コンテンツにスキップ

三朝庵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三朝庵
閉店後の2019年1月に撮影 地図
レストラン情報
開店 1906年9月 (1906-09)
閉店 2018年7月31日 (2018-7-31)
種類 蕎麦
郵便番号/ZIP 162-0045
日本の旗 日本
住所 東京都新宿区馬場下町62番地
座標 北緯35度42分24秒 東経139度43分08秒 / 北緯35.7067度 東経139.719度 / 35.7067; 139.719座標: 北緯35度42分24秒 東経139度43分08秒 / 北緯35.7067度 東経139.719度 / 35.7067; 139.719
テンプレートを表示

三朝庵(さんちょうあん)は、東京都新宿区馬場下町早稲田大学近くにあった蕎麦[1]。創業は、1906年であるが、前身となった「平野庵」は江戸時代に起源が遡るとされる[2]。早稲田大学近傍の有名店のひとつであったが、2018年7月31日に閉店した[3]

カツオ出汁で煮、卵でとじるカツ丼の発祥の店とされるほか[2][3]カレーうどん[4]カレー南蛮を創案した店でもあるともいわれる[2][5]

早稲田大学との結び付きも強く、「早稲田の関係者なら誰もが知っている」と評されていた[6]

歴史

[編集]

もともと日本橋近くで5代続いた雑貨屋の6代目として生まれた加藤朝治郎は、1874年に商売替えをして、小石川後楽園近くに蕎麦店「三河屋」を開業した[7]1906年、朝治郎は、場所を変え、当地にあった蕎麦店「平野庵」から道具類を引き継ぎ、店舗の地主で家主でもあった大隈重信と店の賃貸借契約を結んで「三朝庵」を開店した[2]。店名は、「三河屋」の「三」、「朝治郎」の「朝」に由来するという[2]。大隈家では、しばしば来客に三朝庵の蕎麦を振る舞ったといい、三朝庵は創業時から「大隈家御用達」の看板を掲げていた[2]。これは、選挙の際に対立候補の運動員が辺りに入ってこないよう牽制しようとした大隈の狙いもあったようである[7]。三朝庵には、大隈家専用の重箱が用意されていた[7]

後に加藤家は、大隈家から土地を取得した[2]。当時の店があった場所は、現在の馬場下町交差点の中央部に近かったとされるが[2]、さらに後、道路の拡幅に伴って敷地は北東に移動した。

1918年、宴会のために肉屋から仕入れたトンカツが、宴会のキャンセルで大量に余り、冷めたトンカツの処理に朝治郎が苦慮していたところ、常連客だった学生が玉子丼のようにしてはと提案し、朝治郎はトンカツを卵でとじる丼物を作り上げ、これがカツ丼の起源となったという[2]

また、カレーうどん、カレー南蛮は、カレー店に客足を奪われたときに、対抗して生み出されたメニューであったという[3][4][8]。女将の話によると、新しいもの好きの朝治郎が、何か新しい物はできないかと、材料屋である杉本商店に持ちかけたのが始まりである[9]。当時、三朝庵は、近衛騎兵連隊将校集会所となっており、2階の座敷でしばしば宴会が催されていたが、当時まだ新しい食べ物であったカレーを使ったメニューは、将校たちの間でも好まれていたという[4]

第二次世界大戦中には、戦災により店舗は焼失したが、地下室は無事であった[7]

戦後、再び木造2階建で再建され、2階の座敷は引き続き宴会などに利用された[5]。2階を溜まり場にしていた雄弁会の学生たちの中からは、後に多くの政治家が輩出した[10]

道路の拡幅移転を経て、1987年に新築された三朝庵ビル[7]に入った後は、座敷はなくなって店舗は1階だけとなったが[5]、店の入口脇には「元近衛騎兵連隊御用/元大隈家御用」の看板が掲げられ、のれんには「早稲田最老舗」と染め抜かれていた[3]

閉店に際して、事前には告知などは行われておらず[10]、閉店を告げる貼り紙は閉店後に貼り出された[3]

歴代店主

[編集]
  • 初代店主 加藤朝治郎
  • 2代店主 加藤鷹久[2]
  • 4代店主 加藤久武[7]
    • 4代女将 加藤峯子[2]
  • 5代店主 加藤浩志[11]

三朝庵が登場する作品

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 食べログ 三朝庵”. Kakaku.com, Inc.. 2018年7月8日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k カツ丼早稲田発祥説を探る”. 早稲田ウィークリー/早稲田大学. 2018年10月5日閲覧。 - 歴史に関する記述は、2代目店主であった加藤鷹久の著書『大隈重信候と学園内商店主の在り方』や、『早稲田大学百年史』によるとしている。
  3. ^ a b c d e 橋本歩 (2018年8月7日). “「カツ丼発祥の店」早稲田の最古のそば屋が、突如閉店した真相 1/3”. 講談社. 2018年10月5日閲覧。
  4. ^ a b c 佐藤太郎 (1999年10月4日). “カレーはいかにして国民食になりしか 日本に広まったルーツ極める”. アエラ: p. 50. https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=5076  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  5. ^ a b c 武藤完 (1994年5月17日). “[こだわりの味]三朝庵 練りに練った「元祖」カレー南ばん”. 毎日新聞・東京夕刊: p. 5  - 毎索にて閲覧
  6. ^ 大槻英二 (2006年4月25日). “特集ワールド:早稲田の今昔を歩く 学生街はどこに-「気質も変わり」”. 毎日新聞・東京夕刊: p. 2  - 毎索にて閲覧
  7. ^ a b c d e f “そば屋の三朝庵 伝統の味引き継ぐ(老舗近ごろ)”. 朝日新聞・東京朝刊. (1989年12月14日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  8. ^ そば・うどん特集 「三朝庵」 カレー南蛮の元祖”. 日本食糧新聞社. 2022年5月15日閲覧。
  9. ^ 「世界ふしぎ発見!」 2015年11月7日(土)放送内容『日本カレー秘話 みんなが愛する一皿の物語』”. 2022年5月15日閲覧。
  10. ^ a b 安高晋 (2018年9月17日). “いただきます:カツ丼×早稲田 学生街の顔、静かに幕”. 毎日新聞・東京朝刊: p. 26  - 毎索にて閲覧
  11. ^ 橋本歩 (2018年8月7日). “「カツ丼発祥の店」早稲田の最古のそば屋が、突如閉店した真相 2/3”. 講談社. 2018年10月5日閲覧。
pFad - Phonifier reborn

Pfad - The Proxy pFad of © 2024 Garber Painting. All rights reserved.

Note: This service is not intended for secure transactions such as banking, social media, email, or purchasing. Use at your own risk. We assume no liability whatsoever for broken pages.


Alternative Proxies:

Alternative Proxy

pFad Proxy

pFad v3 Proxy

pFad v4 Proxy