金門県
中華民国金門県 | |
地理 | |
位置 | 東経118'33" 北緯24'22" |
面積 | 153.056平方キロメートル |
人口 | |
戸数 | --- |
人口(2006年7月) | 73,635人 |
政治 | |
行政区分 | 県 |
郷長 | 李炷峰 |
下部行政区分 | 3鎮3鄰 |
その他 | |
郵便番号 | 896 |
市外局番 | 082 |
県花 | 四季蘭 |
県鳥 | 載勝 |
県木 | 木綿 |
別称 | 前線 |
金門県(金門縣、きんもんけん、ピンイン:Jīnmén、福建語: Kim1mng5)(金門島)は、台湾が統治する地域である。福建省政府が置かれ、福建省泉州晋江市に属している。国共内戦後も、連江県(馬祖島)と共に台湾が統治している。
地理
東経118'24"、北緯24'27"、九龍江口や廈門湾口を望む大金門島、小金門島および大胆島や二胆島など12の島嶼からなる。総面積は150.3397平方キロメートルである(代理管轄の烏坵鄉は含まない)。中華人民共和国側の厦門市とは海を隔てて接しているが、中国とは数km(最も近接するところで、2.1km)しか離れていない。
右の地図で見える台湾海峡にある群島は澎湖諸島である。金門は亜熱帯海洋性気候に属し、4月から9月にかけてが最も降水量が多い。年間平均降水量は1,049,4ミリ。年間平均気温は20.9℃である。地質は花崗岩が主体であり、農業には適していない。
歴史
かつては鄭成功による反清復明の抵抗の拠点にもなった。中国国民党が台湾島へ移って以降は馬祖島とともに中華民国軍の軍事的拠点となり、1956年より軍政がひかれ、一般観光客の出入りは厳しく制限されていた。1958年には対岸の中国人民解放軍との間で激しい砲撃戦・金門砲戦が起こり、多数の死傷者を出したものの中華民国陸軍は島を死守した。しかし1992年11月7日に軍政が解除された後は、三通政策の影響もあり、観光客で賑わうようになっている。1995年には台湾6番目の国立公園・金門国家公園に指定された。
交通
島外との交通は空路がメインである。現在金門空港から定期便が運行されているのは台北(松山空港)、台中、嘉義、台南、高雄の各都市である。また料羅港及び水頭港から中華人民共和国への海運路線も開設されている。
大小金門間は海路交通での連絡となっている。金城鎮水頭港と烈嶼郷九宮碼頭の間で連絡船がで結ばれている。代理管轄している烏キュウ郷であるが、金門県からの直通交通手段はなく台中を経由しなければならない。
また水頭港は大陸との小三通出発地点に指定され厦門和平港及び泉州石井港の間に航路が開かれている。
言語
金門では台湾本島同様に閩南語(台湾語)が話され、馬祖島で話される閩東語とは系統が異なる。なお、金門は1937年11月2日からの日本統治時期が短く、日本語教育も受けなかったため、台湾本島のような日本植民地時代に流入した日本語からの借用語もほとんどない。
例: オートバイ(台湾語の日語から外来語)→摩托車(mô'-thok-chhia、金門方言)
行政区画
行政地区
区分 | 数 | 名称 |
---|---|---|
市 | 0 | - |
鎮 | 3 | 金城鎮 金湖鎮 金沙鎮 |
郷 | 3 | 金寧郷 烈嶼郷 烏坵郷(代管) |
政治
金門県では1993年から県長の民選が行われている。
回数 | 姓名 | 所属 | 任期 |
---|---|---|---|
第1回 | 陳水在 | 中国国民党 | 1993年12月20日—1997年12月20日 |
第2回 | 陳水在 | 中国国民党 | 1997年12月20日—2001年12月20日 |
第3回 | 李炷烽 | 新党 | 2001年12月20日—2005年12月20日 |
第4回 | 李炷烽 | 新党 | 2005年12月20日—(現任) |
金門の教育機関
- 国立金門技術学院
- 国立金門高中
- 国立金門農工
金門の名物
関連項目
外部リンク
- 金門県政府公式サイト(日本語版有り。要Big5フォント)