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タルガ・フローリオ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1965年大会の応援風景(コッレザーノ

タルガ・フローリオTarga Florio )は、1906年から1977年にかけてイタリアシチリア島で行われた公道自動車レースである。国際的なスポーツカーレース大会としては最も歴史が古く、2度の中断期間を挟んで計61回開催された。

歴史

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ブガッティ・T35C(1927年)
1973年の優勝車、ポルシェ・911RSR

タルガはイタリア語で「」を意味し、タルガ・フローリオとは大会後援者のフローリオ家から優勝者に贈られた「フローリオ牌」のことを指す。ル・マン24時間レース(1923年 - )、ミッレミリア(1927年 - 1957年)と並ぶスポーツカーレースのクラシックイベントであり、曲がりくねった峠道を走る過酷なレースとして人気を博した。

フローリオ家はマルサラワインの製造をはじめ、海運業、タバコ専売などで財をなしたシチリア島の富豪一族である。子息ヴィンチェンツォ・フローリオは自動車レース愛好家としても知られ、1905年にブレシアで行われたレースにコッパ・フローリオ(フローリオ杯)を寄贈した[1]。さらに地元でのレース開催を思い立ち、運営委員会を設立し、自らが優勝したタルガ・リンニャーノ(1902年)にちなんでタルガ・フローリオと命名した。1906年の第1回大会には10台が参加し5台が完走。賞金総額は5万リラ、優勝者には3万リラと記念楯が贈られた。初期の参加資格は「過去に10台以上生産された乗用車」だったが、やがてスポーツカーの参加も認められるようになった。

第一次世界大戦のため1915年から1918年まで中断し、再開した第10回(1919年)では初めて国外勢のプジョーが優勝した。1920年代にはグランプリマシンが参戦するようになり、ブガッティが第16回(1925年)から第20回(1929年)まで5連覇、アルファロメオが第22回(1930年)から第26回(1935年)まで6連覇、マセラティが第28回(1937年)から第31回(1940年)まで4連覇した。その後、第二次世界大戦のため1941年から1948年まで再び中断した。

1950年代後半からはスポーツカー世界選手権の1戦に組み込まれ、フェラーリポルシェアルファロメオなどのワークスマシンがしのぎを削った。ポルシェは第50回(1966年)から第54回(1970年)まで5連覇し、通算ではメーカー最多の11勝を挙げた。最盛期の1970年前後には60万人の観客が沿道で声援を送った。

しかし、高性能のプロトタイプカーが狭い公道を走るにつれ危険性は高まり、1973年を最後にスポーツカー世界選手権から外れることになる。ワークスチームが去ったあとはイタリア国内選手権として継続されたが、第61回(1977年)にオゼッラのマシンがコースオフし、観客2名が死亡、2名が重症という大事故が起きる。ミッレ・ミリアと同様に、タルガ・フローリオも死傷事故により歴史にピリオドが打たれた[2]。1978年以降はイタリア国内ラリー選手権のラリー・タルガ・フローリオ(Rally Targa Florio)として名を残している。

また、ニューファンドランド島のタルガ・ニューファンドランド(Targa Newfoundland)、ニュージーランドのタルガ・ニュージーランド(Targa New Zealand)、オーストラリアのタルガ・タスマニア(Targa Tasmania)など、タルガ・フローリオの名にちなんだイベントが行われている。日本でも1988年から数回淡路島で「淡路タルガ・フローリオ」が行われた。

コース

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かつてピットレーンとして使用されていたフローリオ・ポリのピット部分(2010年)

スタート/ゴール地点はシチリア島北西部、パレルモ近郊のチェルダ駅前にある。ここには「フローリオ・ポリ」と呼ばれたピット・観客スタンドの施設が現在も残っている。時差式でスタートした各車は内陸部のマドニエ山脈へ登り、反時計回りにカルタヴトゥーロコッレザーノなどの山間都市を経由して海岸部へと下り、長い直線を飛ばしてチェルダに戻る。ルートは時代を経て大(グランデ・マドニエ)から中(メディオ・マドニエ)、小(ピッコロ・マドニエ)へと短縮された。

初期の山間ルートはほとんど未舗装のグラベルロードであり、天候の急変や山賊の出没など、ドライバーにもマシンにも耐久力が問われた。走行距離が短縮されてもツイスティーな難コースという特徴は変わらず、ピッコロ・マドニエには1周72kmに832のコーナーがあった。

グランデ・チルクィート・デレ・マドニエ(Grande delle Madonie
1周148.823km。周回数は1 - 3周。第1回(1906年)から第6回(1911年)まで使用された。第22回(1931年)にはメディオが土砂崩れのため、グランデを148kmに短縮して使用。
ファステストラップは第2回(1907年)、ヴィンチェンツォ・ランチア(フィアット28/40HP)が記録した2時間43分8秒4(平均速度55.456km/h)。
メディオ・チルクィート・デレ・マドニエ(Medio Circuito delle Madonie
1周108km。周回数は4 - 5周。第10回(1919年)から第21回(1930年)まで使用された。
ファステストラップは第21回、アキーレ・ヴァルツィアルファロメオ・P2)が記録した1時間21分21秒6(平均速度79.645km/h)。
ピッコロ・チルクィート・デレ・マドニエ(Piccolo Circuito delle Madonie
1周72km。周回数は1 - 14周(おもに10周前後)。第23回(1932年)から第27回(1936年)までと、第35回(1951年)から第61回(1977年)まで使用された。
ファステストラップは第54回(1970年)、レオ・キヌーネン(ポルシェ・908/3)が記録した33分36秒(平均速度128.571km/h)[3]

また、例外的にシチリア島1周コースや、仮設クローズド・サーキットで行われた事もあった。

ジーロ・ディ・シチリア(Giro di Sicilia
1周1050km。1912年から1914年まで使用。パレルモを出発し、シチリア島海岸部を反時計回りに1周する。
チルクイート・デル・パルコ・デッラ・ファボリタ(Circuito del Parco della Favorita
1937年から1940年まで使用。王立公園内の仮設コースで、直線とシケインで構成されていた。レイアウト変更により距離は1周5.26kmから5.72km、5.7kmへと変わった。
チルクィート・ディ・シチリア(Circuito di Sicilia
1周1080km。1948年から1950年まで使用。ジーロよりも長いシチリア島1周コース。

結果

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ドライバー マシン 時間 周回距離 備考
1 1906 アレッサンドロ・カーニョ イターラ・35/40HP 9時間32分22秒 446.469km(148.823×3)
2 1907 フェリーチェ・ナザーロ フィアット・28/40HP 8時間17分36秒4 446.469km(148.823×3)
3 1908 ヴィンチェンツォ・トルッコ イソッタ・フラスキーニ50HP 7時間49分26秒6 446.469km(148.823×3)
4 1909 フランチェスコ・チュッパ SPA・28/40HP 2時間43分19秒2 148.823km(148.823×1)
5 1910 フランコ・トゥリオ・カリオラート フランコ・35/50HP 6時間20分47秒8 297.646km(148.823×2)
6 1911 エルネスト・チェイラーノ SCAT・22/32HP 9時間32分22秒4 446.469km(148.823×3)
7 1912 シリル・スナイプ
ペドゥリーニ
SCAT・25/35 24時間37分19秒 1050km 第1回ジーロ・ディ・シチリア
8 1913 フェリーチェ・ナザーロ ナザーロ・2 19時間18分40秒 1050 第2回ジーロ・ディ・シチリア
9 1914 エルネスト・チェイラーノ SCAT・22/32HP 16時間51分31秒 1050 第3回ジーロ・ディ・シチリア
  1915
-
1918
第一次世界大戦のため中断
10 1919 アンドレ・ボワイヨ プジョー・25HP 7時間51分01秒8 432km(108×4)
11 1920 グイド・メレガッリ ナザーロ・グランプリ 8時間27分23秒8 432km(108×4)
12 1921 ジュリオ・マゼッティ フィアット・S57 14B 7時間25分5秒4 432km(108×4)
13 1922 ジュリオ・マゼッティ メルセデス・GP 6時間50分50秒4 432km(108×4)
14 1923 ウーゴ・シボッチ アルファロメオ・RLTF 7時間18分0秒2 432km(108×4)
15 1924 クリスティアン・ヴェルナー メルセデス・インディ 6時間32分37秒4 432km(108×4)
16 1925 バルトロメオ・コスタンティーニ ブガッティ・タイプ35 7時間32分27秒2 540km(108×5)
17 1926 バルトロメオ・コスタンティーニ ブガッティ・タイプ35T 7時間20分45秒 540km(108×5)
18 1927 エミリオ・マテラッツィ ブガッティ・タイプ35C 7時間35分55秒4 540km(108×5)
19 1928 アルベール・ディーヴォ ブガッティ・タイプ35B 7時間20分56秒6 540km(108×5)
20 1929 アルベール・ディーヴォ ブガッティ・タイプ35 7時間15分41秒8 540km(108×5)
21 1930 アキーレ・ヴァルツィ アルファロメオ・P2 6時間55分16秒8 540km(108×5)
22 1931 タツィオ・ヌヴォラーリ アルファロメオ・8C2300 9時間0分27秒 592km(148×4)
23 1932 タツィオ・ヌヴォラーリ アルファロメオ・8C2300M 7時間15分50秒6 576km(72×8)
24 1933 アントニオ・ブリーヴィオ アルファロメオ・8C2300M 6時間35分3秒2 504km(72×7)
25 1934 アキーレ・ヴァルツィ アルファロメオ・P3 6時間14分26秒8 432km(72×6)
26 1935 アントニオ・ブリーヴィオ アルファロメオ・P3 5時間27分29秒 432km(72×6)
27 1936 コンスタンティーノ・マジストゥリ ランチア・アウグスタ 2時間8分47秒2 144km(72×2) 12月開催
28 1937 ジュリオ・セヴェーリ マセラティ・6CM 2時間55分49秒 315.6km(5.26×60)
29 1938 ジョバンニ・ロッコ マセラティ・6CM 1時間30分4秒6 171.6km(5.72×30)
30 1939 ルイジ・ヴィロレージ マセラティ・6CM 1時間40分15秒4 228km(5.7×40)
31 1940 ルイジ・ヴィロレージ マセラティ・4CM 1時間36分8秒6 228km(5.7×40)
  1941
-
1947
第二次世界大戦のため中断
32 1948 "プリンチペ・イゴール"
(イゴール・トルベツコイ)
クレメンテ・ビオンディッティ
フェラーリ・166S 12時間10分0秒 1080km 第8回ジーロ・ディ・シチリア
33 1949 クレメンテ・ビオンディッティ
アルド・ベネディッティ
フェラーリ・166S 13時間15分9秒6 1080km 第9回ジーロ・ディ・シチリア
34 1950 マリオ・ボルニジーア
ジャンフランコ・ボルニジーア
アルファロメオ・6C2500C 12時間26分33秒 1080km 第10回ジーロ・ディ・シチリア
35 1951 フランコ・コルテーゼ フレイザー・ナッシュ・BMW 7時間31分7秒8 576km(72×8)
36 1952 フェリーチェ・ボネット ランチア・アウレリアB20 7時間11分52秒 576km(72×8)
37 1953 ウンベルト・マリオーリ ランチア・D20 7時間8分35秒8 576km(72×8)
38 1954 ピエロ・タルッフィ ランチア・D24 6時間24分18秒 576km(72×8)
39 1955 スターリング・モス
ピーター・コリンズ
メルセデス・ベンツ・300SLR 9時間43分14秒 936km(72×13) スポーツカー世界選手権 第6戦
40 1956 ウンベルト・マリオーリ ポルシェ・550a/1500RS 7時間54分52秒6 720km(72×10)
41 1957 ファビオ・コロンナ
ジュリア・テールリング
フィアット・600 減点0.8
最終減点0.6
360km(72×5) [4]
42 1958 ルイジ・ムッソ
オリヴィエ・ジャンドビアン
フェラーリ・250TR 10時間37分58秒1 1008km(72×14) スポーツカー世界選手権 第3戦
43 1959 エドガー・バルト
ヴォルフガング・ザイデル
ポルシェ・718RSK 11時2間21分8秒 1008km(72×14) スポーツカー世界選手権 第2戦
44 1960 ヨアキム・ボニエ
ハンス・ヘルマン
ポルシェ・718RS 7時間33分8秒4 720km(72×10) スポーツカー世界選手権 第3戦
45 1961 ヴォルフガング・フォン・トリップス
リッチー・ギンサー
→オリヴィエ・ジャンドビアン
フェラーリ・ディーノ・246SP 6時間57分39秒4 720km(72×10) スポーツカー世界選手権 第2戦
46 1962 ウィリー・メレス
リカルド・ロドリゲス
オリヴィエ・ジャンドビアン
フェラーリ・ディーノ・246SP 7時間2分56秒6 720km(72×10) グランドツーリング製造者世界選手権 第5戦
47 1963 ヨアキム・ボニエ
カルロ・マリオ・アバーテ
ポルシェ・718RS 6時間55分45秒2 720km(72×10) グランドツーリング製造者世界選手権 第4戦
プロトタイプ国際トロフィー 第2戦
48 1964 アントニオ・プッチ
コリン・デイビス
ポルシェ・904GTS 7時間10分53秒6 720km(72×10) グランドツーリング製造者世界選手権 第3戦
プロトタイプ国際トロフィー 第2戦
49 1965 ニーノ・ヴァッカレッラ
ロレンツォ・バンディーニ
フェラーリ・275P2 7時間1分12秒4 720km(72×10) グランドツーリング製造者世界選手権 第7戦
プロトタイプ国際トロフィー 第3戦
50 1966 ウィリー・メレス
ヘルベルト・ミューラー
ポルシェ・906-6 7時間16分32秒6 720km(72×10) スポーツカー国際選手権 第4戦
製造者国際トロフィー 第4戦
51 1967 ポール・ホーキンス
ロルフ・シュトメレン
ポルシェ・910-8 6時間37分1秒 720km(72×10) スポーツカー国際選手権 第5戦
製造者国際トロフィー 第5戦
52 1968 ヴィック・エルフォード
ウンベルト・マリオーリ
ポルシェ・907-8 6時間28分47秒9 720km(72×10) メイクス国際選手権 第5戦
53 1969 ゲルハルト・ミッター
ウード・シュッツ
ポルシェ・908/2 6時間7分45秒3 720km(72×10) メイクス国際選手権 第5戦
54 1970 ブライアン・レッドマン
ジョー・シフェール
ポルシェ・908/3 6時間35分30秒 792km(72×11) メイクス国際選手権 第5戦
55 1971 ニーノ・ヴァッカレッラ
トイネ・ヘゼマンス
アルファロメオ・33/3 6時間35分46秒2 792km(72×11) メイクス国際選手権 第7戦
56 1972 アルトゥーロ・メルツァリオ
サンドロ・ムナーリ
フェラーリ・312PB 6時間27分48秒 792km(72×11) メイクス世界選手権 第7戦
57 1973 ヘルベルト・ミュラー
ジィズ・ヴァン・レネップ
ポルシェ・911RSR 6時間54分19秒9 792km(72×11) メイクス世界選手権 第6戦
58 1974 アミルカーレ・バレッストリエーリ
ジェラール・ラルース
ランチア・ストラトス 4時間35分2秒6 504km(72×7)
59 1975 アルトゥーロ・メルツァリオ
ニーノ・ヴァッカレッラ
アルファロメオ・33TT12 4時間59分18秒7 576km(72×8)
60 1976 "アンフィカー"
(エウジェニオ・レンナ)
アルマンド・フロリーディア
オゼッラ・PA4 BMW 5時間48分46秒4 576km(72×8)
61 1977 "アバッシュ"
(アルフォンソ・メレンディーノ)
フランコ・レスティーヴォ
シェブロン・B36 BMW 2時間41分17秒 288km(72×8→4) 赤旗レース終了
  • メーカー別ではポルシェが最多の11勝、アルファロメオが10勝、フェラーリが7勝。次いでランチアとブガッティが5勝、マセラティが4勝、メルセデス・ベンツとSCATが3勝となっている。
  • ドライバーではウンベルト・マリオーリ、ニーノ・ヴァッカレッラ、オリヴィエ・ジャンドビアンがそれぞれ3勝した。ヴァッカレッラは学校の校長という経歴を持つシチリアの英雄であり、地元住人から熱烈な応援を受けた。1966年には観客に手を振った拍子にコースアウトし、優勝を逃したという逸話を残している。
  • 第14回大会で優勝したウーゴ・シボッチは幸運のお守りとして四葉のクローバー(クアドリフォリオ・ヴェルデ)のマークをマシンに付けていた。シボッチの死後、このマークはアルファロメオレーシングチームのシンボルになった。

参考文献

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  • Giuseppe Valenza著、松本葉訳『タルガ・フローリオの神話-1906~1977年の全レース、全2607台の記録 』 - 二玄社、2009年(日本語版)、ISBN 978-4544044188

脚注

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  1. ^ コッパ・フローリオは12回開催され、うち6回はタルガ・フローリオと同時開催された。
  2. ^ 61回の歴史を通じてドライバーの死亡事故は1925年の1件のみだった。
  3. ^ 『タルガ・フローリオの神話-1906~1977年の全レース、全2607台の記録 』、430頁。
  4. ^ 直前のミッレ・ミリアの死傷事故の影響で量産車のみ出走し、平均速度規制が適用された。

関連項目

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参考リンク

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pFad - Phonifier reborn

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