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大日本史料

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

『大日本史料』(だいにほんしりょう)は、1901年(明治34年)から現在まで刊行が続けられている日本史の史料集である。六国史(『日本書紀』から『日本三代実録』まで)の後、国史の編纂事業が行われていないため、その欠落部分を埋めるべく編纂が始まった。

『日本三代実録』に続く平安時代の宇多天皇887年即位)から江戸時代までを対象とし、歴史上の主要な出来事について年代順に項目を立て、典拠となる史料を列挙する。

概要

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経緯

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1895年(明治28年)に帝国大学文科大学に史料編纂掛(現・東京大学史料編纂所)が設けられて歴史書の編纂が始まった。当初は正史(通史)を記述する計画であったが、結局史料集を編纂することになった(明治政府の修史事業参照)。

編集方針は、江戸時代和学講談所塙保己一が開設)で編纂された「史料」を基礎とした。「史料」は宇多天皇以降を対象とした史料集で、後一条天皇の1024年(万寿元年)まで[1]が完成していた。
史料編纂掛では、宇多天皇の887年仁和3年)から1867年慶応3年)を16編に分けて編纂を行い、「史料稿本」を作成した。5600冊程の草稿(未定稿)である。「史料稿本」をもとに校訂作業を行い、各編ごとに順次刊行することにした。

『大日本史料』は1901年(明治34年)、第六編(南北朝時代)から刊行が始まった(「太平記」が史料の一つとして引用されている)。同年に第十二編(江戸時代)、1902年に第四編(鎌倉時代)の刊行と続いた。

敗戦に伴い1945-1951年の間、刊行が途絶えていたが、1951年に坂本太郎が史料編纂所所長に就任し、1952年より刊行を再開した。100年を超える大事業となり、平均すると年に数冊の刊行ペース、これまでに428冊(2024年5月現在)が刊行されている。

編成および刊行状況
時代 刊行状況 備考
仁和3(887)年8月 寛和2(986)年 宇多天皇以降(六国史の後) 24冊完結 他に補遺(既刊4冊)
寛和2(986)6月 応徳3(1086)年 一条天皇以降(院政の前まで) 既刊32冊(2019年):長元5(1032)年まで
応徳3(1086)年11月 文治元(1185)年 院政開始から平家滅亡まで 既刊30冊(2020年):保安3(1122)年まで
文治元(1185)年11月 承久3(1221)年 源頼朝政権から承久の乱まで 16冊完結 他に補遺(既刊1冊)
承久3(1221)年7月 元弘3・正慶2(1333)年 承久の乱以後鎌倉幕府滅亡まで 既刊37冊(2022年):建長3(1251)年まで
元弘3・正慶2(1333)年5月 明徳3(1392)年 南北朝合一まで 既刊51冊(2023年):永和3(1377)年まで
明徳3(1392)年閏10月 文正元(1466)年 南北朝合一以降応仁の乱の前まで 既刊35冊(2023年):應永26(1419)年12月まで
応仁元(1467)年正月 永正5(1508)年 応仁の乱から足利義稙上洛まで 既刊44冊(2022年):延徳2(1490)年まで
永正5(1508)年6月 永禄11(1568)年 義稙上洛以降 既刊29冊(2021年):大永4(1524)年まで
永禄11(1568)年8月 天正10(1582)年 織田信長上洛から本能寺の変まで 既刊30冊(2021年):天正3(1575)年5月まで
十一 天正10(1582)年6月 慶長8(1603)年 豊臣秀吉政権 既刊30冊(2024年):天正14(1586)年7月まで 他に別巻2冊(天正遣欧使節
十二 慶長8(1603)年2月 慶安4(1651)年 江戸幕府開設以後 既刊63冊(2023年):元和9(1623)年5月まで
十三 慶安4(1651)年 延宝8年(1680) 江戸時代前期 未刊行
十四 延宝8年(1680) 天明6(1786)年 江戸時代中期 未刊行
十五 天明6(1786)年 嘉永6(1853)年 江戸時代後期 未刊行
十六 嘉永6(1853)年 慶応3(1867)年 幕末 未刊行

『大日本史料』として刊行されているのは江戸時代初期の第12編までである。それ以降(第13編-第16編[2])についても「史料稿本」は作られているが、刊行されていない。なお、近世については、別に『大日本近世史料』[3]や『大日本維新史料』[4]が刊行されている。

上述のように『大日本史料』には未刊行部分が多いため、『史料綜覧』が刊行されている(既刊17巻。17巻は1639年(寛永16年)までが対象)[5]。『史料綜覧』は綱文の部分と典拠となる史料の名称を掲載しており、未刊行部分の時期を調べる際の手がかりになるほか、詳細な年表としても利用できる。

データベース

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『大日本史料』のデータベース(「史料稿本」などを含む)が、東京大学史料編纂所の公式サイト[6]で公開されている。

記述法

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記述のスタイルは、はじめに綱文(要約文)を記し、その後に史料(日記、歴史書、古文書など)を原文で引用する。これは和学講談所の「史料」を範としたスタイルである。

源頼朝足利尊氏徳川家康征夷大将軍就任の記事を事例に挙げる。

建久3年(1192年)7月

綱文に「十二日、壬午、臨時除目、前権大納言源頼朝を征夷大将軍と為す(略)」とし、その後に『公卿補任』『吾妻鏡』『平家物語』などの史料を引用する。[6]

延元3年(1338年)8月

綱文に「(十一日)北朝、(略)尊氏を正二位に叙し、征夷大将軍に補し、直義を従四位上に叙し、左兵衛督に任ず」とし、『公卿補任』『太平記』などを引用する。[7]

慶長8年(1603年)2月

綱文に『十二日、亥己内大臣徳川家康を右大臣に任じ、征夷大将軍に拝し、源氏長者、淳和奨学両院別当と為し、牛車兵仗を聴す(略)』とし、『公卿補任』『慶長日件録』『言経卿記』などを引用する。[8]

関連項目

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注釈

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  1. ^ 坂本太郎『日本の修史と史学 歴史書の歴史』(講談社学術文庫、2020年)p167。
  2. ^ 第13編 慶安4(1651)年-、第14編 延宝8年(1680)-、第15編 天明6(1786)年-、第16編 嘉永6(1853)年-。[1]
  3. ^ 「柳営補任」「市中取締類集」「近藤重蔵蝦夷地関係史料」など、史料ごとに刊行。
  4. ^ 「編年之部」は弘化3年(1846年)から明治4年(1871年)を対象としたが、19冊(安政5年5月まで)刊行後に中断。「類纂之部」として「井伊家史料」を刊行。
  5. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション[2]でインターネット公開されている。
  6. ^ 『大日本史料』第4編4冊、国立国会図書館デジタルコレクション[3]98コマ
  7. ^ 『大日本史料』第6編5冊、国立国会図書館デジタルコレクション[4]38コマ
  8. ^ 『大日本史料』第12編1冊、国立国会図書館デジタルコレクション[5]19コマ

外部リンク

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