大阪の各鉄道管理局内に設けた企画調整室・輸送計画室に統合した。
また総局と同等の地方機関として、支社制廃止時に東京3局(東京南、東京北、東京西鉄道管理局)管内の運輸・予算・投資など一部の業務に限って一括して所管する首都圏本部を設置した[4][5] ほか、1981年4月には東北・上越新幹線の輸送指令業務を所管する東北・上越新幹線総合指令本部を設けた。
本項で述べる地方機関としての「総局」が設けられる以前に、本社部局の「新幹線総局」が設置された時期がある(1960年4月11日 - 1963年7月31日)。本社幹線局を改称したもので、東海道新幹線の建設事業を所管した。
新幹線総局の「輪切り」問題
編集新幹線総局(幹総局)は東海道・山陽新幹線のうち、輸送指令業務のほか、駅を除く路線と現業機関を管轄し、各駅の場内区間と構内、営業業務は、新幹線の各区間に対応する在来線の地元鉄道管理局が管轄した。
山陽新幹線岡山開業直後の1973年、国鉄本社は「鳥飼事故」などの重大なトラブルが多発していた幹総局に対し、その後も予定されていた全国新幹線網の拡大にともなって見込まれる組織の肥大化と、国鉄部内における彼らの権限の際限ない拡大を問題視した。本社は山陽新幹線博多開業(1975年3月10日)に合わせて、西日本の各区間に対応する在来線を管轄する岡山以西の各鉄道管理局に同区間の路線および現業機関も管轄させ、幹総局から業務と権限を切り離す「輪切り」[6] を実施することを検討し、岡山、広島、門司の各鉄道管理局内に新幹線開業準備室を設置して調整にあたった。
しかし本社と3鉄道管理局による改革の試みは、1974年4月20日付で広島管理部(福山・三原間-新下関・小倉間管轄)および九州管理部(新下関・小倉間 - 博多管轄)を幹総局の下に設置する形にとどまり、幹総局は所管を山陽新幹線全線に拡げることになった。
本社がねらった幹総局肥大化阻止はのち、東北・上越新幹線を幹総局に所管させない形で実現した。国鉄内部の幹総局閥の介入を防ぐため、本社直轄として人事の時点から完全に幹総局から切り離した東北・上越新幹線総合指令本部が輸送指令業務を所管するほかは、全区間を各区間に対応する在来線所管の鉄道管理局の管轄とした。
本社はその後も、東海道・山陽新幹線の所管についても鉄道管理局に完全に移す「新幹線総局解体」をなお検討していたが[7]、同時期から急展開した分割民営化への動きによって妨げられる形となり、幹総局閥はほぼ無傷で東海旅客鉄道(JR東海)の新幹線運行本部(現・新幹線鉄道事業本部)となった。
一方、広島・九州両管理部を母体とする山陽新幹線区間を承継した西日本旅客鉄道(JR西日本)では1988年、かつての国鉄本社の「輪切り」構想に準じ、各区間に対応する在来線所管支社への新幹線業務の移管を行ったが、旧幹総局閥であるJR東海側から強い批判を受けつづけ[8]、結局JR西日本は2007年、JR福知山線脱線事故による安全対策の見直しを理由に新幹線管理本部(現・山陽新幹線統括本部)を設け、幹総局時代と同様の形態に復した。
しかしJR西日本は、国鉄本社が構築した新幹線の管理体制を持つ東日本旅客鉄道(JR東日本)と相互運用を行う北陸新幹線金沢開業(2015年)においては、東北・上越新幹線と同様に、当該区間に対応する並行在来線を所管していた金沢支社の管轄とし、JR東海との人事および業務の両面での密接な関係が避けられない新幹線管理本部には関与させなかった。JR西日本はその後の組織改正においても管内の新幹線事業を山陽新幹線統括本部と金沢支社として事実上分離した形態を堅持している[注釈 1][注釈 2]。
総局・鉄道管理局一覧
編集日本国有鉄道の廃止日(1987年3月31日)時点で置かれていた総局・鉄道管理局は次のとおり[9]。
- 民営化以降の地方組織体制については各旅客鉄道会社および貨物鉄道会社の当該項目を参照のこと。
東海道・山陽新幹線
編集新幹線総局 | 幹 |
- ※民営化時に駅構内を所管する在来線の鉄道管理局と新幹線の承継会社が異なった9駅[注釈 4] では、1987年3月1日に各駅構内を在来線部門と新幹線部門に分離し、新幹線側は承継時まで「新幹線準備駅」の扱いとした
北海道地方
編集(旧北海道支社管内)
釧路鉄道管理局 | 釧 |
|
旭川鉄道管理局 | 旭 |
|
北海道総局 | 札 |
|
青函船舶鉄道管理局 | 函 |
東北地方
編集(旧東北支社管内)
盛岡鉄道管理局 | 盛 |
|
秋田鉄道管理局 | 秋 |
|
仙台鉄道管理局 | 仙 |
|
関東・新潟地方
編集(旧関東支社・新潟支社管内)
- 東日本旅客鉄道(JR東日本)および日本貨物鉄道(JR貨物)関東支社に承継
東京北鉄道管理局 | 北 |
|
東京南鉄道管理局 | 南 | |
東京西鉄道管理局 | 西 | |
高崎鉄道管理局 | 高 |
|
水戸鉄道管理局 | 水 |
|
千葉鉄道管理局 | 千 |
|
新潟鉄道管理局 | 新 |
中部地方
編集(旧中部支社管内)
- 下記1局は東日本旅客鉄道(JR東日本)および日本貨物鉄道(JR貨物)関東支社に承継
長野鉄道管理局 | 長 |
- 下記2局は東海旅客鉄道(JR東海)および日本貨物鉄道(JR貨物)東海支社に承継
静岡鉄道管理局 | 静 |
|
名古屋鉄道管理局 | 名 |
金沢鉄道管理局 | 金 |
近畿・中国地方
編集(旧関西支社・中国支社管内)
- 西日本旅客鉄道(JR西日本)および日本貨物鉄道(JR貨物)関西支社に承継
大阪鉄道管理局 | 大 | |
天王寺鉄道管理局 | 天 | |
福知山鉄道管理局 | 福 |
|
岡山鉄道管理局 | 岡 |
|
米子鉄道管理局 | 米 |
|
広島鉄道管理局 | 広 |
四国地方
編集(旧四国支社管内)
- 四国旅客鉄道(JR四国)および日本貨物鉄道(JR貨物)関西支社に承継
四国総局 | 四 |
九州地方
編集(旧九州支社管内)
九州総局 | 門 |
|
大分鉄道管理局 | 分 |
|
熊本鉄道管理局 | 熊 |
|
鹿児島鉄道管理局 | 鹿 |
|
鉄道管理局級の地方機関
編集日本国有鉄道では鉄道管理局のほか、地方自動車局・部、工事局、および一部の工事事務所や工場などを鉄道管理局と同等の地方機関とし、本社または総局の下に置いた。各機関の長の地位は鉄道管理局長と同等であった。1987年3月現在の体制は次の通り[16]。このうち地方自動車部・局は独立採算制を取っていた。
本社管轄
編集- 地方自動車局(関東地方自動車局・中部地方自動車局・近畿地方自動車局・中国地方自動車局)
- 地方自動車部(東北地方自動車部)
- 地方資材部(関東地方資材部・関西地方資材部)
- 工場(大宮工場・大井工場・大船工場)
- 工事局(東京第一工事局・東京第二工事局・東京第三工事局・大阪工事局)
- 工事事務所(信濃川工事事務所)
- 建築工事局(東京建築工事局)
- 給電管理局(東京給電管理局)
- 電気工事局(東京電気工事局・大阪電気工事局)
- システム開発工事局(東京システム開発工事局)
北海道・九州総局管轄
編集新幹線総局管轄
編集運輸区・管理所制度
編集閑散線区の合理化を目指し、当該線区の現業機関に鉄道管理局の権限の一部を与えた「線区別経営」を行うため、日本国有鉄道が1950年代に導入した制度である。
運輸区は当該線区の営業(駅務)と運輸業務を統合した現業機関で、管理所は運輸区の営業・運輸業務に加え、保線・信号通信業務なども統合した現業機関である。鉄道管理局再編の試行として大幅に管理局の権限を移したケースもあった(1968年、八王子管理所)。ともに民営化後の各旅客鉄道で導入された「運輸区」「鉄道部」「鉄道営業所」などの現業機関の原型となった。
1954年に運輸区を久留里線(木更津運輸区)と木原線(大原運輸区)に、1956年に管理所を仙石線(仙石線管理所)にそれぞれ設置。いずれも一定の成果を挙げたため、1958年以降、各地の閑散線区で設置が進み、ピーク時には運輸区が38線区、管理所が30線区に設けられたが、1970年までに廃止された。
日本国有鉄道発足以前の地方機関
編集
帝国鉄道管理局
編集官設鉄道(国鉄)事業を行う逓信省外局機関として1907年4月1日に発足した帝国鉄道庁は、全国の現業官署を管轄する地方官署として初めて「帝国鉄道管理局」を設置した。
鉄道国有法(1906年)で国鉄網が拡大したことにともなう業務量の増大に対処するもので、「帝国鉄道庁官制」(明治40年勅令第26号)に基づき、北海道・九州の2帝国鉄道管理局を設置して、買収した北海道炭礦鉄道および九州鉄道の業務を承継した。両管理局の下には現業機関を直接管轄する「運輸事務所」(車両管理および列車運行関係機関を所管)および「保線事務所」(路線および施設の保守管理関係機関を所管)の各事務所が初めて設けられた。本州には局を設けなかったが、「営業事務所」、「建設事務所」、「出納事務所」の各事務所を設置した。
鉄道管理局(鉄道院)
編集帝国鉄道庁は1908年12月5日に鉄道監督行政官庁の逓信省鉄道局と統合され、内閣直轄の鉄道院となった。鉄道院は全国に「鉄道管理局」を設置し、帝国鉄道庁時代の事務所を「運輸事務所」、「保線事務所」および「出納事務所」、「工場」に再編して鉄道管理局の下に置いた。また鉄道管理局と別に建設事務所および出張所を設けた。
北海道鉄道管理局(北管) 局所在地・札幌 | |
所管 | 北海道 |
東部鉄道管理局(東管) 局所在地・上野(1915年以降東京) | |
所管 | 東北線 |
中部鉄道管理局(中管) 局所在地・新橋(1915年以降東京) | |
所管 | 東海道線 |
西部鉄道管理局(西管) 局所在地・神戸 | |
所管 | 山陽線・四国 |
九州鉄道管理局(九管) 局所在地・門司 | |
所管 | 九州 |
のちの官制改正で北管は青函航路も所管。1913年5月5日の鉄道院官制改正で東京、神戸、九州、北海道の4管理局に一時再編されたものの翌年の官制改正で旧に復したのち、1919年5月1日官制改正で札幌、仙台、東京、名古屋、神戸、門司の6鉄道管理局に改組された。
鉄道局
編集1920年5月15日に実施された鉄道院の鉄道省昇格に伴い、各鉄道管理局は「鉄道局」に改称した。
第一条 鉄道局は鉄道大臣の管理に属しその管轄区域内に於ける国有鉄道の現業事務及其の付帯業務を掌る。鉄道局は鉄道大臣の指定する鉄道の建設、改良または工作に関する事務を掌る
—鉄道局官制(大正9年5月15日 勅令145号)[17]
札幌鉄道管理局(札管)→札幌鉄道局(札鉄) 局所在地・札幌 | |
所管 | 北海道および青函航路・稚泊航路 |
仙台鉄道管理局(仙管)→仙台鉄道局(仙鉄) 局所在地・仙台 | |
所管 | 東北線白河以北 |
東京鉄道管理局(東管)→東京鉄道局(東鉄) 局所在地・新橋 | |
所管 | 東北線白河以南、東海道御殿場以東、信越線および中央線塩尻以東 |
名古屋鉄道管理局(名管)→名古屋鉄道局(名鉄) 局所在地・名古屋 | |
所管 | 東海道御殿場-米原間、中央線塩尻以西、北陸線および関西線亀山以東 |
神戸鉄道管理局(神管)→神戸鉄道局(神鉄) 局所在地・神戸 | |
所管 | 東海道米原以西、山陽線柳井津以東および関西線亀山以西、四国 |
門司鉄道管理局(門管)→門司鉄道局(門鉄) 局所在地・門司 | |
所管 | 山陽線柳井津以西および九州、関門および関釜航路 |
のち1928年に神戸鉄道局が大阪に移転し大阪鉄道局に改称したほか、広島鉄道局(1935年)、新潟鉄道局(1936年)、樺太鉄道局(1943年)、四国鉄道局(1945年)がそれぞれ新設された。鉄道局は1939年8月30日[18] には管内の地方鉄軌道、自動車の免許および認可、運賃および料金に関する陸運監督行政全般を所管する地方官署となったが、それらの行政業務は日本国有鉄道発足時に運輸省に新設された地方陸運局に分離移管された。旭川、釧路、札幌、四国での鉄道管理局制の試験導入に先立ち、1949年9月20日に札幌鉄道局から釧路鉄道局および旭川鉄道局を分離新設したのち、1950年7月31日に廃止された。
民営化時の組織改編
編集分割民営化にともない、鉄道管理局の各部課業務は旅客・貨物別に分割され、各旅客・貨物鉄道会社の「支社」および「支店」に改編承継された。さらにその後、各社が度重ねて独自の組織改編や支社境変更を行ったため、現在は国鉄時代の体制との厳密な比較はできない。
このうち東京(首都圏本部・東京3局)および大阪(大阪局・天王寺局・福知山局)の旅客鉄道会社承継業務について、国鉄本社の東日本会社設立準備室と西日本会社設立準備室は、列車運行業務と駅務などの営業・関連事業業務を切り離すことを決め、各局の運転部、施設部、電気部の関係業務について新設の「運行本部」に統合承継させた。1987年(昭和62年)4月1日の新会社発足と同時に、首都圏本部運転部などを分離改編した「東京圏運行本部」(略号"東")をJR東日本に、大阪・天王寺・福知山局の各運転部などを分離改編した「近畿圏運行本部」(略号"近")をJR西日本に設置した。
しかし両社とも業務の効率化を目的に、民営化後まもなく運行本部を廃止して営業部門と再統合した。東京圏運行本部は1990年(平成2年)9月に、首都圏本部営業部などを前身とする東京圏営業本部と統合して東京地域本社に改組[注釈 5]、近畿圏運行本部は1987年(昭和62年)10月にJR西日本鉄道事業本部と福知山支店・和歌山支店(のちに支社格上げ)に改組された[注釈 6]。
その他
編集- 国鉄・JRの各駅に付与されている事務管理コードの上二桁は、国鉄の鉄道管理局によって区別されていた。民営化前後の組織改編に伴い、一部駅では事務管理コードに変更があったが、現在もJRの支社区分によって区別されている。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 葛西敬之(2007): 国鉄改革の真実 「宮廷革命」と「啓蒙運動」, p.193, 中央公論新社.
- ^ 第一東京工事局 1987, pp. 146–147.
- ^ a b c 第一東京工事局 1987, pp. 152–153.
- ^ a b c d 第一東京工事局 1987, pp. 158–159.
- ^ a b 「支社本社一部の組織改正の概要」『鉄道施設事務』1970年9月
- ^ 衆議院会議録「第80回国会・内閣委員会第5号」1977年3月3日
- ^ 「シリーズ上越新幹線5・上越新幹線開業を迎えて」『鉄道ファン』262号、1983年2月、交友社
- ^ 「安全崩壊から1年・JR西脱線事故 3 組織再編の末 経営重視で技術劣化」『毎日新聞』大阪本社版朝刊、2006年4月17日付2面
- ^ 夏目誠「指令体制の移行について」『国有鉄道』44(12)(450)、交通協力会、1986年12月、38-41頁、doi:10.11501/2276898。
- ^ 角本良平『東海道新幹線』中公新書 1964年
- ^ 『青函連絡船史』日本国有鉄道青函船舶鉄道管理局、1970年、364頁
- ^ 『五十年史』内略年表P486、新潟鉄道管理局
- ^ 『五十年史』内略年表P487、新潟鉄道管理局
- ^ 『五十年史』内略年表P494、新潟鉄道管理局
- ^ 甲府運転区(編)「沿革誌 設立100周年記念」 P39(東日本旅客鉄道 甲府運転区 2003年6月)
- ^ 「国鉄全国一社の最後」『鉄道ジャーナル』246号、1987年5月、鉄道ジャーナル社
- ^ 内閣『鉄道局官制ヲ定ム (勅令145)』国立公文書館デジタルアーカイブ、1920年5月。類01341100 。
- ^ 鉄道局官制中改正ノ件(昭和14年勅令第616号)
参考文献
編集- 第一東京工事局「組織 施設・建設の組織の変遷」『東工』37(147)(特集号)、日本国有鉄道、1987年1月、113-171頁、doi:10.11501/2358853。