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ソ連邦大元帥

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ソ連邦大元帥
Генералиссимус Советского Союза
ソ連邦大元帥の肩章
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
軍隊ソビエト連邦軍
制定1945年6月26日
廃止1993年1月1日
上位階級なし
下位階級

ソ連邦大元帥(ソれんぽうだいげんすい、ロシア語: Генералиссимус Советского Союза, ラテン文字転写: Generalissimus of the Soviet Union)は、ソビエト連邦(ソ連)における個人的に贈与される最上位の階級である[1]

解説

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ソ連邦大元帥は、1943年2月6日から、モスクワの工場「レッソラ」の労働者、技術者、従業員の集団請願[2]、および1945年6月24日からの戦線司令官、赤軍参謀本部、海軍の会議に基づいて[3]ソビエト連邦の最高軍事階級である「大元帥」の設置に関する1945年6月26日付けソビエト連邦最高会議幹部会令によって導入された。そして、6月27日、ソ連共産党政治局の提案と前線司令官の書面提出により、「大祖国戦争における卓越した功績を記念して」、中央委員会書記長及び閣僚会議議長にして、ソビエト連邦軍最高司令官ヨシフ・スターリンにソ連邦大元帥の称号が授与された。また、それに伴い、勝利勲章ソ連邦英雄の称号も授与された。

歴史

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同時代の人々の記憶によれば、大元帥の軍事的地位を与えるという問題は何度か議論されたが、スターリン自体は常にその提案を拒否した。しかし、ソ連邦元帥コンスタンチン・ロコソフスキーの介入があって初めて大元帥昇格に同意した。

スターリンの側近のヴャチェスラフ・モロトフの証言によると、スターリンは、自分が大元帥に昇進したことを後悔していたという[4]。スターリンの死後、ソ連邦大元帥の称号は有名無実のものとなったが、ソ連崩壊後の1993年まで法律や法令に記載されていた。

1993年1月1日にロシア連邦軍臨時内務規程が制定されるまで[5]、ソ連邦大元帥の称号は名目上、ロシア連邦軍で効力を持ち続けた。しかし下位のソ連邦元帥の軍事階級は存在しなかった。

また、この階級はソ連史上スターリンにしか授与されなかったが、彼の事実上の後継者となった、ニキータ・フルシチョフ(最終階級は中将)と、そのフルシチョフの後継者となったレオニード・ブレジネフ(最終階級はソ連邦元帥)にこの階級を授与する提案を含む書簡が公文書館に保存されている。なお両者とも大祖国戦争期に赤軍の政治将校を務めた。

「祖国への多大な貢献とソビエト連邦軍強化の功績により、同志フルシチョフにソ連邦大元帥の称号を授与する。」

—  ソビエト陸軍衛兵大尉イワノフ[6]

「平和のための傑出した闘士であり、最も偉大な軍人である同志レオニード・ブレジネフに、ソ連邦大元帥の称号を与えたい。」

—  ソビエト陸軍退役大佐リバコ[7]

「私は、5月9日の戦勝記念日に軍の最高位である大元帥の位を授与することを提案し、ソビエト連邦および他の国家の人民に対し、レオニード・ブレジネフに大元帥の位を授与するという私の提案を支持するよう要請する。」

— リン酸塩工場の鍵師[7]

だが、フルシチョフもブレジネフも大元帥に就くことはなかった。しかし、大元帥の称号は、ソ連の影響を受けた中華人民共和国朝鮮民主主義人民共和国にも波及し、中国では称号自体は存在したが、授与されるはずの毛沢東がそれを拒否したため、1965年に廃止された。北朝鮮では金日成金正日(死後追贈)が授与された。両国とも、ソ連邦大元帥の肩章と同型であり、国章と星章が配置されている。

制服と肩章

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ソ連邦大元帥の制服と記章は、赤軍の後方部隊によって開発されたが、スターリンの存命中には正式に承認されず、彼の死後はその必要性はなくなった。スターリンは大元帥の昇格を後悔し、存命中はソ連邦元帥の肩章を付けた、独自の制服を着用していた。

以下はソ連邦大元帥の肩章のデザインである。

クレムリンに取材に来たアレクセイ・アントーノフ将軍は、スターリンの応接室で赤軍のパーヴェル・ドラチョフロシア語版将軍に会った。彼は私たちが見たことないような豪華な制服を着ていた。制服はクトゥーゾフ (ロシア帝国陸軍大元帥)の時代を模して縫製されたもので、襟が高く立っていた。ズボンはモダンな感じだったが、金色のランバが輝いていた。

スターリンの執務室には政治局のメンバーがおり、後方の責任者であるアンドレイ・フルリョフロシア語版将軍が彼らに報告をしていた。報告を終えると、彼は新しい軍服(ソ連邦大元帥の制服)をスターリンと政治局のメンバーに見せる許可を得た。スターリンは上機嫌であった。フルリョフは応接室に合図を送り、そこにドラチョフが入ってきた。スターリンは制服をざっと見て、ほくそ笑み、「誰にこんな格好をさせるんだ? 」と尋ねた。フルリョフは答えようとしたが、「誰のために? 」とスターリンが口を挟み、「同志スターリン、あなたのためです。」と答えた。ドラチョフは部屋から追い出され、その後スターリンは一度も大元帥の制服を着ることはなかった。

ソ連邦元帥の制服を着用するスターリン(ポツダム会談にて)
ソ連邦元帥の制服を着用するスターリン(ヤルタ会談にて)

実際スターリンは、襟と4つのポケットが付いた標準的なカットの元帥服を着ていたが、色は独特の薄い灰色だった。将軍のオーバーコートのボタンホールは赤で、縁取りとボタンは金色だった。これは公式の制服であり、肖像画やポスターにも描かれている。

注釈

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  1. ^ Устав внутренней службы Вооруженных Сил СССР”. 2016年9月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月2日閲覧。
  2. ^ Письмо коллектива рабочих, ИТР и служащих Московского завода «Рессора» с ходатайством о награждении Сталина И. В. орденом Суворова 1 степени и присвоении ему высшего воинского звания — Генералиссимус Красной Армии アーカイブ 2016年3月4日 - ウェイバックマシン (6.02.1943) РГАСПИ. Ф.558. Оп.11. Д.1348. Л.73-74
  3. ^ Записка командующих войсками фронтов, Генерального штаба Красной Армии, Военно-Морского Флота в Политбюро ЦК ВКП(б) с предложениями о награждении Сталина И. В. орденом «Победа», присвоении ему звания Героя Советского Союза, звания Генералиссимуса Советского Союза, об учреждении ордена Сталина [https://web.archive.org/web/20220330151316/http://sovdoc.rusarchives.ru/Final_s/IVS00027/%D0%9A%D0%9F%D0%A1%D0%A1%2C%D0%A4.558%2C%D0%9E%D0%9F.11%2C%D0%94.1329/%D0%9A%D0%9F%D0%A1%D0%A1%2C%D0%A4.558%2C%D0%9E%D0%9F.11%2C%D0%94.1329%2C%D0%94%D0%9E%D0%9A.15/%D0%9B%D0%98%D0%A1%D0%A2%2025.JPG アーカイブ 2022年3月30日 - ウェイバックマシン (24.06.1945) РГАСПИ. Ф.558. Оп.11. Д.1329. Л.24-25
  4. ^ Ф. Чуев. Сто сорок бесед с Молотовым.”. 2013年10月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月3日閲覧。
  5. ^ Указ Президента России от 16.09.1992 № 1074”. 2016年8月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月2日閲覧。
  6. ^ Октябрь 1964-го глазами народа. К 40-летию отставки Никиты Хрущёва”. 2010年9月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年3月5日閲覧。
  7. ^ a b Документы прошлого”. 2010年10月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年3月5日閲覧。

外部リンク

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