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ノヴゴロド公

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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ノヴゴロド公ロシア語: Князь новгородский)は、キエフ・ルーシ時代のルーシ北部において、ノヴゴロドを首都として成立したノヴゴロド公国Новгородского княжества)ならびにノヴゴロド共和国(Новгородская республика[1]の君主の称号である(「公」は「クニャージ」からの訳出による)。

留意事項
  • 本頁の人名・地名は現地の言語の音写よりも、日本語表記として一般的と思われるものを優先して表記している。
  • 各人物は、文献によっては「~世」・「~公」等の数えや通称の併記、あるいは洗礼名での表記などにより、異なる表記がなされている可能性がある。
  • 各人物は、他の称号の元で異なる数えがなされる可能性がある。(例:スヴャトポルク・イジャスラヴィチはノヴゴロド公としては1人目のスヴャトポルクであるが、キエフ大公としては「スヴャトポルク2世」となる。)

各人物の詳細は各頁を参照。

ノヴゴロド公の一覧

伝説的な人物

  • ヴァンダル(ru)
  • ウラジーミル・ドレヴィチ(ru)
  • ブラヴリン(ru)(en)(9世紀)
  • ブリヴォイ(ru)(9世紀)
  • ゴストミスル(ru)(en)(? - 860年ごろ)[2]

ノヴゴロド公国

ノヴゴロド共和国

イヴァン・ヴァシリエヴィチ(イヴァン3世・イヴァン雷帝)によりモスクワ大公国へ併合

脚注

  1. ^ 日本語文献においては一貫してノヴゴロド公国と表記することがある。なお、ノヴゴロド共和国の君主も公(Князьクニャージ)と称される。
  2. ^ 伝説的な人物については「スロヴェネとルーシと都市スロヴェネの伝説(Сказание о Словене и Русе и городе Словенске)」(ru)の頁参照。

出典

  • Новгород Великий//Энциклопедический словарь Брокгауза и Ефрона В 86 томах (82 т. и 4 доп.). — СПб., 1890—1907.
  • Минникес И. В. Основания и порядок избрания князя в русском государстве X-XIV вв. '7// Академический юридический журнал. — Иркутское ГНИУ Институт Законодательства и правовой информации, 2001. — № 4(6) (октябрь-декабрь).
  • Рыжов К Все монархи мира. РоссияМ.: Вече, 1998. — 640 с. — 16 000 экз.
  • Россия, СССР, СНГ(2007年9月30日時点のアーカイブ
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