フェルナンド・デ・ラ・セルダ
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フェルナンド・デ・ラ・セルダ Fernando de la Cerda | |
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フェルナンドの墓石 | |
出生 |
1255年10月23日 |
死去 |
1275年7月25日(19歳没) カスティーリャ王国、シウダー・レアル |
埋葬 | カスティーリャ王国、サンタ・マリア・デ・ラス・ウエルガス王立修道院 |
配偶者 | ブランシュ・ド・フランス |
子女 |
アルフォンソ フェルナンド |
父親 | カスティーリャ王アルフォンソ10世 |
母親 | ビオランテ・デ・アラゴン |
フェルナンド・デ・ラ・セルダ(Fernando de la Cerda, 1255年10月23日 - 1275年7月25日)は、カスティーリャ王国の王太子。ラ・セルダ家の祖。父はカスティーリャ王アルフォンソ10世、母はアラゴン王ハイメ1世の娘ビオランテ。サンチョ4世の兄。生年は1253年説もある。
生涯
[編集]1269年、フランス王ルイ9世と王妃マルグリットの娘ブランシュと結婚、2人の男子を儲けたが、1275年、父に先立ってシウダー・レアルで死去した。フェルナンドの早世などが原因となり、弟サンチョが父に対して反乱を起こし、1282年に王位を奪ってサンチョ4世として即位した。
子女
[編集]- アルフォンソ(1270年 - 1324年)
- フェルナンド(1275年 - 1322年) - 長女ブランカ・ヌニェス・デ・ララはカスティーリャ王族フアン・マヌエルと結婚、三女マリア・デ・ララ(1375年没)は、1336年アランソン伯シャルル2世と結婚した。
孫娘ブランカとフアン・マヌエルとの間の娘フアナ・マヌエルがサンチョ4世の曾孫エンリケ2世の王妃となり、フアン1世を生んだことから、トラスタマラ家はフェルナンドの血も引いている。