オーガスタス・レッグ
オナラブル・オーガスタス・レッグ師(The Right Reverend The Honourable Augustus Legge, DD[1]、1839年11月28日[2] – 1913年3月15日[3])は、1891年から1913年までリッチフィールド主教を務めた聖職者[4]。
概要
[編集]レッグは、第4代ダートマス伯爵ウィリアム・レッグの三男で、父の後妻であった母オナラブル・フランシス (the Honourable Frances) は第5代バリントン子爵ジョージ・バリントン師 (Reverend George Barrington, 5th Viscount Barrington) の娘であった。第5代ダートマス伯爵ウィリアム・レッグは異母兄、ヘニッジ・レッグ大佐は弟であった[5]。教育は、イートン・カレッジとオックスフォード大学クライスト・チャーチ学寮に学んだ。 1864年に聖職授任 (ordination) し、当時シドナム (Sydenham) のセント・バーソロミュー教会の教区牧師であった、後のロチェスター主教 (Bishop of Rochester) 、アンソニー・ソロルド (Anthony Thorold) の下でチャプレンとなり[6]、次いでルイシャムの地方監督 (Rural Dean) となり[7]、1891年に司教職 (episcopate) に昇格した。1873年から1876年まで、レッグはグリニッジ地区を代表してロンドン学校委員会 (London School Board) の委員を務めた[8]。
レッグは、ウィリアム・ブルース・ストップフォード・サックヴィル (William Bruce Stopford Sackville) の娘ファニー・ルイーザ (Fanny Louisa) と、1877年に結婚した。夫妻の間には7人の子どもが生まれた。妻ファニーは1911年12月に死去し、レッグはその2年後の1913年3月に73歳で没した[5]。
出典・脚注
[編集]- ^ 「DD」は神学博士であることを示す。
- ^ “Who was Who” 1897-1990 London, A & C Black, 1991 ISBN 0-7136-3457-X
- ^ The Times, Friday, 21 March 1913; p. 7; Issue 40165; col B Deaths
- ^ Two New Bishops Nominated Birmingham And Lichfield The Times Friday, Jun 19, 1953; pg. 8; Issue 52652; col D
- ^ a b thepeerage.com Rt. Rev. Hon. Augustus Legge
- ^ Sydenham Society
- ^ "The Clergy List, Clerical Guide and Ecclesiastical Directory" London, Hamilton & Co 1889
- ^ “The London School Board Elections”. Daily News. (1873年11月29日)
イングランド国教会の称号 | ||
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先代 William Dalrymple Maclagan |
リッチフィールド主教 1891–1913 |
次代 John Augustine Kempthorne |