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中野区

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なかのく
中野区
中野区市街地
中野区市街地
中野区章
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 東京都
市町村コード 13114-8
法人番号 8000020131148 ウィキデータを編集
面積 15.59km2
総人口 350,857[編集]
推計人口、2024年9月1日)
人口密度 22,505人/km2
隣接自治体 新宿区渋谷区杉並区豊島区練馬区
区の木 しい
区の花 つつじ
中野区役所
区長 酒井直人
所在地 164-8501
東京都中野区中野四丁目8番1号
北緯35度42分26.2秒 東経139度39分49.5秒 / 北緯35.707278度 東経139.663750度 / 35.707278; 139.663750座標: 北緯35度42分26.2秒 東経139度39分49.5秒 / 北緯35.707278度 東経139.663750度 / 35.707278; 139.663750
中野区役所
外部リンク 中野区

中野区位置図

― 区 / ― 市 / ― 町・村

ウィキプロジェクト

中野区(なかのく)は、東京都特別区のひとつで、23区西部に区分される。

郵便番号(上3桁)164・165

概要

中野区市街地を望む

中野区は旧東多摩郡の東半にあたる。東京23区の西部にあり、地形的には武蔵野台地の一角に位置する。区内には、東西に鉄道が数多く通っている。また渋谷区新宿区・豊島区など大繁華街を有する区とも隣接しており、鉄道以外にもバスも渋谷駅池袋駅から中野区内を結ぶ路線があるなど利便性も高い。

産業は、江戸期には、畑作を中心とする近郊農業と、製粉味噌醤油醸造など食品工業が整備され、江戸町民の旺盛な食料消費を支える立場にあった。明治中期以降、都心からの転居者などにより人口が増加する。特に1923年関東大震災以降は、浅草から寺院新井薬師周辺への引越しが始まり小京都の様な佇まいである。そして、住宅地化が急速に進み、戦前は東中野1丁目・2丁目界隈は旧帝国軍人の街として地元でも知られていた。昭和40年代までに農地はほとんど姿を消した。明治以降、工業化もある程度進んだが、企業城下町のような工業的発展はなく、密集した住宅地としての性格が強い。住宅と同様に明治以降、都心から移転してきた寺が多く、また、区に隣接する落合斎場との相乗効果もあり、葬祭関連の産業もみられる。その他商業、企業のオフィス街としての発展は、第二次世界大戦以降それなりにあったが、中野区は東京都でも指折りの住宅密集地区であり、道路都市基盤が全般的に脆弱であるため、都心副都心地域や都心隣接の下町地域のような商業地区化には至らなかった。中央線沿線地区を中心に専門学校が数多く存在する。また、昭和30年代以降、多くの漫画家が住んだため、現在も漫画アニメーション製作は、隣接する杉並区と並んで盛んである。近年、中野坂上地区の再開発により、超高層ビルも立つようになり、コンピュータソフトウェア関連の会社も進出してきている。2012年には、中野駅北口周辺(警察学校跡地)における再開発地域中野四季の都市(なかのしきのまち)」が街びらきした。「囲町」、「なかの新都心」などと呼ばれることがある。

人口密度は20,119.31人/km²(2012年10月1日推計)で日本で第2位。なお、1位は東京都豊島区22,111.68人/km²。市では埼玉県蕨市13,997.84人/km²が最高。

2012年4月1日現在、道路率は12.8%で23区中21位。狭幅員道路率は84.0%で23区中最下位と、道路都市基盤が脆弱なのが中野区の特徴である。また、一人当たりの公園面積率は2012年4月1日現在1.33%で、23区中22位である。大きなはなく、公園緑地が少ない区であり、結果として人口密度が高くなっている。

住宅地

区内全域にわたり戸建住宅や集合住宅が密集して広がっている。低層建築物がほとんどを占めているが、主要道路に面した地域には中層高層マンションが多い。いわゆる木賃ベルト地帯の一角であり、賃貸住宅の比率が高く、人口の流動性が高い。建蔽率が高く、隣家との間隔が1m未満の場合であることも珍しくない。緊急車両の進入が困難な狭隘道路が網の目のように存在する。近年では道路拡張などが行われ、耐震構造の住宅も増加しつつあるが、ほとんどが木造住宅であることから、大地震の際には火災危険度が非常に高い[1]とされる。家賃が安く、交通が便利なことから、20〜30歳代の若年層の居住がきわめて多く、18歳未満の子供居住が少ない。

商業地

中野ブロードウェイをはじめとする大型商業施設中野サンモール商店街などが中野駅周辺に立地する。丸井は中野駅前が創業の地であり、現在も本社がある。その他、各所に個人経営が中心の商店街が存在する。

人口

中野区(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 378,723人
1975年(昭和50年) 373,075人
1980年(昭和55年) 345,733人
1985年(昭和60年) 335,936人
1990年(平成2年) 319,687人
1995年(平成7年) 306,581人
2000年(平成12年) 309,526人
2005年(平成17年) 310,627人
2010年(平成22年) 314,750人
2015年(平成27年) 328,215人
2020年(令和2年) 344,880人
総務省統計局 国勢調査より

昼夜間人口

2005年に夜間人口(居住者)は310,392人であるが、区外からの通勤者と通学生および居住者のうちの区内残留人口の合計である昼間人口は285,636人での0.920倍の人口になる(東京都編集『東京都の昼間人口2005』平成20年発行128,129ページ 国勢調査では年齢不詳のものが東京都だけで16万人いる。上のグラフには年齢不詳のものを含め、昼夜間人口に関しては年齢不詳の人物は数字に入っていないので数字の間に誤差は生じる)都心の区では夜に比べ昼の人口が極端に増えるが、住宅地が多くオフィス街が少ない中野区では昼は人口が減少する。

地理

新宿区渋谷区杉並区豊島区練馬区と接する。

(いずれも武蔵野台地の一部)

歴史

近世以前
近世
  • 1591年天正19年) - 中野郷で検地が行われる。
  • 江戸初期 徳川幕府の開府に至り、江戸近隣の郷は整備され、中野郷は、中野・本郷・雑色・江古田・片山・上高田・新井・上沼袋・下沼袋・上鷺宮・下鷺宮の11村に分割される。後に本郷から本郷新田が分村され12村となる。他に江戸期中、大場、新橋の村名記録もある。
  • 1606年慶長11年) - 成木街道(現青梅街道)が開かれ、中野村内に馬継場が置かれる。同街道は、御白土街道とも呼ばれた。
  • 1695年元禄8年) - 「生類憐れみの令」に関連して中野村内(現中野4丁目付近)に野犬を収容する犬小屋を作る。
近代
現代
区の沿革
知行 村数 村名
幕府領 幕府領 12村 ●中野村、高円寺村、馬橋村、久我山村、上高井戸村、下高井戸村、中高井戸村、田端村、成宗村、本郷新田、和泉新田(和泉村のうち)、大宮前新田、松庵村
旗本領 7村 ●上鷺之宮村、和泉村、上高田村、片山村、●和田村、●上井草村、●下井草村
幕府領、旗本領 8村 江古田村、雑色村、●永福寺村、●上荻窪村、新井村、下鷺之宮村、上沼袋村、下沼袋村
鉄砲玉薬組同心給地 1村 ●本郷村
その他 寺社領 4村 下荻窪村、天沼村、阿佐ヶ谷村、堀之内村
  • 1868年慶応4年)
  • 1869年
    • 明治2年2月9日3月21日) - 太政官布達により古賀知県事の管轄区域に品川県を設置、現中野区にあたる地域は品川県に属す。
  • 1870年
    • 明治2年12月18日1月19日) - 寄場組合を廃止し24の番組を設置。現中野区・杉並区にあたる地域は6・18・21・22・23番組のそれぞれ一部に相当。[2]
  • 1871年(明治4年)11月14日12月25日) - 府県統合により品川県を廃止し東京府(第2次)が発足[3]
  • 1872年
    • 明治4年12月5日1月14日) - 現中野区にあたる地域の東京府への編入成る。
    • 明治5年1月22日3月1日) - 多摩郡全域が神奈川県に移管され、同年5月現中野区にあたる地域も神奈川県に属する[4]。 後の東多摩郡(現中野区・杉並区)に相当する地域32村が東京府に戻る運動を展開。
    • 8月19日9月21日) - 現中野区域12村(中野村・江古田村・上鷺之宮村・雑色村・本郷村・本郷新田・新井村・上高田村・片山村・下鷺之宮村・上沼袋村・下沼袋村)が東京府の管轄に戻る。
  • 1878年(明治11年)11月2日 - 郡区町村編制法により多摩郡は4郡に分割される。12村は東多摩郡に属する。
  • 1889年(明治22年)5月1日 - 町村制施行により本郷・本郷新田・雑色の各村は中野村に吸収合併され、江古田・片山・上高田・新井・上沼袋・下沼袋・上鷺宮・下鷺宮の各村は対等合併して野方村となる。
  • 1896年(明治29年)4月1日 - 東多摩郡が南豊島郡と合併し、豊多摩郡となる。
  • 1897年(明治30年)2月1日 - 中野村に町制施行。中野町となる。
  • 1924年(大正13年)4月1日 - 野方村に町制施行。野方町となる。
  • 1931年(昭和6年)1月 - 中野町において字名改正実施。43在った小字を60町に再編。
  • 1932年(昭和7年)10月1日 - 東京市(15区)と豊多摩郡を含む周辺5郡が合併して東京市域が拡大、35区が成立する。この際、中野町と野方町が合併して中野区となる。名称は「中野」の中と「野方」の野を1文字ずつ取ったという説と、「中野町」からそのまま取ったという説の両方がある。
  • 1936年(昭和11年)11月 - それまで宝仙寺境内にあった中野区役所を宮園通4丁目(現在、中野郵便局がある場所)に移転。
  • 1943年(昭和18年)7月1日 - 東京都が成立し、東京市は廃止。東京都制施行により東京都中野区となる。
  • 1947年(昭和22年)5月3日 - 地方自治法の施行により中野区は特別区となる。
  • 1950年(昭和25年)8月 - 初代「中野区歌」(作詞・吉田敬文、補作/作曲・堀内敬三)を制定。
  • 1953年(昭和28年)8月15日 - 地方自治法改正施行により区長公選制廃止。ただし、当時公選されていた中野区長は、その後の区議会でも選任され、1963年まで在任した。
  • 1960年(昭和35年)3月26日 - 杉並区との境界を変更する[5]
  • 1967年(昭和42年)6月1日 - 住居表示に関する法律による住居表示の実施が完了(1931年から1934年までに成立した町名の多くが変更され、町内会の範囲と町名とのずれが固定化する)
  • 1968年(昭和43年)10月 - 中野区役所を中野4丁目(警察大学敷地東部分だった場所)に移転。
  • 1975年(昭和50年)4月27日 - 地方自治法改正により区長選挙実施(中野区区長準公選条例は廃止)
  • 2015年(平成27年)3月13日 - 初代「中野区歌」を廃止し、2代目区歌「未来カレンダー Forever Nakano」(作詞・阿木燿子、補作/作曲・宇崎竜童)を制定。

文化

 年代別人口構成がひょうたん型であり、高齢者と若者が多く、若者は出入りが多い。来るもの拒まず、去るもの追わずという雰囲気の中、沖縄出身者やアイヌ民族の文化が融合した祭や、コスプレ・アニメ文化などのサブカルを活かしたまちの賑わい創出イベントが行われたり、ミャンマー人のコミュニティ、ゲイ・タウンなどを包含し、多様性にあふれたダイバシティ・タウンである。

地域

主な催事

  • 江古田獅子舞
  • 鷺宮囃子
  • チャランケ祭

地名

ナンバープレート

中野区は、練馬ナンバー(東京運輸支局)を割り当てられている。

練馬ナンバー割り当て地域
  • 新宿区・文京区・中野区・杉並区・豊島区・北区・板橋区・練馬区[6]

ケーブルテレビ

区政

区長

  • 区長:田中大輔 (4期目)
    • 任期:2002年(平成14年)6月15日 - 2018年(平成30年)6月14日[7]
  • 副区長:川崎亨[8]
  • 副区長:英直彦(独立行政法人都市再生機構都市再生部全国まちづくり支援室長、元国土交通省 都市・地域整備局まちづくり推進課都市総合事業推進室長)
  • 教育長:田辺裕子(下記「区総務部参事不正打刻偽装事件」関与)

環境への取組み

地域事務所・区民活動センター

中野区の出先機関。2011年7月19日に、従来の「地域センター」から「地域事務所」及び「区民活動センター」に再編[9]

地域事務所

「区」の行政機構の一部を分担し、「地域の区役所」的な機能を果たす。住民異動届の受付や証明書の発行、福祉サービス等の受付、各種公金の収納などの窓口サービスを行う。以下の5ヵ所に設置。

南中野地域
南中野地域事務所 所在地:南台三丁目6番17号
東部地域
東部地域事務所 所在地:中央二丁目18番21号
江古田地域
江古田地域事務所 所在地:江原町二丁目3番15号
野方地域
野方地域事務所 所在地:野方五丁目3番1号
鷺宮地域
鷺宮地域事務所 所在地:鷺宮三丁目22番5号

区民活動センター

地域住民による地域自治の活動の拠点として、地域活動の支援や集会室の貸し出しなどを行う。運営は、自治会などを中心とした地域別の運営委員会の協議を踏まえて区が定めている。以下の15ヵ所に設置。

  • 南中野(地域事務所を併設)
  • 弥生
  • 鍋横
  • 東部(地域事務所を併設)
  • 桃園
  • 昭和
  • 東中野
  • 上高田
  • 新井
  • 江古田(地域事務所を併設)
  • 沼袋
  • 野方(地域事務所を併設)
  • 大和
  • 鷺宮(地域事務所を併設)
  • 上鷺宮

姉妹・提携都市

千葉県館山市

立法

区議会

  • 定数:42名
  • 任期:2015年(平成27年)5月1日 - 2019年(平成31年)4月30日[7]
  • 議長:北原ともあき(自由民主党議員団)
  • 副議長:白井ひでふみ(公明党議員団)
会派名 議席数 議員名(◎は代表者)
自由民主党議員団 13 ◎大内しんご、加藤たくま、若林しげお、北原ともあき、高橋かずちか、内川和久、佐野れいじ、いでい良輔、伊東しんじ、伊藤正信、高橋ちあき、市川みのる、篠国昭
公明党議員団 9 ◎南かつひこ、久保りか、木村広一、甲田ゆり子、小林ぜんいち、白井ひでふみ、平山英明、小林秀明、やながわ妙子
日本共産党議員団 7 ◎長沢和彦、浦野さとみ、来住和行、羽鳥だいすけ、広川まさのり、いさ哲郎、小杉一男
民主党議員団 5 ◎森たかゆき、酒井たくや、中村延子、森たかゆき、佐伯利昭、ひやま隆
無所属 7 石坂わたる、いながきじゅん子、小宮山たかし、近藤さえ子、むとう有子、渡辺たけし、内野大三郎、細野かよこ
42

都議会

  • 定数:4名
  • 選挙区:中野区選挙区
  • 任期:2013年(平成25年)7月23日 - 2017年(平成29年)7月22日[7]
議員名 会派名 当選回数
川井しげお 東京都議会自由民主党 5
高倉良生 都議会公明党 3
西沢けいた 都議会民主党 2
植木こうじ 日本共産党東京都議会議員団 5

衆議院

議員名 党派名 当選回数 備考
長妻昭 民主党 6 選挙区
松本文明 自由民主党 3 比例復活

商業ランドマーク

文化施設・名所・旧跡

資料館

図書館

中野区内の図書館のうち、一般利用が可能な公立の施設は8箇所ある。

  • 中野区立中央図書館
  • 中野区立本町図書館
  • 中野区立野方図書館
  • 中野区立南台図書館
  • 中野区立鷺宮図書館
  • 中野区立東中野図書館
  • 中野区立江古田図書館
  • 中野区立上高田図書館

ホール

中野サンプラザ
中野サンプラザ
もみじ山文化センター
もみじ山文化センター
(なかのZERO)
  • 中野サンプラザ(旧全国勤労青少年会館) - コンサートなどで利用されている。宿泊施設、披露宴会場もある。
  • もみじ山文化センター - 複合文化施設。愛称は「なかのZERO」。ホールでは、各種コンサートなども開かれている。プラネタリウムあり。

公園

哲学堂公園(写真は四聖堂)

神社

寺院

梅照院(新井薬師)
宝仙寺
  • 梅照院 - 新井薬師
  • 善成寺
  • 龍昌寺
  • 願正寺
  • 境妙寺
  • 源通寺
  • 光徳院
  • 高徳寺 - 新井白石の墓がある。(東京都指定旧跡)
  • 金剛寺
  • 正見寺
  • 松源寺 - 「さる寺」。
  • 神足寺
  • 青原寺
  • 宗清寺
  • 天徳院
  • 東光寺
  • 萬昌院功運寺 - 吉良義央の墓などがある。
  • 宝泉寺
  • 保善寺
  • 竜興寺
  • 徳蔵寺
  • 高歩院
  • 正行寺
  • 慈眼寺
  • 宝仙寺 - 中野坂上。著名人の葬儀が行われることがある。宝仙学園も運営している。
  • 成願寺 - 中野長者の寺。(東京都指定旧跡)
  • 福寿院
  • 霊妙寺
  • 正蔵院
  • 本妙寺
  • 清隆寺
  • 不動院
  • 蓮華寺
  • 東福寺
  • 江原観音堂
  • 了然寺
  • 実相院
  • 明治寺 - 百観音。
  • 密蔵院
  • 久定寺
  • 貞源寺
  • 正法寺
  • 禅定院
  • 清谷寺
  • 浄円寺
  • 仙蔵院
  • 満願寺
  • 福蔵院

交通

鉄道路線

東日本旅客鉄道(JR東日本)
中央本線中央線快速中央・総武緩行線
西武鉄道
新宿線
東京地下鉄(東京メトロ)
M 丸ノ内線
T 東西線
  • 中野駅(T-01) - 落合駅(T-02) - (新宿区)(落合駅は登記上新宿区になるが出入口は中野区側にもある)
東京都交通局
E 大江戸線

バス

道路

都道
放射道路
北から
環状道路
都心側から

※東京23区で唯一、区内に国道が通っていない。

交通渋滞問題

中野通りは区内を南北に貫く骨格となる道路であるものの、幅員が15m程度となっており片側1車線の区間も多い。なお、道路そのものは計画幅員20mの都市計画道路である。

蓮華寺下交差点(新青梅街道交点)から中野五差路交差点(大久保通り交点)までは概ね4車線(片側2車線)だが、車線の幅が狭いほか駐停車の車両が多いため渋滞することも多い。また、1999年9月頃までは新井交差点(早稲田通り交点)に右折専用レーンが無かったが、のちに一部の交差点の拡張は行われているほか、中野駅北口周辺、中野五差路交差点、杉山公園交差点(青梅街道交点)など部分的な拡張事業が継続中である。このほか、地平を走る複数の鉄道と交差しており、開かずの踏切問題も存在する。

公共機関

警察・消防

医療

動物病院

教育

大学・短期大学

高等学校

中学校

  • 国立
中等教育学校は高等学校の項に記す。
  • 都立
高等学校が併設されているものは高等学校の項に記す。
  • 区立
  • 私立
高等学校が併設されているものは高等学校の項に記す。

小学校

  • 区立
    • 桃園小学校
    • 桃園第二小学校
    • 中野神明小学校
    • 塔山小学校
    • 谷戸小学校
    • 中野本郷小学校
    • 平和の森小学校
    • 江古田小学校
    • 鷺宮小学校
    • 上高田小学校
    • 啓明小学校
    • 向台小学校
    • 北原小学校
    • 新井小学校
    • 大和小学校
    • 多田小学校
    • 白桜小学校
    • 若宮小学校
    • 江原小学校
    • 緑野小学校
    • 新山小学校
    • 武蔵台小学校
    • 西中野小学校
    • 上鷺宮小学校
    • 桃花小学校

小規模保育園

住宅団地

  • 東京都住宅供給公社江古田団地 - 昭和41年 : 東京都市計画事業(一団地の住宅施設)
  • 東京都住宅供給公社鷺宮西団地 - 昭和37年 : 東京都市計画事業(一団地の住宅施設)
  • 中野坂上サンブライトツインビル
  • 中野新井町団地(松ヶ丘 市街地住宅 賃貸24 1962年 現存現松ヶ丘二丁目アパート。 譲渡返還)
  • 中野桃園町団地(中野 市街地住宅 賃貸40 1962年 現存 譲渡返還)
  • 東中野団地(東中野、分譲60 1957年)
  • 鷺宮団地(白鷺、分譲20 1957年)
  • 鍋屋横町団地(本町 市街地住宅 賃貸45 1962年 現存 譲渡返還)
  • 都営丸山二丁目アパート(丸山 2-24、1969年)
  • 都営江古田アパート(江古田 3-1、1954年)
  • 都営江古田一丁目第2アパート(江古田 1-25、1996年)
  • 都営江古田三丁目アパート(江古田 3-8、1998年)
  • 都営江古田四丁目第2アパート(江古田 4-14、1990年)
  • 都営鷺の宮アパート(白鷺 1-4、1959 - 1964 年 : 東京都市計画事業(一団地の住宅施設)
  • 都営鷺ノ宮三丁目団地 : 東京都市計画事業(一団地の住宅施設)
  • 都営若宮三丁目アパート(若宮 3-57、1997年 - 2000年)
  • 都営若宮二丁目アパート(若宮 2-56、1995年)
  • 都営上高田四丁目アパート(上高田 4-27、2001年 - 2005年)
  • 都営上鷺宮四丁目アパート(上鷺宮 4-12、1996年 : 東京都市計画事業〈一団地の住宅施設〉)
  • 都営上鷺宮四丁目第2アパート(上鷺宮 4-14、1998年)
  • 都営上鷺宮二丁目アパート(上鷺宮 2-4、1993年)
  • 都営大和町四丁目アパート(大和町 4-51、1995年 - 1998年)
  • 都営第2鷺の宮アパート(白鷺 1-12、1964年)
  • 都営第3江古田アパート(江古田 4-14、1960年)
  • 都営中野中央二丁目アパート(中央 2-22、1968年)
  • 都営中野本町五丁目アパート(本町 5-8、1971年)
  • 都営南台五丁目アパート(南台 5-7、1977年)
  • 都営南台四丁目アパート(南台 4-41、1975年)
  • 都営南台二丁目アパート(南台 2-29、1969年)
  • 都営白鷺一丁目アパート(白鷺 1-7、1993年)
  • 都営白鷺一丁目第2アパート(白鷺 1-14、2000年)
  • 都営弥生町三丁目アパート(弥生町 3-35、1973年)
  • 都営弥生町二丁目アパート(弥生町 2-50、2003年 - 2005年)
  • 野方団地(野方、 賃貸92 1959年 現存 全面建替)

企業

アニメ制作

中野区が舞台の作品

上高田にある『たきび』の歌発祥の地。歌詞冒頭の垣根の風情を現在も見ることができる。

ゆかりのある人物

出身者・居住歴・事業所のある人物を示す。

実業家

  • 鈴木九郎 - 室町時代の商人。商売などで成功し『中野長者』と呼ばれていた。現在の中野坂上に邸宅を構えていた(現在の成願寺付近)。首都高速道路中央環状線の出入口「中野長者橋」も、これにゆかりがある。
  • 青木湯之助 - 実業家。「紅花」創業者。かつては「郷宏之」の芸名で俳優、タップダンサーをしていた。
  • 青木廣彰 - 実業家。冒険家。「BENIHANA」オーナーだった。通称・ロッキー青木。モデル、女優としてアメリカで活躍するデヴォン青木の父。

諸分野の学者・文化人

芸能

芸能事務所

スポーツ

放送

1960年代から70年代にかけては、多くの著名人が「中野ブロードウェイマンション」に居住していた。

大きな出来事

脚注

  1. ^ [1]
  2. ^ 東京都品川区 編『品川県史料』〈品川区史〉1970年。 NCID BN05722063 
  3. ^ 明治4年太政官布告第594号 - 国立国会図書館近代デジタルライブラリー
  4. ^ 中野区民生活史編集委員会 編『中野区民生活史』 1巻、中野区、1982年、79頁。全国書誌番号:83003326 
  5. ^ 昭和35年4月2日、総理府告示第116号
  6. ^ [2]
  7. ^ a b c 東京都選挙管理委員会 | 都内選挙スケジュール | 任期満了日(定数)一覧
  8. ^ 2014年6月27日新しく副区長が任命されました | 中野区公式ホームページ
  9. ^ [3]

外部リンク

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