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小林節太郎

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小林 節太郎(こばやし せつたろう、1899年11月7日 - 1977年8月12日)は、日本の経営者兵庫県小野市出身[1]

経歴

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1924年関西学院大学高等商業部を卒業[1]岩井商店大日本セルロイドでの勤務を経て、1934年1月に富士写真フイルムに転じ、1937年5月に取締役、1943年5月に常務、同年11月に専務、1958年に副社長を経て、1960年6月に社長に就任[1]1962年には富士ゼロックス社長にも就任[1]。。

1964年11月に藍綬褒章を受章し、1970年11月に勲二等瑞宝章を受章[1]

1977年8月12日急性心不全のために死去[2]。77歳没。

脚注

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  1. ^ a b c d e 人事興信所 1975, こ77頁.
  2. ^ 1977年 8月13日 読売新聞 朝刊 p19

参考文献

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  • 人事興信所 編『人事興信録 第28版 上』人事興信所、1975年。 
先代
春木榮
富士フイルムホールディングス(旧富士写真フイルム)社長
1960-1971
次代
平田九州男
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