利用者‐会話:笈野泉
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「改名提案」のノートについて
[編集]こんにちは。ミランブラジルです。笈野泉さんが投稿したWikipedia:改名提案ですが、議論場所が「ページのノート」となっていましたので、「ノート:ホイットニーの脅迫問題」に変更させていただきました。ささいなことですが、他人の発言の編集ということで、ご報告させていただきます。--ミランブラジル(会話) 2016年4月24日 (日) 04:53 (UTC)
現在におけるGHQ草案手交時の脅迫問題における論争が存在しないことの確認
[編集]that the only possibility of retaining the Emperor and the remnants of their owm power is by their acceptance and approval of a Constitution that will force a decisive swing to left. General Whitney hopes to reace this decision by persuasive arugument; if this is not possible, General MacArthur has empowered him to use not merely the threat of force, but force itself.[1][2][3]
こちらの資料について、現在において脅迫行為がなかったという論争自体がありえないことについてコメントを下さい。--ૡ(会話) 2016年7月17日 (日) 07:13 (UTC)
研究者の論文についてはケーディスのものを最初に挙げています。
It has been asserted that those who recorded Whitney's remarks "were ashamed of the methods employed" by Whitney, in particular, his "threats against the Emperor - against the man - not just the institution - which Hussey in 1958 still wanted Kades and Rowell to conceal from the Japanese Commission on the Constitution."[4]
こちらを無視するというのは対話拒否か議論の放棄と考えていいでしょうか?--ૡ(会話) 2016年7月17日 (日) 10:45 (UTC)
- ^ Summary Report on Meeting of the Government Section, 4 February 1946, Alfred Hussey Papers; Constitution File No. 1, Doc. No. 4 国立国会図書館所蔵 ハッシー文書No.4 Ellerman report of Government Section meeting of 4 February 1946.
- ^ Theodore H. McNelly. The Origins of Japan's Democratic Constitution. New York and Oxford: University Press of America, 2000, p.57
- ^ Finn, Richard B. Winners in Peace: MacArthur, Yoshida, and Postwar Japan. Berkeley: University of California Press, c1992 1992., p.94
- ^ Charles L. Kades(1989), The American Role in Revising Japan's Imperial Constitution, Political Science Quarterly, Vol. 104, No. 2 (Summer, 1989), pp. 229
記事の私有化はおやめ下さい
[編集]WP:OWNをよくお読みになり、行動を改めて下さい。
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以上、WP:OWNより一部転記。--106.161.210.224 2016年9月11日 (日) 08:51 (UTC)
警告します。これ以上「差し戻し」と称して記事の私有化を行わないで下さい。投稿ブロックの対象となります。--106.161.218.74 2016年9月18日 (日) 13:50 (UTC)
差し戻しの乱用について
[編集]取り消しや差し戻しの前に
[編集]取り消しや差し戻しは、熟慮をもって決定すべきことです。これらは、主に荒らし行為(またはそれに類似する行為)に対処するために使用するものであり、そうすることが適切かどうか確信が持てない場合は、すぐに取り消しや差し戻しあるいは編集で除去をするのではなく、まずノートなどで議論をしましょう。単純な編集内容について不満を感じる場合は、取り消したり除去するのではなく、記事内容を改善してみましょう。
取り消したり差し戻すべきでない場合
[編集]単に論争の一環として取り消しや差し戻しあるいは編集で除去してはいけません。他の編集者・投稿・観点に敬意を払いましょう。あなたと対面している編集者がウィキペディアへの貢献になると考えて行った編集であるならば、それらの投稿を取り消したり差し戻したりすることは不適切です。単なる意見の相違は、差し戻されるべき根拠にはなりません。あなたが編集者として確固とした客観的な証拠を持っている場合でも、それをノートで示し編集者の真意を問うべきです。一般的に、ある編集に問題がある場合、全て取り消しや差し戻しの理由になるという誤解があります。しかし、それらが有用な情報を含んでいる場合は、単純に記事を修正すべきです。取り消しや差し戻しは、気軽に決定してよいことではありません。
時々、ある加筆が真実あるいは有用なのか判断するのに悩むことがあります。特に、この話題について精通している人がウィキペディア上であまりいない場合です。このような場合も、ノートページで異議を唱えるのがよいでしょう。偏った内容にみえる部分の加筆者が、異議に耳を傾けずほとんど議論に応じない時は、問題となっている文章をノートページへ移動することで、完全には除去しないような方法をとるのもよいでしょう。しかし、この方法は多かれ少なかれ最後の手段として行われるべきで、決して偏りを指摘し加筆者を罰するための手段として行ってはなりません。
差し戻しを乱用されているようなのでH:RVより引用させて頂きました。この件についてコメントを下さい。各種方針文書に対する態度によっては差し戻し行為は投稿ブロックの対象となります。利用者会話ページにおける指摘を無視される事は大きなマイナスとなります。--124.102.251.232 2016年9月29日 (木) 18:10 (UTC)