ルクサンドラ・ドラゴミル
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ルクサンドラ・ドラゴミル | ||||
基本情報 | ||||
国籍 | ルーマニア | |||
出身地 | 同・ピテシュティ | |||
生年月日 | 1972年10月25日(52歳) | |||
身長 | 168cm | |||
体重 | 57.5kg | |||
利き手 | 右 | |||
ツアー経歴 | ||||
デビュー年 | 1990年 | |||
引退年 | 2005年 | |||
ツアー通算 | 9勝 | |||
シングルス | 4勝 | |||
ダブルス | 5勝 | |||
生涯通算成績 | 506勝430敗 | |||
シングルス | 290勝233敗 | |||
ダブルス | 216勝197敗 | |||
生涯獲得賞金 | $1,861,426 | |||
4大大会最高成績・シングルス | ||||
全豪 | 4回戦(1997・98) | |||
全仏 | ベスト8(1997) | |||
全英 | 3回戦(1996) | |||
全米 | 2回戦(1994・99・2000) | |||
4大大会最高成績・ダブルス | ||||
全豪 | 3回戦(1997-99) | |||
全仏 | 3回戦(1997) | |||
全英 | 2回戦(1996・2000・03) | |||
全米 | ベスト8(1997) | |||
キャリア自己最高ランキング | ||||
シングルス | 15位(1997年8月25日) | |||
ダブルス | 21位(1997年9月8日) | |||
ルクサンドラ・ドラゴミル(Ruxandra Dragomir, 1972年10月24日 - )は、ルーマニア・ピテシュティ出身の女子プロテニス選手。1990年代にルーマニアのテニス界をリードした選手で、キャリアを通じて全仏オープンを最も得意にした。自己最高ランキングはシングルス15位、ダブルス21位。WTAツアーでシングルス4勝、ダブルス5勝を挙げた。身長168cm、体重57kg、右利き。2001年にフロレント・イリー(Florent Ilie)と結婚した後は、夫の姓を併用して「ルクサンドラ・ドラゴミル・イリー」(Ruxandra Dragomir Ilie)と名乗った。
来歴
[編集]8歳からテニスを始め、1990年にプロ入り。ジュニア時代、1990年の全仏オープン女子ジュニアダブルス部門で同じルーマニアのイリナ・スピールリアとペアを組んで優勝したことがある。1991年から女子テニス国別対抗戦・フェドカップのルーマニア代表選手になる。1993年の全仏オープンで4大大会にデビューし、いきなりアランチャ・サンチェス・ビカリオとの4回戦まで進出した。それ以来、ドラゴミルは全仏オープンで、1995年まで3年連続の4回戦進出を果たした。
ドラゴミルは1996年5月にハンガリーの「ブダペスト・オープン」でツアー初優勝を飾り、この年に年間3勝を記録した。同年のアトランタ五輪にもルーマニア代表選手に選ばれたが、シングルス・ダブルスとも1回戦敗退に終わる。1997年にドラゴミルは最も好調なシーズンを送り、全豪オープンで初めての4回戦進出を決め、全仏オープンでベスト8に勝ち上がった。ドラゴミルは準々決勝で第9シードのイバ・マヨリに 3-6, 7-5, 2-6 で敗れたが、これが彼女の4大大会自己最高成績である。全仏オープン8強入りの直後、オランダ・ロスマレン大会で優勝し、同年8月25日付で世界ランキングの自己最高位「15位」をマークした。1998年は年頭の全豪オープンで2年連続の4回戦に進出するが、第2シードのリンゼイ・ダベンポートに 0-6, 0-6 で完敗してしまった。1997年には、同じルーマニアのライバル選手であったイリナ・スピールリアが世界ランキング「7位」まで躍進している。2歳年下のスピールリアのような世界トップ10選手にはなれなかったが、ドラゴミルはスピールリアと並んで1990年代後半のルーマニア・テニス界を代表する選手になった。
その後のドラゴミルは、1997年6月のロスマレン大会を最後に女子ツアー大会のシングルス優勝から遠ざかったが、1999年・2000年と2年連続で全仏オープン4回戦進出があり、2年連続でマルチナ・ヒンギスに敗退している。2000年のシドニー五輪で2度目のオリンピックにも出場した。2001年にフロレント・イリーと結婚し、その後は夫の姓を併用して「ルクサンドラ・ドラゴミル・イリー」と名乗った。
ドラゴミル・イリーは2005年まで現役を続行したが、最後の年は全豪オープンの女子ダブルスでモーリーン・ドレーク(カナダ)とペアを組み、浅越しのぶ&カタリナ・スレボトニク(スロベニア)組との2回戦に進んでいる。全仏オープン女子ダブルス1回戦で、ドラゴミルとデニサ・クラドコバ(チェコ)は中国ペアの鄭潔&晏紫組に 1-6, 2-6 で敗れた。ルクサンドラ・ドラゴミル・イリーはこの試合を最後に、32歳で現役を引退した。フェドカップのルーマニア代表選手としては、チーム歴代1位となる「30勝17敗」(シングルス21勝7敗、ダブルス9勝10敗)の記録を残した。
ドラゴミル・イリーは現役引退後の2006年から2009年まで、フェドカップのルーマニア代表監督を務めた。
WTAツアー決勝進出結果
[編集]シングルス: 8回 (4勝4敗)
[編集]大会グレード |
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グランドスラム (0–0) |
ティア I (0–0) |
ティア II (0–2) |
ティア III (1–1) |
ティア IV & V (3–1) |
結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | 対戦相手 | スコア |
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準優勝 | 1. | 1995年7月30日 | マリア・ランコヴィッツ | クレー | ジュディス・ヴィースナー | 6–7, 3–6 |
優勝 | 1. | 1996年5月12日 | ブダペスト | クレー | メラニー・シャネル | 7–6(8–6), 6–1 |
優勝 | 2. | 1996年9月15日 | カルロヴィ・ヴァリ | クレー | パティ・シュナイダー | 6–2, 3–6, 6–4 |
優勝 | 3. | 1996年11月18日 | パタヤ | ハード | タマリネ・タナスガーン | 7–6(7–4), 6–4 |
準優勝 | 2. | 1997年5月4日 | ハンブルク | クレー | イバ・マヨリ | 3–6, 2–6 |
優勝 | 4. | 1997年6月22日 | ロスマーレン | 芝 | ミリアム・オレマンス | 5–7, 6–2, 6–4 |
準優勝 | 3. | 1999年4月11日 | アメリアアイランド | クレー | モニカ・セレシュ | 2–6, 3–6 |
準優勝 | 4. | 2000年6月25日 | スヘルトーヘンボス | 芝 | マルチナ・ヒンギス | 2–6, 0–3, 途中棄権 |
ダブルス: 10回 (5勝5敗)
[編集]結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | パートナー | 対戦相手 | スコア |
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優勝 | 1. | 1994年7月10日 | パレルモ | クレー | ローラ・ガロン | アリーチェ・カネパ ジュリア・カソーニ |
6–1, 6–0 |
優勝 | 2. | 1995年5月21日 | ボーンマス | クレー | マリアン・デ・スウォート | ケリー=アン・グース パトリシア・ヒー=ブーレs |
6–3, 7–5 |
準優勝 | 1. | 1997年1月7日 | ゴールドコースト | ハード | シルビア・ファリナ | 雉子牟田直子 宮城ナナ |
6–7, 1–6 |
準優勝 | 2. | 1997年5月4日 | ハンブルク | クレー | イバ・マヨリ | アンケ・フーバー マリー・ピエルス |
6-2, 6-7, 2-6 |
優勝 | 3. | 1997年7月20日 | プラハ | クレー | カリナ・ハブスドバ | エバ・マーティンコバ ヘレナ・ビルドバ |
6–1, 5–7, 6–2 |
優勝 | 4. | 1997年7月27日 | ワルシャワ | クレー | イネス・ゴロチャテギ | キャスリーン・バークレー メイケ・バベル |
6–4, 6–0 |
準優勝 | 3. | 2000年7月16日 | パレルモ | クレー | ビルヒニア・ルアノ・パスクアル | シルビア・ファリナ・エリア リタ・グランデ |
4–6, 6–0, 6–7(6) |
準優勝 | 4. | 2001年1月7日 | ホバート | ハード | ビルヒニア・ルアノ・パスクアル | エレーナ・リホフツェワ カーラ・ブラック |
4–6, 1–6 |
優勝 | 5. | 2001年6月18日 | スヘルトーヘンボス | 芝 | ナディア・ペトロワ | キム・クライシュテルス ミリアム・オレマンス |
7–6(5), 6–7(5), 6–4 |
準優勝 | 5. | 2001年7月22日 | クノック=ヘイスト | クレー | アンドレア・エリット=ヴァンク | マギ・セルナ ビルヒニア・ルアノ・パスクアル |
4–6, 3–6 |
4大大会シングルス成績
[編集]- 略語の説明
W | F | SF | QF | #R | RR | Q# | LQ | A | Z# | PO | G | S | B | NMS | P | NH |
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.
大会 | 1993 | 1994 | 1995 | 1996 | 1997 | 1998 | 1999 | 2000 | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 通算成績 |
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全豪オープン | A | 1R | 2R | 2R | 4R | 4R | 3R | 3R | 3R | A | A | 1R | 14–9 |
全仏オープン | 4R | 4R | 4R | 2R | QF | 3R | 4R | 4R | 1R | A | A | A | 22–9 |
ウィンブルドン | 2R | 2R | 1R | 3R | 1R | 1R | 2R | 1R | 1R | A | A | A | 5–9 |
全米オープン | 1R | 2R | 1R | 1R | 1R | 1R | 2R | 2R | A | A | A | A | 3–8 |
外部リンク
[編集]- ルクサンドラ・ドラゴミル - WTAツアーのプロフィール
- ルクサンドラ・ドラゴミル - ビリー・ジーン・キング・カップのプロフィール
- ルクサンドラ・ドラゴミル - 国際テニス連盟
- ウィキメディア・コモンズには、ルクサンドラ・ドラゴミルに関するカテゴリがあります。